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触ることの意義と触るための教育

鳥山由子
筑波大学附属盲学校

五感を使うということ

とりやま・ゆうこ盲学校で生徒たちと観察をしていると、思いがけない発見をすることがよくあります。あるとき、中学部の一年生と校庭の隅に生えているセイヨウタンポポを毎週継続的に観察していました。このクラスは点字を使って学習をする人ばかりのクラスでした。生徒たちは、それぞれ、タンポポを指先で丁寧にさわっては、気づいたことを記録しています。すると、ある生徒が私に向かって、

「先生、これは今から咲くタンポポですか、それとも咲き終わったタンポポですか」

と、尋ねたのです。

「それは、今から咲くタンポポですね。」と答えると、
「では、これも今から咲くタンポポですか」とききます。みると、それは、もう咲き終わったものでした。

生徒の触っているのは、どちらも花の閉じたタンポポです。閉じた花がこれから開くのか、もう咲き終わったものなのか、目で見れば全体の様子からわかりますが、指先の感触ではほとんど違いが感じられません。私は、生徒たちが手触りで識別するために何かよい手がかりがないかと、触りながら考えていました。

すると、質問した生徒が、

「ああ、わかりました。これから咲くタンポポは茎が細いけれど、もう咲き終わったタンポポの茎は太いです。」

と、言ったのです。触ってみると、そのとおりでした。さらに、生徒は続けて、

「それに、咲き終わった花の茎は、これから咲くつぼみの茎より背が高いです。」

と付け加えたのです。たしかに、その通りです。

写真1 タンポポの観察タンポポは花が咲くと倒れて実(たね)を養います。そしてふたたび、立ち上がって茎(花茎)を高く伸ばし綿毛のついた実(たね)を飛ばしますが、このころのタンポポの茎は、ストローのように太く、中空になっています。このような茎の変化は、タンポポが咲いている数日間にも少しずつ進んでいて、この生徒はそれを発見したのでしょう。

後になって気がついたことですが、実はこの生徒たちは、一週間前の観察で、

「花が咲いている茎より、花が終わって倒れている茎のほうが太くて硬い。」

という記録を残していました。「茎の変化」という観点は、この日、初めて気づいたことではなかったわけです。しかし、生徒が、これから咲くタンポポと咲き終わったタンポポの違いをと考えたときに、「茎の変化」を見ればよいという発想がすぐに出てきたわけではありません。疑問に突き当たって丁寧に観察していくうちに、目の前のタンポポの「茎の変化」に気づいたわけです。このことは、観察の体験というものは、すぐに役立つ技術を身につけることとは違うこと、けれども、そういう体験の積み重ねこそが観察力を育てていくのだということを物語っているように思います。

タンポポの「茎の変化」は、そのつもりで触ってみれば誰にでも分かるものです。しかし、その「変化」に目の不自由な生徒は気づき、教師である私は気づかなかった。ここには、触って情報を得ることが日常的な手段になっている目の不自由な生徒たちと、一般の人との差があります。自然を観察するときには、五感を使うことが大切であると言われます。しかし、私たち、目の見える人は、情報収集を目だけに頼っていて、それ以外の感覚をほとんど使っていません。ところが、この事例のように、目の不自由な人と一緒に観察をすると、別の観点にふれ、思いがけない発見にわくわくするものです。

自然を観察するときの「先生」は自然そのもので、教師も生徒もともに、その「先生」から学ぶのだといわれます。盲学校で自然の観察をしていると、そのことが特に強く感じられます。

触るからこそ、わかること

写真2 中1授業目の不自由な生徒が、木の葉を触って観察するとき、形や大きさよりも、つるつるしている、ざらざらしている、毛が生えているといった表面の様子や、水分がない、軟らかい、硬いなどの、質感の印象が強いという特色があります。

また、葉の裏と表を同時に触ることができるので、葉脈が、葉の裏に盛り上がり、葉の表側ではくぼんでいるというように、表側と裏側を比較する観察は比較的容易にできます。

また、力をコントロールしながら押してみることで、内部の様子をある程度知ることができます。私たちの学校では、高等部の生物の授業で、ウシの眼球の解剖をします。あるとき、眼球から取り出した水晶体を、親指と人差し指ではさんで感触をたしかめていた生徒が、

「水晶体の内部には、まわりよりも硬いかたまりがあるのではないか。」

と言いました。

そこで、水晶体を切って調べることにしました。水晶体は透明な液体が、透明で丈夫な膜に包まれたものです。その膜を切ってみると、液体の中に、さらに膜に包まれた硬い部分がありました。水晶体は二重の構造を持っていたのです。外側から触って生徒が想像したとおりでした。

写真3 上野動物園での校外授業 中1手にとって持ってみると、重さを知ることもできます。

中学部一年生が、上野動物園で、頭の骨の標本を観察させていただいたときのことです。生徒たちには標本の動物名は知らされていません。動物名からその動物を思い浮かべるのではなく、あくまでも目の前の標本から観察されたことをもとに、生きているときの様子を考えようとするためです。

ある生徒が観察していた標本には、大きな鋭い犬歯、尖った奥歯、大きな筋肉があったことを物語る顎、前向きの目などが観察されて、大型の肉食動物であることがわかりました。さらに、生徒は、この動物の内耳が発達していることと、手にとってみると意外なほど軽いことに注目し、学校での授業で観察したネコとの類似性を考えました。そこで、跳躍型の肉食動物、たぶんネコの仲間だと考え、この動物はトラかライオンだと推論したのです。じっさい、これはベンガルトラの標本でした。生徒が「跳躍型」という判断をした根拠の一つである、骨の軽さは、手に取ってみなければけっしてわからないことです。

写真4 上野動物園での校外授業 中1触ることで温度の違いを感じることができます。

高等部一年生が、長野県諏訪の後山という山村で夏季学校を行い、水田を観察したときのことです。この地域の水田では、谷川の水を引き込む水路が蛇行していたり、引いた水を田のまわりをぐるりとまわしてから田に入れたりしています。また、田の隅に、土でできた迷路のようなものがみられます。この独特の水の引き方を、生徒と一緒に観察しました。

谷川から引かれた水路は白杖で確認しながら歩きました。田の隅の迷路のような構造は手で触って調べました。そして、なぜ、このような独特の水の引き方をするのか考えてみました。そのとき、一人の生徒が、谷川に近い水路の水に手を入れました。その水路は田に沿っていますが、水路と田はプラスチック板で仕切られています。生徒はそのしきり板に触り、さらに、仕切り板の向こうに手を伸ばしました。そして田の水に触れ、

「わかった。」

と叫んだのです。それを聞いて他の生徒も次々に、水路の水と田の水に手を入れてみました。

谷川から引いた水路の水は冷たいのに、プラスチック板で隔てられた田の水は温かでした。独特の構造は、冷たい谷川の水がいきなり田に入らないように、ゆっくりと水路を通し、太陽熱で水を温めるためのしかけだったのです。生徒たちは、水の冷たい山里で米を作る人々の知恵に感嘆しました。

触るだけでなく、においをかぐことで、さらに観察は深まります。

中学部の夏季学校で、山道に生えているミツバを摘んだことがあります。摘み草というものは目の不自由な生徒には難しいことなのですが、その場所にはミツバが群生していたので、手あたり次第に摘むことができます。問題は、ミツバに混じって有毒植物であるキツネノボタンが生えていることでした。しかも、キツネノボタンの若い葉は、ミツバの若い葉にそっくりなのです。ところが、見た目はよく似ていても、キツネノボタンには、あのミツバ特有のにおいはまったくしません。そこで、においで識別した結果、生徒の摘んできたミツバには、キツネノボタンの葉は一枚も混ざっていませんでした。

 

小さなものの観察

花の構造を触って観察する場合、指先で識別しやすいように、比較的大型の花を選んで使います。観察しやすい花としては、チューリップやテッポウユリ、キキョウ、ガーベラやヒマワリ、タチアオイやムクゲなどがあげられますが、これも、単に大きさだけでなく、シャープさが大切です。たとえば、木の枝で咲いているサクラ(ソメイヨシノ)の花弁は、小さくても、一枚ずつ指先で識別して数えることができますが、枝を切って水に挿したものでは、花弁の数を数えることはできません。見た目には差がないようでも、花弁の張りが失われているのです。触覚で観察する場合、この違いが大変大きいことがわかります。

また、花を指先で分解し、子房を爪でちぎると胚珠が現れます。大変小さいものですが、指と指の間でこすりあわせると、丸い粒を感じることができます。小さくても硬いものはわかりやすいのです。

このことは、目の不自由な人のために凸図を作るときにも大切なことです。触って理解するのだからと、太い線で表現しようとしがちですが、細くてもシャープな線のほうがよくわかる場合が多いのです。

部分の観察を総合して全体像を描く

「一目瞭然」という言葉があるように、視覚はすばやく全体を把握することに優れた感覚です。視覚に障害があるということは、この「全体像」の把握に手間ひまがかかるということになります。

写真5 高1 夏期学校 自然講座 下草や土壌をさわって調べよう指先で一度に触れる範囲は限られますから、両手を使って手を動かしながら、部分を触り、それが全体のどこにあたるかを確認し、また、部分を触るという作業を繰り返して、頭の中に全体像を作り上げていかなければなりません。木の葉の形を知るためには、片方の手で葉を押さえて、もう片方の手の指先で葉の縁をたどり、その指先の動きの記憶を総合して形のイメージを作り上げるわけです。

このとき、「両手を使い」、「手を動かしながら」、「全体をまんべんなく」触って観察することが大切です。両手を使うことで、片方の手を基準にしてもう一方の手を動かし、位置や距離感を知ることができるからです。また、手を動かして観察することによって、魚のうろこ、木の葉の縁にある鋸歯、とげ、毛並みなどの向きにも気づくことができます。

このようにして触りながらイメージを作り上げていく作業は、時間がかかるだけでなく、高度の集中力を要求されます。触っている最中に横からいろいろ話しかけたりすると集中できません。また、大変疲れる作業ですから、一度に多くのものを触るより、一つのものをじっくり触るほうが適当です。

大きなものの全体像を理解することは容易ではありませんが、いくつかの効果的な方法が工夫されています。

一つは、触りながら自分が動いて行く方法で、たとえば、ウシの体の形を知るときなどに、この方法をとります。ウシの頭から背中、背中から腰、腰から脚、腹というように順に触って理解するわけですが、全体をまんべんなく触るためには、指導者の適切な介助が必要です。

もう少し大きいもの、たとえば大型の恐竜の骨格標本などは、たとえ端から端まで触ったとしても、全体のイメージを描くことは困難です。もちろん各部分を触ることは観察の基本ですが、全体がどんな形をしていて、今触っているところはそのどこにあたるのかを理解するためには、適当な縮尺の模型やレリーフが必要です。

さらに、全体の広がりや大きさを実感するために、別の観察方法を併用することが効果的です。

そのために、最も簡単なのは、端から端まで歩くことで、歩きながら、
「今、頭の下にいます。」とか、
「いま、肋骨の下を歩いているところです。」などと説明してもらうと、大きさの実感が出てくると思います。

もう一つの方法は、音で広がりをつかむ方法です。たとえば、「頭」というボタンを押すと頭のところにつけられたスピーカーから音がする、「しっぽの先」というボタンを押すと、そこから音がするというようなしかけがあれば、自分の場所(ボタンのある場所)を基準にして、どのくらいの高さや広がりを持ったものなのかを理解することが可能です。

音による空間把握は、屋外でも利用できます。たとえば、大きな建物や、ちょっとした林の両端に人が立って声を出せば、手前で聞いている人には、その広がりや大きさが理解できます。

写真6 高1 夏期学校 林の観察 自分の体を使って大きさを知る。木にふれる、梢をわたる風の音に耳を澄ます。私たちは、高等部一年生が長野県諏訪後山地区で行った夏季学校で、山の景観把握のために、この方法を利用してみました。この地区の山には、尾根筋にアカマツの自然林、中腹には落葉広葉樹の薪炭林とカラマツの植林、麓には神社の寺社林としてのモミとツガの自然林とスギの植林というように、それぞれの場所に応じた林があり、遠くから山を眺めると、その様子が一望のもとに見渡せます。このような、かつては日本中で見られ、そして今は見られなくなってきた山里の風景、人と自然が調和して保たれている様子を、何とか目の不自由な生徒にも理解させたいと思って考えついたのは、次のような方法でした。

まず、麓の寺社林、中腹のカラマツ林、尾根筋のアカマツ林の三つの観察ポイントを決めました。麓から順に、それぞれの観察ポイントでは、約30分かけて、グループごとに歩き回って観察をし、その林のイメージをつかみました。尾根での小休止の後、生徒が山を下るとき、各観察ポイントには、声の大きさに自信のある先生が一人ずつ残りました。山を下りた生徒たちは、谷川の対岸の斜面に揃います。そして、声を合わせて尾根に残った先生の名前を呼びます。数秒後、かすかに「おーい」と返事が聞こえました。あの場所がさっき観察したアカマツ林なのです。次に、カラマツの植林の先生に声をかけます。そして最後は麓の寺社林にいる先生です。このように声をかけあうことで、生徒たちは三つの観察ポイントの位置関係をつかみ、そこに観察した林のイメージを重ねて、ひとまとまりの景観として理解することができました。

触るための教育

写真7 中1 授業私たちの学校では、中学部一年生の理科(週あたり4時間)のうち2時間を、第二分野の生物の授業にあて、前半年は校庭の木の葉の観察を中心に植物の学習、後半年は骨格標本の観察を中心に動物の学習を行っています。この学習の目標は、具体的な生物の観察を通じて、生物の形態と機能のつながりや、多様性を学ぶことですが、同時に、感覚を活かした観察の仕方や、観察したことを適切な言葉で表現する力、すなわち、理科教育の基礎になる観察力を養うことをも意図しています。

中学一年生の週2時間の授業を、植物と動物の形態観察のみに費やしているのは無駄なことのように見えるかもしれません。しかし、中学一年生の授業は、中・高6年間の理科教育の一年目であるとも考えられるわけで、この一年間に学習する知識の量は多少犠牲にしたとしても、「ありのままに正しくみるところからすべては始まる」ことを体験としておさえておくことは、実は大変意味のあることだと考えているわけなのです。

写真8 中1 授業理科の授業の他にも、盲学校では、あらゆる教育活動で、触ることが奨励され、触って理解することが求められています。幼・小学部から高等部まで、このような経験を積み上げることで、盲学校の生徒は「手でみる」力を身につけていきます。

さて、触るということは、自分から手を出さなければ始まらない能動的な観察です。動くもの、ぬるぬるしているものなどには、手が出ない生徒もいます。そのようなときは、無理強いせず、手袋や棒で間接的にさわったり、教師の手の上に生徒の手を重ねさせて、一緒に手を動かしたりします。こうして、知的好奇心が恐怖心に打ち勝つのを待つわけです。また、触るためのマナーも大切で、観察の前後には手を洗い、丁寧に大切に触る練習を積んでいきます。

触ることで、目の不自由な生徒が、どんなに豊かに自然と向き合うことができるかを述べてきましたが、このことは目の見える人にも大切なことです。私自身、盲学校で目の不自由な生徒とともに触ることで、たくさんの感動的な体験をすることができました。学校にも博物館にも、触ることができる教材が用意され、触ることのすばらしさを多くの子どもたちが経験できたらと思います。同時に、触るためのマナーとスキルを指導できる人材を育てることが、とても大切だと思います。

[目次]「ユニバーサル・ミュージアムをめざして―視覚障害者と博物館―」を聞いて

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