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「ユニバーサル・ミュージアムをめざして
―視覚障害者と博物館―」を聞いて

沖津禎男
神奈川県・一般参加(神奈川新聞社)

多くの方はご存じのことですが、このシンポジウムを主催した神奈川県立生命の星・地球博物館は、横浜の馬車道にあった旧県立博物館から自然科学系の分野が独立する形(分かれた後が現在の県立歴史博物館)で設立されました。

実は私は旧県立博物館時代に、新しく建てられる「神奈川県立生命の星・地球博物館」の、ちょっと長い名称をどうするかについての議論に加わったことがあります。議論のやりとりは、この際省きますが、「生命の星・地球」を掲げるこの博物館が「ユニバーサル(濱田館長があいさつで述べられたように、『宇宙の、全自然界の』という意味もあります)…」を開くことに、なにか縁のようなものを感じて感慨を覚えました。

さて、配られた資料の中に点字のレジュメがあり、点字にまつわるある出来事を思い出しました。「博物館検討」という論文集ですから、もっと堅い内容を書くべきかもしれませんが、「感じたことを自由に書いてください」というお話でしたので、こんな事から書き起こします。

写真1 浜降祭(神奈川県茅ヶ崎市)湘南海岸の茅ケ崎で毎年、「浜降祭(はまおりさい)」という勇壮な夏祭りが行われます。相模一之宮の名前で知られる寒川神社の氏子たちが、大きな40基のみこしを担いで未明の海岸に繰り出します。7月中旬ですので梅雨はまだ明けず、暁の海岸はもやがかかっていることが多いのです。この地方独特の威勢のよい「ドッコイ、ドッコイ」の掛け声が先に聞こえ、続いて朝もやの中から、いくつものきらびやかなみこしが姿を現すと、10万人の観衆で埋まった砂浜は興奮に包まれます。

およそ20年前、湘南で仕事をしていた私は、たまたま、視覚障害者のグループをこの「浜降祭」の会場に案内するお手伝いをしました。

もうふた昔も前のことなので、記憶も途切れがちなのですが、そのころ、「盲学校の生徒が浜降祭の会場に行きたがっているけど…」という話が、私の耳に入りました。

にぎやかな祭りが好きな私は、「祭りはみんなが楽しむもの」という思いがありましたので、「行きたがっているけど…」の部分が気になりました。というのは、当時、「祭りにけんかは付き物」で、毎年のようにけが人が出るため、地元の茅ケ崎警察署では、現地に警備本部を設けて警戒していたからです。

関係者が「祭りの会場で見物客に万一事故があっては」と神経を使い、そうしたことに消極的になっているのは理解できました。

職業柄、茅ケ崎警察署にはよく出入りしていましたので、顔なじみの広報担当のS次長に、持論の「祭りはみんなが楽しむもの」をぶつけてみました。別に盲学校の関係者に頼まれたわけでもないのに、「祭りというものは…」と切り出す私の顔を見ていたS次長は、最後までは聞かずに「いいよ、わかったよ」という返事をしました。地味な人柄のS次長とはなんとなくウマが合う、と感じていたのですが、あまり簡単に「了解」の返事が返ってきたのには、拍子抜けしたような気分でした。もっとも「沖津さんも(仕事と関係ないのに)物好きだね」と冷やかすように小声で言ってはいましたが。

当日、近くのユースホステルに泊まった、という生徒約20人の一行が早起きして先生に引率されてやってきました。S次長に「来たよ」と知らせると、彼は部下に「オーイ、いすを並べろ」と指示しました。警備本部の仮設テントはみこしが乱舞するメーン会場に面しているので、祭りを楽しむには一番いいところです。テントの前にパイプいすが用意されました。

それで、盲学校の生徒たちがどうするのかな、と思っていたら、いすに座らせてもらった彼らは、歓声の上がる会場に向かってまるで号令を掛けられたかのように、一斉にお辞儀をしたように見えたのです。でも、それはお辞儀をしたのではなく、懸命に祭りの雰囲気を感じようとした動作だったのです。

それまで、私は人間は障害があってもなくても、注意して音を聴こうとする場合、どちらかの耳を差し出すものとばかり思っていました。聞き耳を立てる、という言葉がありますね。しかし、彼らの取った姿勢は、そうではなく、脳天というか頭頂部を音のする方角に向けたのです。赤ちゃんの時に頭頂部にある呼吸にともなってぴくぴくと動く柔らかい部分を「百会(ひゃくえ)」というそうですが、全員がそこで音を聴き取ろうとしているように見えたのです。

その時、私の頭には九州の野生馬のことが浮かびました。宮崎県の南端に都井岬という岬が太平洋に突き出る形になっていますが、ここには昔から御崎馬という国の天然記念物の野生馬が生息しています。この馬たちは日没のころになると、岬の突端に集まり、沖合に向かってじっと頭を垂れるのだそうです。それは、あたかもその昔、岬と地続きだったと言われる遠い南西の故郷の島々に思いを馳せているかのように見えるといい、私は太古のロマンを感じていました。

視覚障害者を馬と重ね合わせて見るのは不謹慎と言われるかもしれませんが、じっと頭を垂れる光景になんとなく通ずるものを感じたわけです。

漢和辞典では、人の話や物音を「きく」場合、「聞く」は「音声を耳に感じる」としています。これに対し、「聴く」は「念を入れて詳しく聞く」と解説しています。さらに「同音異義」という項目を設け、「聞」は「耳に入る。きこえる」、「聴」は「きこうとしてきく。よくきく」とも記しています。

国語の解説をするつもりはないのですが、「聴く」は明らかに積極性、能動的な態度がうかがえます。で、盲学校の生徒たちは、当然ながら「浜降祭」を「聴いて」いたのだと思います。

その後、しばらくして、私のことがどこかから盲学校に伝わったのでしょう。生徒たちから点字の礼状が届きました。点字が読めない私のために、先生が添え書きをしてくれていました。新聞記者の仕事をしていると、たまに礼状をもらったりすることがあるのですが、点字のものは、後にも先にもこれが初めてです。シンポジウムで配られた点字のレジュメを手にして、もうひとつの感慨にふけった次第です。

写真2 生井良一氏さて、当日のシンポジウムですが、印象に残ったのは盲導犬を従えて登場した生井良一さんです。終始、背筋をぴんと伸ばして、快活な話し方でした。

話の中で、トイレで困ることとして、最近の新しいトイレは水洗のレバーやボタンの位置がわかりにくいことを挙げていました。まったくその通りだと思います。

われわれも、新しい建物のトイレを使う場合、まごつくことはよくあります。街中の公衆トイレには防犯用のブザーのボタンがありますが、これを水洗のものと間違えて押したらしく、警報が鳴りっ放しになっている光景に出合ったこともあります。設計者はこの辺のことまで考えて設計しているとは思えません。「規制の撤廃」が言われるこのごろですが、水洗トイレのボタンは、むしろ統一のスタンダードがあってしかるべきだ、と思った次第です。

会場ではミュージアムリレー(注)でご一緒する、中井町の「おもしろ体験博物館江戸民具街道」の秋沢達雄館長と席を隣り合わせました。

秋沢館長は「身内に視覚障害者がいるとか、そういうことではないのです。先日、視覚障害者のグループが見学にみえ、触れるものを用意したのですが、突然のことで不十分で申し訳なかった。今後のこともあるので、勉強にきました」と言っておられました。この気持ちが尊いですね。

最近、携帯の音声ガイドなど、障害者用の機器が開発されています。しかし、大切なのは受け入れる側の人の心だと思うのです。

濱田館長は「万人に愛される博物館に」とシンポジウムを企画された動機を話されましたが、「祭りはみんなで楽しむもの」という私の持論と相通じるものを感じて思い出を記しました。

(注)神奈川県西部と静岡県にある公設、私設合わせて44の博物館相当施設がミュージアムズ連絡会(事務局・県立生命の星地球博物館)を組織、各施設持ち回りで毎月1回、ミュージアムリレーと名付けた見学会を行っています。

[目次]シンポジウムの感動

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