第2回 「キャッチ・アップの時代」
日本の博物館の歴史をみるとき、現象面だけを捉えると、ものすごい勢いで成長して世界の博物館界に伍していけるようになります。けれども、その経緯やコンセプト、あるいは目指すものについて具体的に当たってみると、少し考え方を変えてみる必要があるようです。
博物館先進諸国では、長い国家の歴史、とりわけ当時の“海外進出”〜“植民地政策”と深い関連を持ちながら、数多くの資料が収集された、といういきさつがあります。コレクションは時間の関数という評は当たっているでしょう。 それにくらべると、日本では、よく知られているように中国伝来の日常“文化”の一つとして「本草学」なるものがありました。好事家の天下だったようですが、必ずしも“科学的”というラインにはのっていなかったわけで、後の日本の博物館に大きな影響を与える、というところまでは至りませんでした。
そこで、明治の文明開化期に日本が考えたのは、御物レベル、国宝級の物品をまず集め、それを軸にして博物館を、という方策でした。その結果、出来上がったのは帝室博物館が典型であるように、一般人は「宝物拝観」の姿勢になってしまったのです。世界のレベルに一歩でも近づきたいというキャッチ・アップ精神での「苦肉の」(?)策だったといってよいでしょう。
したがって、しばらくは、自然史一般や生活文化、農・工業関係はおろか、技術関連でさえ“博物館”アイテムになるためには時間がかかり、ついには、使い古した「古物」保管庫的性格を強く持った専門博物館の出現に結びつくのです。『博物館入り』という言葉が、もう世の中で役立たなくなったものの代名詞化した時代です。
こうなると、ハンズ・オン発想が立入るすきはほとんどなかったというのが日本のキャッチ・アップ期博物館の実態といえます。この傾向は第二次世界大戦後もしばらく変わりませんでした。しかし、「実物なくしては」という基本姿勢の動・植物園、水族館の世界からそのクセが崩れていくことになります。
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生命の星・地球博物館館長 濱田隆士
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