+2℃の世界Home | 博物館Home
+2℃の世界・縄文時代に見る地球温暖化・2004年12月18日(土曜)から2005年2月27日(日曜)

■7.縄文の海←|→■9.沼サンゴ層

+2℃の世界
縄文時代に見る地球温暖化

古中村湾 −隆起した縄文期の海−

 古中村湾は、大磯丘陵南西部の小田原市と二宮町の境を流れる中村川(河口付近では押切川)の低地にできた内湾です。縄文海進によって、約九千年前から中村川の谷へ海が入りはじめ、六千五百年前には現在の海岸線からおよそ二.五キロも奥まで広がる古中村湾となっていました。

 昨年、中村川流域の造成工事により古中村湾にすんでいた貝化石がみつかりました。その中に、現在は紀伊半島より南の暖かい海にすむハイガイ、シオヤガイ、コゲツノブエなどが見られます。約六千五百年前の相模湾沿岸は、現在よりずっと暖かい環境だったのです。

 さて、この古中村湾の貝を含む地層は、現在海抜二十メートル付近まで分布しています。このように六千五百年前の古中村湾の地層が台地の上の高さにまで分布しているのは、地震による隆起を繰り返してきたためです。特に相模湾湾奥を震源とする巨大地震によって、大磯丘陵が大きく隆起することが分かっています。

 地震による隆起の結果、古中村湾から海水が退き、浜名湖のような海水と淡水が入り交じっている汽水湖の古中村潟が誕生しました。その年代は約六千五百〜六千三百年前の間です。古中村潟には、これまでの古中村湾にすむ海の貝たちに代わり、汽水域にすむヤマトシジミが潟にすみつくことになったのです。

 そして、縄文前期(約五千七百〜五千三百年前)には、羽根尾貝塚が古中村潟の西岸につくられました。この古中村潟も、その後に続いた巨大地震によって湿地へと変化していきました。

 この地域では、縄文海進による海面の上昇よりも大地の隆起量が大きく、縄文海進のピーク前に海が退くこととなりました。大磯丘陵に見られる海面の変動を考えるときには、温暖化などによる地球規模の海面変動の動きだけでなく、地域の沈降や隆起といった地震に伴う大地の動きも合わせる必要があるのです。

(県立生命の星・地球博物館学芸員・田口 公則)

下末吉期の海岸線の様子

古中村湾から古中村潟への変化を示す地層


※ 2005年1月27日に、神奈川新聞に掲載された記事を再録しました。

(C)copyright Kanagawa Prefectural Museum of Natural History 2004. All rights reserved.