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ユニバーサル・ミュージアムをめざして―視覚障害者と博物館― ―生命の星・地球博物館開館三周年記念論集―』171-180ページ

国立科学博物館の視覚障害者への対応

藤原晴美
横浜訓盲学院

天文学普及講演会

私が初めて一人で国立科学博物館(以下科博と略す)へ出かけて行ったのは、1973年5月19日のことだった。東京天文台(現国立天文台)で紹介していただいた“天文学普及講演会”を聞くためである。その数日前、私は科博に電話で問い合わせをして、講演会が毎月第3土曜日の午後2時から行われていること、入館者は誰でも聞くことが出来ることを確かめた。当時の私の視力は全盲に近い光覚で、初めて入った建物の中を一人で歩くことは不可能だった。だから不安はあった。でも、天文学の話はどうしても聞きたかった。天文台の一般公開に一人で行った私である。科博まで行けば何とかなる。そう思って出かけて行ったのだった。

科博のロビーで、私は「天文学普及講演会を聴きにきたのだがどこへ行ったらいいのか?」と尋ねた。

職員の一人が「どこでそれを知ったのか?」というので、天文台のK先生に紹介されたことと、館に電話をして講演会について詳しく教えていただいたことを説明した。  先方は1、2分ほど小声で何やら相談していた。そして一人の方が、「本館の講堂でやってます。ご案内しましょう」と言って、会場の二階の講堂までつれていって下さった。

それから毎月、私は第3土曜日に科博へ通った。(現在も通い続けている。)

数回通うと、私の顔と白杖に慣れて下さったのだろう、ロビーの案内につめている人の方から、「こんにちは、いらっしゃい。さあどうぞ…」と声をかけて、講演会の会場まで案内して下さるようになった。そして、聴講者の中の私の存在を、講師の先生方も次第にはっきりと意識して下さるようになってきた。すべての方がそうではなかったが、スライドやOHPなどを使っての解説の時、「ここに…」、「このように…」などという言い方ではなく、「○○星の一度ほど西に…」、「コーヒーカップを真横から見たような形の…」などと、具体的な表現をして下さる方もいらっしゃった。

この25年の間に、科博は少しずつではあるが、私たち視覚障害者にも楽しめる所になりつつあるように思われる。

上野本館の紫館の探検フロアにある動物の剥製には誰でも手を触れられるし、一部の機械(ボタンを押すと鳥の声が聞ける)の操作ボタンには点字シールが張り付けてある。簡単な実験に参加出来るコーナーもある。学校などに貸し出すための化石の標本には点字の説明プレートが添えられている。

また、科博で毎月発行している“国立科学博物館ニュース”のカセットテープ版が1988年10月から貸し出されていて、講座や特別展などの情報を私たち視覚障害者も入手できるようになった。科博の教育ボランティアの方々が毎月録音して下さっているのである。1995年の秋、私たちの学校の生徒が特別展「人体の世界」を見学したのだが、私の手元に送られてきているこのニュースのテープが、その事前指導に役立った。

その特別展の見学と、隕石を見に行ったときのこと、そして部分日食の観望会に参加したときのことを述べさせていただきたい。文中の教育ボランティアは各展示コーナーや野外活動で科博の職員の仕事を補助したり、見学者に対して館の案内やいろいろなアドバイスをする人々である。

特別展「人体の世界」

1995年の秋、科博で特別展「人体の世界」が開催された。プラスティネーションという方法で作製された人体の標本が展示されるというので、私たちの学校では高等部の生徒が見学した。弱視の生徒の中にはケースに近づけばガラス越しに中を見ることが出来る者もいたからである。

それが出来ない生徒たちへの配慮はどうするか。私たちは科博の教育部の方や、特別展の事務局の方と何度も相談した。そして、

A.手で触れられるものがあるので、探検フロア「恐竜」と、観察センターでの標本や模型の観察を日程に加える。

B.解剖学会の先生にミニ講演会をお願いする。そのとき、展示されているのと同じ方法で作製した標本を見せていただく。

ということで、見学を実施したのだった。そのときの状況を、私がNIFTY-SERVEの「視覚障害教育ボード」に書いた文章からご紹介する。


探検フロアや観察センターでは、教育ボランティアの方々が観察のポイント、装置の操作法などをとても丁寧に説明してくださいました。ここまでの感想を生徒に聞いたのですが、

などでした。


11時00分‥ 「人体の世界展」一般展示の会場に入る。

来館者が多くかなり混雑している。夏目漱石の脳がある一階のみの見学に変更する。何人かの弱視生徒にはケースの向こう側の標本が分かったようだ。

13時00分‥ 「人体の世界展」専門展示の会場(本館二階講堂)へ。

やはりここの標本は見やすいようである。見学者が多くてなかなか先へ進めない。弱視生徒の中には全盲生徒に説明用のパネルを読んで聞かせる者もいる。(もちろん教員は説明役)

また生徒たちの感想を…。

13時45分‥ 講義とプラスティネーション標本の観察の会の開始。

科学博物館が特別に使用させて下さった部屋で、A大学のT先生、H先生、B大学のM先生のお話を聴く。(解剖学会の先生方です。)

持ってきて下さったプラスティネーション標本を見せていただきながら説明を聴く。

「自分自身の身体を触って確かめて下さい…」と、T先生は観察法を指示しながら話を進めていく。(とても分かりやすいお話でした)。

プラスティネーション標本ですが、

などを見せていただきました。(私も触ってきました)

標本を作るのにシリコン樹脂を使います。手に取った時の上記標本の印象ですが、なんと表現したらいいか…、どれも「プラスチックとゴムの中間のような」手触りでした。

後日、科博の方と特別展の事務局の方にお礼の電話をしたのですが、そのとき、次のような希望をお話ししました。

  1. 本館を移動中、弱視の生徒が「階段の縁が分からなくて恐い」と言っていた。本館の階段の縁を分かりやすくしてほしい。弱視者だけでなく晴眼者もきっと歩きやすくなると思う。
  2. ある全盲の生徒が次のように言っていた。「展示ケースの中が見えないのも、パネルの説明文が読めないのもしかたない。せめて“このケースの中には何が展示されているのか”だけでも点字で書いておいてほしい」この要望が全盲の生徒から出たことに、私自身ちょっと驚き、そしてとてもうれしく思った。透明なタックペーパーなどに点字を書いて展示ケースのどこかに張り付けるのは可能かも知れない。これからぜひ検討していただきたい。「それは全く考えたことがありませんでした。今後の博物館展示で考えに入れて行かなければならないでしょうね。参考にさせていただきます」と、お二方から同じようなコメントをいただきました。

隕石感触会

この話はPC-VANのSIG「ハンディコミュニケーション(J HANDI)」でのメッセージのやりとりから始まった。1996年1月7日につくば市に落下した隕石をきっかけにして、そこのボードの一つが天文の話ですっかり盛り上がってしまい、その中に「隕石に触れてみたい」という視覚障害者のMさんの発言があった。Mさんは「隕石感触会」の命名者である。

毎月第3土曜日に科博へ行っている私の頭の中に、「隕石=村山定男先生=科博」という図式が浮かんだ。一般的な隕石標本なら手で触れることができるかもしれない…。そう思った私は科博の方との打ち合わせを進めていったのだった。

最初にいただいたのは次のようなお返事だった。

「館には貸し出し用の隕石標本があり、その全部ではないが手で触っていただけるものがある。視覚障害者の方に観ていただくのには、次のような方法が可能である。

A.盲学校などの団体に貸し出すので、そちらで観ていただく。貸出については科博に申し込みをしていただきたい。

B.上野本館の観察センターで観ていただく方法。センターが空いている時がいい。火〜金の午前中、第1・3土曜日の午前中にしていただきたい。(日曜や祝祭日は避けてほしい。)

C.申し訳ないが、6個ある隕石標本のうち1個だけが手に取れるだけで、あとはケース内に密閉されている。」

それでは少し物足りないので、化石の標本も見せてもらえないかと話したら即座にOKになった。

Mさんと私は、3月の初めからPC-VANとNIFTY-SERVEで「感触会」への参加を呼びかけた。そして、1996年4月3日、私を含む5人は隕石に触れるという体験をしたのだった。当日の模様を、私がNIFTY-SERVEの「視覚障害教育ボード」に掲載したリポートから引用する。


このボードでご案内した国立科学博物館での「隕石感触会」を、 4月3日(水曜日)に実施しました。参加した視覚障害者は私を含めて5名(うち1名が弱視)でした。私たちは10時半頃入館することが出来ました。春休み中でしたので館内は親子連れが多かったです。まず、「観察センター」がある紫館五階へ直行。用意してあった、古生代、中生代(ジュラ紀と白亜紀)、新生代の生物の化石を、Oさんという科博の方に説明をしていただきながら観察。三葉虫やアンモナイトの化石は保存状態も良く、細かいところまでわかりました。例えば、三葉虫の化石は複眼も触って確認出来ました。

メインの隕石ですが。隕鉄の標本のうちの一個だけが手に取れるようになっていました。アメリカのテキサス州で採取された「オデッサ隕鉄」のうちの一つです。大きさは両方の手のひらの上に乗るくらい。重さは2キログラムほどです。全員がそのずっしりとした重さを体験しました。1時間ほど観察センターにいて、昼食にしました。昼食後私たちは紫館の五階の「探検フロア“恐竜”」に戻りました。動物の剥製(イノシシ、シカ、キツネなど)、鉱物の標本や化石など(レプリカもありましたが)に手を触れることが出来ました。教育ボランティアの方が、恐竜の足跡の化石の説明をして下さいました。このフロアには、ボタンを押すと野鳥の鳴き声が聞こえる装置があります。押しボタンのそばに張ってある点字のシールを読みながら私たちは実際に試してみました。次に四階の探検フロア(光)に移動した私たちは、テコの原理を身を持って体験。腕相撲や椅子に座った人間を持ち上げるなどに挑戦。ここでも教育ボランティアの方々が説明とアドバイスをして下さいました。このフロアにとても強い磁石があるのですが(1000ガウスとか2000ガウスということです)、クギが引き寄せられる様を暫く観察。(参加した皆さん、時計は大丈夫でしたか?)私たちは紫館から本館へ戻りました。もうすぐ14時になろうとしていました。

私たちは相談して、本館の三階の「天文」の展示コーナーを見に行くことにしました。古い天球儀や望遠鏡、隕石の標本などが展示してあります。はい、もちろん皆ガラスのケースの中です。そこで私たちは実は大変なものと「ご対面」となったのです。何だと思います、皆さん? 重さ1.7トンの「南丹(なんたん←中国の地名)隕鉄」の実物がドッカリと座っていたのです!(こんなものが空から降ってくる訳ですから物騒な話ですね!)十数センチの台に乗っているだけですから、みんなで表面の観察をしました。まあ、これだけの重さです。誰ももって行こうなんて思わないでしょう。ハンマーでかきとろうとしても大きな音がしますしね。私は毎月博物館に来ているのですが、こんな所にこんな立派な隕鉄が、しかも手で触れられる状態で展示されていることを全く知りませんでした。天文学担当のN先生からも聞いたことがありませんでした。隣の時計の展示コーナーでは、「からくり時計」(管弦時計と書いてありました)が、時を告げるときの音を再現したものを聞きました。天文や時計の展示コーナーを出たときは15時になろうとしていました。

後日お礼の電話をしたときに、「標本のことは検討させていただきます」と、今回の感触会のお世話をして下さった方がおっしゃいました。

「標本のこと」というのは、観察センターで見た化石の標本のことです。収納ケースにはいくつかの化石が納められていて、一つ一つの化石に、生物の名前、地質年代や産出した所などを記した点字のプレートが添えてあったのです。ところが、プレートの方には標本ナンバーが書いてあるのに、標本の方にはそれがどこにも点字で書いてないのです。(墨字では書いてありますが)そのために、今読んでいるプレートの説明と一致する化石がどれなのかがわからないという事態になりました。

「標本のケースの方にも点字の番号がほしい…」というのが、感触会参加者のその時の要望だったのです。

手で日食がわかった!

1997年3月9日、63%も欠ける部分日食が東京で見られた。その日は日曜日だったので、私は科博で行われた“部分日食観望会”に参加することにした。おそらく日食(皆既日食、金環日食、大きく欠ける部分日食)は、全く目が見えなくても観察できる唯一の天文現象であろう。40%以上の部分日食であれば、体感温度が下降するなどではっきりとわかることを、私は1987年の沖縄金環日食を見た(感じた)経験から確信していた。10年前、私が沖縄の空の下で味わった身体中を駆けめぐる熱い感動を、他の視覚障害者の人たちにも経験してもらいたい……。そう思ったので、「一緒に日食を見に行きませんか」とパソコン通信上でも呼びかけたのだった。

私たち(全盲3名、弱視2名、難聴1名、晴眼者2名)は9日、午前9時の科博の開館と同時に本館屋上のドームに入り、大勢の見学者と一緒に太陽投影板のすぐ近くで、太陽が元通りの円盤にもどるまで日食の全経過を見届けた。そのときの様子を参加者の1人(全盲)は、NIFTY-SERVEの「視覚障害教育ボード」に次のように書いている。著者のお許しをいただいたのでご紹介する。

宇宙のドラマ、日食を見ました

今は昨日になってしまいましたが、藤原さんに誘われて上野の科学博物館へ、グループで日食の観察に行って来ました。私は全盲ですが、行ってみて非常によかったです。

年号は不正確かもしれませんが、私が子供の時に、昭和17年ごろと昭和23年ごろに日食があったように覚えています。ローソクの火でガラスを煤煙により黒くして太陽を見た覚えがあります。大人になってからは、視力がほとんどなくなった昭和33年に日食がありました。この時は、あたりが薄暗くなったことが少ない視力でもわかりました。

今日は博物館の約20センチ直径の望遠鏡で、専門家の解説つきで久しぶりに日食観察が体験できました。午前9時の開館とともに入りましたが、日食はすでに始まっていました。子供と大人で数十人ほどいましたが、日食を見る興奮の声が聞こえました。大勢で望遠鏡を見るために、太陽を画面に投影していました。太陽の大きさは約30センチに映っていました。実際は右上方から日食が始まったのですが、投影のため左上方からに見えたようです。太陽の黒点もはっきりとわかるようです。そして日食の境界線で月の表面の凹凸がシルエットになってはっきりとわかるようです。大気の動きで画面が時々少しゆらぐようですが、その場の説明で現実感があります。近くの人が、私の手をとって、投影されている太陽光線のところと、日食のところとで温かさの違いを教えてくれました。手で日食を感じるなんて想像もできませんでした。とてもうれしかったです。10時前後に日食が最大の63%となりました。そこでAさんに案内されてドームの外へ出ました。太陽光線が少なくなって、少し寒くなったことを確認しました。弱視のBさんによると、空もやや暗くなり、いつもと違う空の色だそうです。文字通り手と全身で日食を体験しました。


全盲が、視力と最もかけ離れた日食を、科学博物館まで見に行くなんて、何と物好きだろうと思う人があるかもしれません。

行けば人々の興奮や感動の声が伝わって来ます。そして専門家の魅力ある解説が聞けます。その上にこちらが、その専門家に質問もできます。

望遠鏡は昭和6年の日本光学製で、博物館開設以来の歴史的に由緒あるものです。この望遠鏡で、どれだけ多くの天文学者とアマチュア天文家が育ったことでしょう。

全盲と弱視にかかわらず、こんなに恵まれた観察の環境と機会はないのではないでしょうか。

以上の三つの体験から、科博のような所へは、全盲を含む視覚障害者の場合は5、6名の小グループで入館するか、盲学校の生徒たちのような団体では、入館後は5、6名の小グループに分かれて行動するのが望ましいと私は思う。

12年ほど前、私は科博の普及課の方から次のようなお話を伺った。「当館としても、障害者の方々にも見学を楽しんでいただきたいし、催しに参加していただきたい。福祉ではなく、社会教育施設のビジネスとして、そのためのいろいろな配慮をして行かなければならないと考えている。しかし、残念ながら障害者の方の来館が非常に少なく、我々はどう対応すればいいのか、何をしなければならないのかがわからない」

展示物に手を触れられる。点字や音声で説明が分かる。館内を安心して移動できる。視覚障害者にも見学を楽しめるそのような博物館や美術館の登場。それはすぐには実現しないであろう。しかし、「展示物に手を触れられないから…」、「説明のパネルが読めないから…」と、私たちがそこに近づかなかったら現状はいつまでたっても変わらない。どんな工夫をすれば視覚障害者がそのような社会教育施設を利用出来るのかを関係者に分かって貰うためにも、もっと頻繁に足を運ばなければならないと私は考えている。大勢の視覚障害者に博物館や美術館へ出かけて行って欲しい。そして、入館者として気づいたことや、いろいろな要望をその館の関係者に伝えてほしいのである。


(※本編は、1996年5月に行われた“TRONイネーブルウェア研究会”でのパネルディスカッションのために書いた、私の予稿の一部に修正を加えたものである。)

[目次]五感で楽しめる博物館を

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