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+2℃の世界・縄文時代に見る地球温暖化・2004年12月18日(土曜)から2005年2月27日(日曜)

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縄文時代に見る地球温暖化

下末吉期 −12.5万年前にも温暖化−

  約六千年前にピークを迎えた縄文海進よりも昔の約一二・五万年前、縄文時代よりも温暖だった時期がありました。この時期は下末吉期(しもすえよしき)と呼ばれ、その海進は下末吉海進(しもすえよしかいしん)と名付けられています。

 これは横浜市鶴見区の下末吉地域にちなんだ名前です。下末吉海進も縄文海進と同様に日本各地で確認されていますが、神奈川県では東京湾側、相模湾側から海が入り込み、二俣川−権太坂−上大岡地域で、三浦半島がかろうじてつながっていたというほど規模が大きい海進でした。

 下末吉海進のときにたまった地層は、下末吉層または下末吉層相当層といわれ、神奈川県東部によく保存されていて、西部ではあまり確認できていません。川崎、横浜地域では、各地で行われた道路工事や宅地開発のたびに、下末吉層が確認され、当時の海の様子が詳しく分かっています。

 下末吉期の海に生息していた貝化石から、当時の様子が分かります。東京湾側の港北区菊名付近からは、バカガイ、ナミガイ、ハマグリ、イタヤガイなど沿岸砂底にすむ貝の化石が見つかっています。戸塚や藤沢ではカキ礁の化石が見つかっていて、湾奥だったことが分かります。

 また、さらに奥まった泉区岡津町などでは、現在有明海などの干潟にすむハイガイの化石が見つかっていることから、干潟が発達していたことが想像できます。ハイガイは現在の関東地方の海では寒くて生活できません。ハイガイの化石が見つかったことから、下末吉期が暖かかったことも分かるのです。

 一方、陸の様子も違っていました。現在では絶滅したナウマンゾウが当時生息していて、横浜、横須賀、藤沢などから化石が発見されています。

(県立生命の星・地球博物館学芸員・ 樽 創 )

下末吉期の海岸線の様子(町田、1973;当間、1974;関東第四紀研究会、1987;岡1991;江藤ほか、1998;笠間、私信を参考に作成).

下末吉期の海岸線の様子(町田1973、当間1974、関東第四紀研究会1987、岡1991、江藤ほか1998の各論文などと、笠間私信を参考に作成)


※ 2005年1月21日に、神奈川新聞に掲載された記事を再録しました。

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