神奈川県立生命の星・地球博物館

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1996年5月15日発行 年4回発行 第2巻 第2号 通巻5号


自然科学のとびら


Vol. 2, No. 2  神奈川県立生命の星・地球博物館  May, 1996


今号の目次

表紙「クロサギ」(当館学芸員 中村一恵)
学芸員研究ノート「サルの群れの『父子関係』」(当館学芸員 広谷浩子)
北アメリカ東部の博物館をたずねて」(当館学芸員 大島光春)
博物館情報システムQ&A」(当館情報システム担当 鈴木智明)
海底の化石―オフィオライト―」(当館学芸員 小出良幸・新井田秀一)
神奈川の自然シリーズ1「丹沢の化石サンゴ礁
  (東海大相模高校教諭・1995年度当館外来研究員 門田真人)
催しものの案内・館の活動記録
ライブラリー通信「マラコフィラテリーって何だ?」(当館司書 土屋定夫)
新収資料紹介「カーティスのボタニカル・マガジン」(当館学芸員 木場英久)

クロサギ(黒色型) Egretta sacra (Gmelin)
中村一恵(当館学芸員)
クロサギの写真(沖縄県石垣島)
沖縄県石垣島にて 中村一恵撮影

 クロサギとは「黒いサギ」の意ですが、実際には、煤色をした中型(平均で全長58センチ)のサギの一種です。ニュ-ジ-ランドからオ-ストラリア、東南アジアの海岸部にかけて生息する南方系のサギです。日本の本州はクロサギの分布の北限域に当たります。なかでも、房総半島や相模湾沿岸は太平洋側の北限の生息地となっています。そのため、もともと数の少ないサギで、県下では城ケ島と真鶴岬が営巣地として知られているだけです。神奈川県レッドデ-タ生物調査報告書(1995年)では絶滅危惧種に判定されています。
 クロサギと言っても、写真のような黒色型とシラサギのように全身が白い白色型とがあり、ややこしいのですが、白色型が多く見られるようになるのは九州以南の地域です。岩礁の海岸で餌を探し、とくにカニを好んで食べます。

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学芸員研究ノート サルの群れの「父子関係」
広谷浩子(当館学芸員)

父子関係に注目
 人間の社会では家庭における父の不在がとりざたされて久しいですが、私たちにもっとも近いサル社会に関しても、父子関係や社会におけるオスの役割が新たに問題にされるようになっています。DNAを用いた父子関係の判定や、10年以上にわたって特定の個体をめぐる社会関係の変化を追う長期的研究によって、これまで単純に「父と子」とみられていたオスとコドモの関係にいろいろなものがあることがわかってきたのです。
 そもそも、だれがみても明白で密接な結びつきをもつ母子関係と違って、父子関係は不確定要素の多いものです。「ぼくの腕のなかにいるこの子は、本当にぼくの子なのか?」という疑問は多くの生物のオスに共通で根元的なものです。サルの社会でも、献身的に育児をするオスと子どもの父子関係を判定したところ、生物学的には父子でないという結果が多々生じていることがわかりました。オスは実に間抜けなことをしているようですが、一定の行動パターンとして定着しているからには、それなりの理由があるにちがいありません。特定のオスとコドモの間の一見父子のような関係を紹介し、その意義について考えてみましょう。
育児行動
 オス-コドモ交渉の代表的なものは育児行動です。中南米に生息する小型のサルであるマーモセット・タマリンは、母親以外の家族が積極的に育児をすることで有名です。これまで、育児をするオトナのオスは父親と考えられてきました。しかし、複数のオトナオスがいる一妻多夫型の群れも多く報告され、血縁にかかわりなくどのオトナオスもよく育児に参加していることがわかりました。赤の他人のオスは、次の繁殖のチャンスをふやすために積極的に育児をおこなっていると考えられます。
オスとコドモの同盟
 父子のようだと注目されるもうひとつの交渉は、主として攻撃などの場面でみとめられます。オスは特定のコドモといつも行動を共にしていて、コドモが誰かに攻撃を受けると助けます。オスが他のオスと対立して緊張状態が続くと、オスはコドモを相手のオスに差し出し、攻撃などの緊迫した状態が回避されます。コドモが自らオスの腹の中に飛び込んで2頭のオスの間に入ることもあります。このようなペアでは、オスは母親のようにコドモを腹の中に入れて運んだり、グルーミングしたりすることも頻繁にあります。こうした関係は、サバンナヒヒ、マントヒヒ、チベットモンキー、バーバリーマカクなどで観察されています。

マントヒヒの写真
その実例をマントヒヒでみてみましょう。マントヒヒはエチオピアからアラビア半島の一部に生息するやや大型のサルで、1頭のオスが中心のハレム型ユニットがいくつか集まって、数10頭から100頭前後の大きなグループをつくります。(写真:エチオピア・アワシュ国立公園のマントヒヒの群れ)エチオピアで観察した野生群では、オスとコドモが実によく声をかわし合っていましたが、その時の細かい行動までは観察できませんでした。そこで、1993年の冬に鹿児島市の平川動物園にいるマントヒヒの群れを観察しました。群れの個体数は29頭で、ハレムは4つあり、その他ハレムを持たないオスが9頭いました。オスとコドモの間でかわされる交渉は、以下のようなものでした。
 事例1 ハレムを持ち、群れの中でもっとも優位なオスAが来ると、ハレムを持たないオスBは2歳のコドモにかけより、コドモを背中にのせてAに近づいていき、Aの眼前で方向転換して立ち止まり、お尻を見せる。AはBを無視し、コドモはBから離れる。
 事例2 ワカオスCが群れの誰かとけんかをする。その後、ワカオスCは生後1ヶ月ぐらいの赤ん坊を胸に抱いて、事例1のオスAを見ながら近づいていく。オスAとワカオスCは、見つめあいながらグーゴ・グーゴ・グーゴとなきかわす。
 このように、マントヒヒでは、オスはけんかだけでなく、お互いの緊張をやわらげるあいさつにも、自分が懇意にするコドモを使っています。いくつものハレムが共存し、ハレムを持たないオスも複数いるマントヒヒの群れでは、オス間関係をどのように調整するかが重要です。オスたちは、顔をのぞきこんだり、自分の生殖器を相手の眼前に呈示したりするあいさつを、いつも頻繁にかわしています。そして緊張がたかまって爆発寸前になると、切り札としてコドモを登場させて、その場のムードをやわらげるのです。
 このように、「父子関係」とは、コドモには保護・食物の確保を保証し、オスには繁殖の機会や他のオスとの共存を実現する、双方が利益を得るような社会関係であるとわかりました。これらは、オスたちが競合しながらも共存するような社会で認められました。
緊迫したオス-コドモ関係
 これとは対照的に、オス同士がし烈に争い、群れののっとりがよく起きるような社会もあります。そこでは、オス-コドモの関係も、時に「子殺し」という緊迫した形にまで至ります。のっとりに成功したオスが、群れにいる赤ん坊を次々にとらえ殺していく行動は、最初ハヌマンラングールというインドのサルで発見され、大きな話題になりました。その後、アフリカ産のオナガザル類など20を越える種で見つかり、いくつかの種では定着した行動とみなされるようになっています。
 自分の子どもをできるだけたくさん残すという究極の目的は同じなのに、オスたちが激しく争う種と、複雑な社会交渉によって調整する種とがいるのは、興味深く、メスとの関係も加えて、さらに考えていきたいものです。

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北アメリカ東部の博物館をたずねて
大島光春(当館学芸員)

1. はじめに
スミソニアン自然史博物館の写真
休暇を取って同僚の佐藤君と北アメリカ北東部へ行きました。主な目的は,博物館の見学でした。全部で8館を訪れたのですが,ここでは代表的な3館を紹介します。ワシントンD. C. のスミソニアン自然史博物館(写真),ニューヨークのアメリカ自然史博物館,トロント(カナダ)の王立オンタリオ博物館です。

2. スミソニアン自然史博物館
 ここでは客員研究員(当時)の大路氏に案内していただきました。大路氏は佐藤君の学生時代の指導教官で,ウミユリの研究者です。無脊椎動物部門の研究室と液浸標本収蔵庫を見せてもらうことができました。収蔵庫の中は,40m四方くらいに感じられました(写真:スミソニアン自然史博物館の無脊椎動物部門液浸標収蔵庫)。
同博物館、無脊椎動物部門液浸標収蔵庫の写真
床面積は当館の大収蔵庫(昆虫と液浸を除いた全ての資料が収まっている)より少し狭いくらいだと思います。この広さの収蔵庫が液浸だけで4フロアあると聞いたときには,我が耳を疑いました。全ての収蔵庫の体積(面積でもいいけど)を合わせるといったいどれくらいの量になるのでしょうか。
 展示室も広いのですが,研究スペースの広さ,収蔵スペースの広さが日本の博物館とはけた違いでした。
 恐竜の展示室は吹き抜けの2階部分が展示替えのために閉まっていましたが,1階部分には昔から図鑑の写真で親しみのある(古くさい)展示でした。

3. ワシントンのおすすめスポット
 カニ屋さんThe Dancing Crabでブルークラブを半ダース注文しました。するとテーブルには大きな紙が敷かれ,ナイフと木槌がのせられました。そして床にはバケツが置かれました。そのうち香辛料をまぶされ真っ黒なガザミを持ってきたウェイトレスが「初めてか」と聞くので,「初めてだ」と答えるとレクチャーが始まりました。はさみの付け根にナイフを当て木槌でガンガンたたきます。そこからバキッと割って「ほーらでてきた」身は溶かしバターなどをつけて食べます。あとはひっちらかしながらガンガン割って,食べて,殻はバケツへ。最後に紙をグシャッと丸めてこれもバケツへ。とそんなわけで遊び感覚で,おいしいカニを食べられて楽しい体験でした。

4. アメリカ自然史博物館
 ここでは,当館所蔵のケース・コレクション(化石軟骨魚類の歯)を収集されたG.R.ケース氏に案内していただきました。
 伝統のある博物館ですが,最近エントランスホールのバロサウルスを後脚で立たせたことで話題になりました。私のお目当ては最近更新された恐竜展示室でした。鳥盤目と竜盤目の2つの展示室に分けられており,どちらも大変充実していました。
 当館ではパネルで説明している恐竜の咀嚼サイクルが,実物大の動く模型で再現されていました。とにかくすごいのは実物を組み立てたり,パネルマウントしたものが,ところ狭しと置かれていることでした。さすがは恐竜発掘・研究の老舗です。
 もちろんすごいのは恐竜ばかりではなく,哺乳類化石,特に大型哺乳類について,理解しやすい展示がなされていました。ウマやゾウの系統的な展示はよくあるのですが,私の研究テーマである化石イノシシついての展示は初めて見たので感激しました。

5. ニューヨークのおすすめスポット
 博物館を見学中,ケース氏にのどが渇いたといったら,売店のある薄暗いホールへつれて行かれました。シロナガスクジラの模型をつるした大きな展示室でした。そこでケース氏がビールをおごってくれました。鉱泉水で造ったThe Rolling Rocksというビールだそうで,すっきりしていました。たとえていえば甘くないラムネのような感じでしょうか。クジラの腹の下で飲むThe Rolling Rocksはおすすめです。

6. 王立オンタリオ博物館
 今回訪れた博物館の中で唯一の総合博物館です。ここに留学して魚竜の研究をしている藻谷氏の案内で,古脊椎動物の収蔵庫やプレパレーション室(化石の剖出作業などを行う),研究室等を見せてもらうことができました。
 プレパレーション室にはいろいろな道具がありました。特に感心したのは環状照明付き蛇頚実体顕微鏡でした。実体顕微鏡が水平方向に自由に動くアームに取り付けられており,対物レンズの周りには環状照明があるので,影のない像を観察できる優れものです。
 ここの恐竜展示はイグアノドン類やカモノハシ竜のパネルマウントで有名なのですが,新しくマイアサウラ・プロジェクトと銘打った展示がされていました。カモノハシ竜や角竜の頭骨化石もすばらしい標本なのですが,大画面に映し出されるマイアサウラの行動を復元したCGがよくできていました。豊富な収蔵品を有する博物館でも,新しい展示手法にチャレンジする姿勢が感じられました。

7. トロントのおすすめスポット
 カナダ国鉄のユニオン駅のオンタリオ湖側に高さ553.33mのCN Towerがあります。ここの展望台の床の一部がガラス張りなのです。私が高所恐怖症気味のせいかもしれませんが,この地上数百メートルのところにある3m×5m位のガラスの床は普通ではありません。梁のところを綱渡りするような感じで歩いていると,佐藤君に押されて死ぬかと思いました。

8. おわりに
 今回訪れた博物館は世界最大級です。ですが,やっぱり日本の博物館と比べたくなってしまいます。前述の収蔵庫や研究設備の他にも,キュレーターの数,テクニシャンやデザイナーの有無など,伝統の差だけではない,姿勢の違いがあるように思われます。

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博物館情報システムQ&A
鈴木智明(当館情報システム担当)

はじめに
 インターネットだ、マルチメディアだ、と巷で何かと話題のコンピュータ。もちろん県立生命の星・地球博物館でも様々なところで活用されています。ここではその中でもミュージアムライブラリの検索コーナーで多くの方々に利用されている博物館情報システムについて、いくつかの意見・質問などからマルチメディアを利用した新しい博物館情報の提供について再確認したいと思います。

「博物館情報システムとは何ですか」
 博物館情報システムとは、博物館業務の柱である資料の収集・管理、研究、展示、広報・普及活動をコンピュータをはじめとする最新の情報機器・基盤により支援するシステムです。メインは、膨大な収蔵資料に関するデータを管理する「収蔵管理システム」、分布図などの地図情報の作成や衛星から送られてくるデータを加工し環境の状態や変遷などを調べる研究系のシステム、その研究成果をミュージアムライブラリの検索システムで分かりやすく提供する「展示情報システム」があります。また,広報・普及や図書管理を支援するシステムなど全部で8つのシステムからなります。(現在は「収蔵管理システム」と「展示情報システム」のみが稼動しています)

「この検索システムはCD-ROMで動いているんですか」  検索メニューの一つ「神奈川の自然」では、鳥や植物などの種の画像と解説、鳥に関しては分布図と一部ですが鳴き声も提供しています(写真:神奈川の自然―鳥:鳴き声も聞けるよ)。
神奈川の自然―鳥―の一こま
このような内容のソフトは市販でも見受けられます。では、そういった市販のソフトと、この博物館独自の検索システムとではどう違うのでしょうか。実は鳥の画像や解説文などのデータは、ライブラリのパソコンにあるのではなく、3階のCPUルーム内にあるサーバと言われるコンピュータに格納されています。このコンピュータとライブラリのパソコンが同軸ケーブル(10BASE-5,T)で結ばれており、データのやり取りをしているわけです。またこのサーバは、学芸員が普段使うパソコンや、地図や衛星画像を作るコンピュータ(ワークステーション)とも繋がっています。このことにより、例えば収蔵管理システムで管理されている位置情報から分布図を作成し、行政界地図や衛星画像などと比較し、結果を検索システムで提供することにより、自然環境の変遷が分かりやすく知ることが出来るといった学芸員の研究成果情報が、すぐに検索システムに反映される、常に最新の情報が提供できるといったシステムを目指しました。(システム間の連携については現在は未稼動です)

「ほかの博物館の情報は見ることはできますか」
 残念ながら見ることは出来ません。しかし当館の情報はインターネットやパソコン通信で提供されています。博物館の概要や交通手段などの情報は、小田原市のホームページ(URLはhttp://www.space.ad.jp/vcity/Odawara/Museum/index-j.html。ただし近々変わるかもしれません)や国立科学博物館のホームページでなどで紹介されています。また、収蔵資料の一部、魚の生態写真や標本写真などをデータベース化した「魚類写真データベース」の一部をパソコン通信(COPERNICUS:株式会社ケイネット)で提供しています。
 将来的には、神奈川の自然などの検索システムや収蔵資料データをインターネット上などで提供したり、他の博物館との情報ネットワークを構築したいと考えています。

「このシステムはどのような人を対象にしているんですか」
 ミュージアムライブラリにおいて私たちは、自然についてより深く知識を得、高度な学習をも進めたいという方に応えるため、図書等の学習利用の環境整備と併せてこの情報システムの整備を進めてきました。ここでは、利用者自身がパソコンを操作して必要な情報を検索します。図書館で必要な文献を調べるように、目的を持って情報を得たい、じっくりと何度も利用する、という人を対象としています。

「CD-ROMには出来ないのですか」
 検索システムをCD-ROMにして、学校などで教材として活用したいという意見がありました。また、収蔵システムの一部をCD-ROMにして博物館外で学芸員が利用するといった活用方法もあります。ネットワーク以外にもこのように有効な情報伝達手段があれば、いろいろと利用したいと考えています。なおCD-ROM化についてはぜひ実現したいと考えています。

「情報システムの今後は」
 検索システムは、「相模湾の魚」と、県立歴史博物館のメニューである「絵馬の検索」を今回、新たに追加しました。メニューは今後も増やす予定です。また収蔵資料に関する情報の整備も続けています。将来的には他の博物館や教育施設等、各家庭とのネットワークを構築したいと考えています。

最後に
 情報がデジタル化したことにより、表現方法や利用方法が大幅に拡大しました。図鑑から鳥の鳴き声が聞こえたり、図録や目録、論文等の情報をキーボードを叩くだけで得られるなど紙からデジタルへと変わることによる便利さは皆さんよくご存じだと思います。日進月歩に進化する情報環境に合わせて利用者のニーズも拡大します。博物館は今後のそのようなニーズに応えるため博物館情報システムを中心に情報提供基盤の整備を進めて行きます。

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海底の化石―オフィオライト―
小出良幸・新井田秀一(当館学芸員)

日本と海
 日本は、海に囲まれた島国です。日本人は、農耕民族として生きてきましたが、海とは親密な関係を持ってきました。海は、昔から輸送路として活用されてきました。また、海は、食物の重要な供給源でした。現在では、海は娯楽の対象ともなっています。神奈川県も例外ではありません。衛星写真で見ると神奈川県の海岸線が変化に富んでいることがよくわかります(写真:南関東地方のリモートセンシング画像)。
南関東地方のリモートセンシング画像
なだらかな海岸線とギザギザの半島、直線的な埋め立て地と海岸線の種類も様々です。川崎港、横浜港、三浦半島、湘南海岸、大磯海岸、早川漁港、真鶴半島などよく耳にする海岸がいっぱいあります。神奈川の海岸は、商業・工業・漁業そして行楽地として今も利用されています。海は、人間の生活だけでなく、大地の生い立ちとも密接な関係を持っています。実は日本列島は海によって作られていると言ってもいいほどなのです。では、日本列島と海の密接な関係をみていきましょう。
三浦半島と房総半島
 神奈川の大地は、丹沢山地と箱根山地を除くと、ほとんどは土砂がたまった堆積岩からできています。堆積岩の中に埋もれたように一風変わった岩石が三浦半島にあります。テカテカした紺や青、黄緑などの斑(まだら)模様の岩石があります。その色や模様が蛇に似ているため蛇紋(じゃもん)岩と呼ばれます。蛇紋岩はマントルを作っていた岩石が水によって変化した岩石です。蛇紋岩と一緒に、玄武(げんぶ)岩と呼ばれるマグマが急に冷えて固まった岩石も混じっています。蛇紋岩や玄武岩は、堆積岩ではなく火成岩と言われるマグマからできた岩石です。回りにある堆積岩とは異質な岩石です。蛇紋岩や玄武岩は、房総半島にもあります。房総半島の中央部の鴨川市から富山町に東西に細長く分布します。嶺崗帯と呼ばれる地帯で、蛇紋岩を中心とした岩石からできています。その中に玄武岩の破片やその他変わった岩石が色々混じっています。房総半島の蛇紋岩は三浦半島より広く分布しています。両者の岩石は、分布の広さは違っていますが、構成が非常によく似ているため同じような起源であると考えられています。今では三浦半島と房総半島は浦賀水道で切れていますが、もともとは三浦半島の蛇紋岩と房総半島の蛇紋岩が連続していたと考えられています。
海底の化石
 蛇紋岩や玄武岩が一緒に分布する地帯は、日本列島の各地にあります。このような地帯の岩石を詳しく見ますと一番下に蛇紋岩があります。その上にマグマがゆっくりと冷え固まったはんれい岩と呼ばれる粒の大きい岩石があります。その上には玄武岩の板状のものが立てて並べられているような岩脈(がんみゃく)群があり、その先は枕の形をした丸い玄武岩に変化しています。丸い玄武岩は枕状溶岩と呼ばれ、マグマが水中で噴火した時にできる特別な形です。枕状溶岩が積み重なった上には、チャートと呼ばれる深海にたまる堆積物が固まったものがあります。このような岩石の集まりはオフィオライトと呼ばれています。現在の海底の岩石は海底調査船でボーリングをして調べられ、オフィオライトと同じものであることがわかってきました。オフィオライトを調べれば、手軽に海底の岩石を調べられます。陸地に上がっているオフィオライトはいずれも昔のもので、海底の岩石のタイム・カプセルと考えられます。オフィオライトを調べれば、海底の歴史が陸地で調べられます。
日本を作るもの
 日本列島を見ますと、同じ時代のオフィオライトや珊瑚礁を作っていた石灰岩と陸上から来た堆積物がセットになって一つの地質帯として列島と平行に何列か並んでいます。そして後の時代のマグマの活動がそのセットを貫いて起こっています。オフィオライトと堆積岩と火成岩が日本列島を作っていることになります。どうしてオフィオライトのような海底の岩石が陸に上がるのでしょうか。その謎のカギは海にあります。日本列島の太平洋側には海溝があります。海溝は海底の岩石がもぐり込むところです。海溝では、海底の表面にたまっていた堆積物がけずり取られて、陸に付け加わっています。しかし、時々海底深部の岩石が陸側に押し込まれることがあります。そのような状態が何度も繰り返されていくうちにオフィオライトは陸の高いところに押し上げられていきます。そして地表に表れたものがオフィオライトとして私たちが見ることができるのです。日本列島は海と陸が常に押し合っているところなのです。そして日本列島にはいつしか、海底の破片が積み木のように集まってきたのです。日本列島は昔からオフィオライトが陸地に上がるような場所だったのです。日本列島は海からできたと言えるのです。日本や世界のオフィオライトの岩石類をジャンボ・ブックのトピックスに展示してありますので、どうぞ実物を見て下さい。

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神奈川の自然シリーズ1

丹沢の化石サンゴ礁
門田真人(東海大相模高校教諭・1995年度当館外来研究員)

1993 年 10 月 24 日(日)、丹沢山中の北西部、加入道山(1418 m)で化石調査をしていた私の目は、異様な石ころを疑視していたのです。3 m 先のガケのなかに卵大の薄汚れた大理石があり、そしてこの調査地点では見掛けた事のない彫り込み模様が浮き出ていました。「マサカ…」、「本当だろうか」、落石を起こさないように登山靴を静かに運び、石をそっと掴んで目にちかづけルーペで覗きますと、頭髪が一斉に立った…ような衝撃が走ったのでした。『これはオウムガイの構造だ!』。
加入道産オウムガイ科アツリア化石の写真
海抜 1300 mの沢で見つけた加入道産オウムガイ類化石の第一号でした。その後 20 回に及ぶ調査行で 16 個のオウムガイ類化石を採取できました(写真:加入道産オウムガイ科アツリア化石)。その他に、サンゴ類化石、スイショウガイ類化石など、現在は熱帯地方にしかいない生物化石と 1500 万年前の時代を示す有孔虫化石も同時に採取できました。
 こんな具合に、僅か 40 m幅の局所にオウムガイ類化石が集中して見つかった例は日本に於いては始めてのことです。日本の幾つかの地点で、1500 万年程前の地層の中からオウムガイ類化石が見つかっていますが、いずれも、死後古黒潮(太古の暖海流)によって日本へ運ばれて来て地層中に埋没したものと解釈されています。しかし私はこの丹沢には地質時代にオウムガイ類が生息していたのではないかと考えていました。そのように考える経緯を次に書きます。1978 年のこと、丹沢南部の皆瀬川流域に産出する石灰岩を調査中の私達は、小さなオウムガイ類化石1個を見つけました。同時に有孔虫や造礁サンゴの化石も見つけて地質学雑誌に報告文を載せました。次いで、『丹沢山地には 1500 万年前の熱帯のサンゴ礁がある。』と発表したのは 1982 年の日本古生物学会に於いてでした。
 その後も同僚の末包さん、高校地学部員、登山部員の協力を得て調査を続けた結果 50 種類近くの造礁性サンゴ化石が見つかりました。しかも現生では琉球列島まで南下しないと見ることのできないアオサンゴ、ヨロンキクメイシサンゴ、アナサンゴモドキなどという究め付けの熱帯種化石もあったのです(写真:山北町人遠産キクメイシサンゴ化石)。
山北町人遠産キクメイシサンゴ化石の写真
これならオウムガイ類が生息していても不思議ではなく、むしろ当たり前と考えていました。以来探し続けたオウムガイ類化石は、加入道山の大理石の中から、今回ついにまとまって見つかりました。完全個体として出たものはひとつもないのですが、風化面に残された殻構造を観察した結果絶滅種のアツリアの仲間に同定できました。また、復元すると 10 ~ 15 cm の直径の殻であったこともわかったのです。
 丹沢化石サンゴ礁のもうひとつの特徴は、活発な活動を繰り返す火山島の周辺で生成されたことにあります。生きたまま火山灰に埋まったショウガサンゴやハマサンゴの大きな群体の化石や、周辺の緑色凝灰岩がそれを物語っています。
 大陸や列島から離れたところの火山島が 1500 万年前の丹沢だったのです。
 丹沢で見つかった化石サンゴ礁は、いま重要な証拠として注目されています。フィリピン海プレートにのって南方からやって来たのです。
 私が設定している次の課題は丹沢がどのくらい南にあったのか、どの方角から北上して来たのかという謎に少しでも迫ることです。
 そのためには、丹沢に分布しているサンゴ石灰岩と同時代の石灰岩を見つけて、その中の化石を対比する研究をしなければなりません。今、関東・東海地方の調査をほぼ終えて、九州・沖縄地方へ足を延ばして謎解明の手掛かりを探しています。

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ネイチャー・ライブラリー1
マラコフィラテリーって何だ?
土屋定夫(当館司書)

 世界中のどこの国にもマニアがいるだろうと思われるものに切手収集があります。私たちが通常使っている切手を普通切手と言いますが、この普通切手の図案には動植物を用いる決まりがあるそうです。3月に1,000 円の最高額の普通切手が発行されましたが、図柄は戦国時代の画家、雪村周継の代表作の一つである「松鷹図」を使っています。私たちがよく使うのは50円と80円切手でしょう。図柄はそれぞれ「メジロ」と「ヤマセミ」です。偶然、鳥ばかりになってしまいましたが、他にも自然を扱った切手はたくさんあります。それらを集めて本にしたものもありますので、少し紹介しましょう。
 一番多いと思われるのが昆虫の切手です。『図説昆虫切手の博物誌』(築地書館)では、蝶や甲虫をはじめ、蜂やトンボ、蚊、さらにはゴキブリの切手にまで話は及んでいます。また、日本郵趣協会昆虫切手部会が発行した『世界の昆虫切手』には驚かされます。書名のとおり、世界中の昆虫切手、約 3,500点の詳細データが記録されています。昆虫の学名・和名・科名まで調べ上げてあり、マニアックと言っても過言では無いでしょう。
 貝の切手にも美しいものがあります。『世界の貝切手―軟体動物切手総目録―』(長崎県生物学会)には、綺麗な貝等がカラーで紹介してあり、小学生の頃集めていた、琉球郵便の貝切手シリーズを思い出させてくれました。また、『貝の博物誌』(保育社)によると貝切手収集のことをマラコフィラテリーと呼び、貝切手を集める人をマラコフィラテリストと言うそうですが、こちらもかなりなものです。
 他に『蝦と蟹―切手をめぐるその自然誌』(恒星社厚生閣)、『カニ百科』(成美堂出版)、『虫屋のよろこび』(平凡社)等があります。最近では、未来文化社が「切手ミュージアム」と銘打って、『よみがえる恐竜たち』『クジラ・イルカと海獣たち』を出版しました。自然切手の世界は、まだまだ広がりを見せそうです。

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新収資料紹介
カーティスのボタニカル・マガジン
木場英久(当館学芸員)

 博物館では、展示資料を維持したり新しいものに取り替えたりする仕事の他に、資料を集めたり、研究をしたり、観察会を開いたりと、いろいろな仕事をしています。ここでは、1995年度に新しく収集した資料の中から、『カーティスのボタニカル・マガジン(植物雑誌)』を紹介いたします。
世界最古の原色の科学的刊行物
 カーティスのボタニカル・マガジンは、庭園や温室などで咲く外国の植物を紹介する目的でつくられた雑誌です。種ごとに詳細で美しい原色の植物画と学名、形態の解説、栽培に役立つ情報などが記されています。イギリスの薬種協会の園芸学の教授をしていたウイリアム・カーティスが1787年に創刊しました。ですから初期のものは、出版されてから、200年以上もたっています(写真:カタクリ(ユリ科);第1巻で紹介されています)。カラー図版入りの科学的な刊行物としては、世界最古のものといわれています。
カタクリの写真
さらに特筆すべき点は、この雑誌は今日までほとんど中断することなく発行され続けているということです。さすが、ヨーロッパ。基礎的な研究を大事にして、コツコツと伝統を作り上げていく姿勢には感心させられます。日本も神奈川県も見習いたいものですね。
18世紀イギリスの植物調査の集大成
 ボタニカル・マガジンが創刊した18世紀のイギリスは、園芸に関する関心が高まった時期で、園芸業者などはプラントハンターと呼ばれる人々を派遣して、世界中の植物を調べていました。北米や、当時はあまり西欧人が足を踏み入れることの無かった南アフリカ、ヒマラヤなどの地域にも調査隊を派遣しています。調査というより探検だったかも知れません。その結果、それまで知られていなかった植物がたくさん発見され、それらの世界各地の植物が、この資料には掲載されています。
ガクアジサイの写真
ただし当時は、カラー写真が発明される前だったので、出版するためには植物画を書く以上に良い方法がありませんでした。さらに、カラー印刷の技術もなかったので、銅版による線画に一枚ずつ手書きで着色されています(ガクアジサイ(ユキノシタ科))。「命の短い花を、正確に描きとめたい」という画家の熱意が、200年の時を越えて伝わってくる気がします。
ヨーロッパに紹介された日本の植物
 カーティスのボタニカル・マガジンには、当時のヨーロッパの人々がまだ知らなかった植物などが、いきいきと描かれています。その中には、カタクリ、ガクアジサイ、アヤメなど、たくさんの日本の植物も含まれています。私たち日本人には見慣れた植物も、ヨーロッパの人々には奇妙な花に見えたことでしょう(アヤメ(アヤメ科))。
アヤメの写真
 初めてヨーロッパに紹介され、学名が付けられた種類や、ほとんど知られていなかったり、それまできちんと図示されたことがなかった植物も、この資料にはたくさん含まれています。ですから、日本や世界の植物を科学的に研究するためには、この雑誌はなくてはならないものなのです。
自然誌の情報の拠点としての博物館
 今回購入した資料は創刊号から1983年に発行された184巻までの、オリジナルな完全なセットです。当博物館では、1994年以後の新しい号も購入し続けているので、途中の10年ほどを除けば、創刊以来のボタニカル・マガジンを所蔵しているわけです。この雑誌の他にも、多くの資料を、継続的に収集・保存しております。それは、当博物館が、自然誌に興味をもつ人々に、役立つ情報をできるだけ多く備えていたいと思うからです。

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