神奈川県立生命の星・地球博物館

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1997年2月15日発行 年4回発行 第3巻 第1号 通巻8号


自然科学のとびら


Vol. 3, No. 1  神奈川県立生命の星・地球博物館  Feb., 1997


今号の目次

表紙「曹長石(そうちょうせき)」(当館学芸員 平田大二)
学芸員研究ノート「化石動物群」(当館学芸員 樽 創)
櫻井欽一博士とその足跡−出逢いと運命−」(館長 濱田隆士)
特別展で展示される櫻井鉱物標本の内容」(客員研究員 加藤 昭)
神奈川の自然シリーズ4「岩石の宝庫−酒匂川」(当館学芸員 山下浩之)
ライブラリー通信「困った時の櫻井文庫」(当館司書 土屋定夫)
新収資料紹介「オオカミの頭骨」(当館学芸員 中村一恵)


曹長石(そうちょうせき)Albite,NaAlSi3O8

産地;岐阜県恵那郡蛭川村田原
サイズ;左右約15cm
井上久美子氏撮影

平田大二(当館学芸員)

岩石をつくっている主な造岩鉱物中、長石族鉱物は日本の多くの火成岩に含まれている珪酸塩鉱物です。長石族鉱物はアルカリに富むアルカリ長石系列と、ナトリウムまたはカルシウムを主成分とする斜長石系列を含みます。曹長石は斜長石系列のうちもっともナトリウムに富む種です。色は無色あるいは白色から灰色、ガラス光沢があります。比重2.6、硬度6〜6.5。結晶形態は板状、柱状、葉片状などで、葉片状のものは花崗岩ペグマタイトに特徴的にみられます。表紙写真は、当館所蔵の櫻井鉱物コレクションに含まれる標本で、日本の花崗岩ペグマタイトの産地として有名な、岐阜県苗木地方に産したものです。葉片状の結晶集合が曹長石、白いのはカリ長石、黒いのは黒水晶です。

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学芸員研究ノート 化石動物群
樽 創(当館学芸員)

1.化石動物群(Fossil Fauna)

 化石動物群とは,「ある地域のある時代の地層中から産出する化石群集に基づいて考えられる動物群集」です(地学団体研究会編:『地学事典』平凡社より)。化石動物群からは,古環境の解明や地層の年代対比などの研究が行われます。例えば,中国大陸では,日本のように時間面を対比できる火山灰層が非常に少ないので,この動物群が地層の新旧の判断基準になっています。

 化石動物というと,化石軟体動物,化石魚類,化石哺乳類などいろいろなものが含まれますが,それぞれの分類群について化石動物群を考えることができます。また,現生の生物群では調査地域のすべての生物種を対象としますが,化石動物群の場合は,すべての種は含みません。

2.日本の化石哺乳動物群

 日本の化石哺乳類としては,新生代第四紀のものが数多く見つかっています。その化石哺乳動物群の一つに,ナウマンゾウ(Palaeoloxodon naumanni)に関連したものがあります。第四紀に生息していたナウマンゾウは,化石の数も多く,各地から発見されていて,また一緒に生息していた動物もたくさん見つかっています。ナウマンゾウと一緒に生息していた哺乳動物としては,トガリネズミやジネズミの仲間,コウモリの仲間,ニホンザル,ウサギ,ネズミやムササビの仲間,オオカミやキツネ,タヌキ,クマ,トラ,ヒョウ,サイ,イノシシ,ニホンムカシジカ,ヤベオオツノシカ,バイソン,ステゴドンゾウなど小さな動物から大ききな動物までさまざまです。これらの化石は,長野県の野尻湖,青森県,岩手県,栃木県,岐阜県,山口県,福岡県の石灰岩地域の洞窟などからナウマンゾウ化石と一緒に発見されています。ナウマンゾウと一緒に産出したこれらの動物群に基づいて,第四紀更新世後期の古環境が推定されています。それによると森林性のネズミの仲間が多く産出していることから,森林環境が卓越していたことがわかります。また,動物群は同じ時代のユーラシア大陸の動物群とは大きく異なる,日本固有種が多かったことがわかっています。このことから,ナウマンゾウを含む日本の動物群は,温帯の森林環境の日本特有のものであったことを示しています。また,ナウマンゾウも温帯の森林に生息していたゾウと推定できます。

 ナウマンゾウを含む化石動物群が発見された地層の年代を調べると,動物群の様子が時代を追って変化していることがわかります。動物群の様子が変化したということは,ユーラシア大陸から新たに動物が渡ってきたことを意味します。このような動物群の変化と,貝や有孔虫の殻の酸素同位体比から求められる海水温,植物相の変化などから推定される当時の気候を照らし合わせると,どのようなルートで動物たちがユーラシア大陸から日本に渡ってきたのか推定することができます。例えば氷河期に動物の種類が増えたのならば,海水面が下がって朝鮮半島から九州北部を通って渡ってきたか,あるいはサハリンから北海道を通って渡ってきたのかという推定ができです。

 現在島国である日本には,それほど多くの,また大型の動物は渡ってくることはできません。ユーラシア大陸から隔離された日本の動物群は,ナウマンゾウを初めとする大型草食獣や肉食獣が絶滅したあと,より固有度の高い動物群に変わりました。

 ナウマンゾウの発見された地層と同じ時代の地層かははっきりしませんが,瀬戸内海の海底からナウマンゾウを含む多くの哺乳動物の化石が発見されています。これらの化石は,底引き網漁のときに網の中にはいっていることがあるのです。瀬戸内海から発見されるこれらの化石は、採集される量が多いことから、各地の博物館に収蔵されています。神奈川県立生命の星・地球博物館にもその標本は保管されていますが、多くは、故櫻井欽一博士が収集したコレクションに含まれています。このコレクションの中にはナウマンゾウの他に、ヤベオオツノシカ(Sinomegaceros yabei)やニホンムカシジカ(Cervus praenipponicus)などが含まれています。


(写真:ナウマンゾウの臼歯:櫻井コレクションより)


(写真:ニホンムカシジカの下顎<上>とヤベオオツノシカの下顎<下>:櫻井コレクションより)

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櫻井欽一博士とその足跡−出逢いと運命−
濱田隆士(館長)

 「エ、いらっしゃいまし!」
威勢の良い声が奥のお帳場から玄関先に飛んできます。神田須田町一丁目といえば、それだけでもチャキチャキの江戸っ子が誇りにする一角。
 神田のとり料理「ぼたん」となると、おそばの「藪」と並んで界隈の名だたる老舗(しにせ)。その「ぼたん」のご主人が櫻井の欽ちゃんと、誰からも愛された町の“アマチャ学者”櫻井欽一先生です。もちろん声の主。
 専修大学を中退。ご本人は、筋だった勉強なんざしてませんヨ、とあっさりいなされてしまいますが、鉱物学というまことにお門違いの畠で押しも押されもしない世界の大御所。自ら発見された「湯河原沸石」という美しい鉱物の研究で東京大学で理学博士の学位を取っておられます。
 鉱物の先生ならどんな堅物(かたぶつ)かと思われそうですが、とんでもない柔者(やわもの)。歌舞伎・相撲・怪談・探偵小説・マンガ「さざえさん」びいきで河童研究家でも通用する、まことにマルチな方なのです。それだけに、博士号の時はマスコミ界が大騒ぎでした。

押しかけ小僧
 その櫻井欽一先生の座しておられるお帳場に、ある日一人の中学生が上がり込んでいました。終戦で転勤の父親について九州から上京してきた田舎っぺの男の子でした。途中、京都で西にこの人ありとうたわれた鉱物の大家、日本鉱物趣味の会を主催する益富寿之助(ますとみ かずのすけ)先生の紹介をもらってきたというのです。
 どこがどう気に入られたのか、その子の「ぼたん」通いが始まります。櫻井先生が風邪で伏せっておられるのにその枕元でクダを巻くような存在にまでなってしまうのです。好きだけで鉱物がわかるわけではありません。適切な標本をいくつも出しながら丁寧な手引きをしてくださるという大幸運に恵まれた男の子は、鉱物の肉眼鑑定術という変わったジャンルにのめり込んで行きました。


(ミネラルショウにて。1993年6月)

無名会という修練の場
 櫻井先生は、東京中心に無名会というアマチュア鉱物家集団を一手に引きうけて主催しておられました。月1回の例会、そして時折り皆で出かける採集会。皆(オール)出席に近いフィーバーぶりの男の子は、いつの間にかその無名会の通知係となり、学校はそこそこに、ますます鉱物熱に浮かされていったのでした。
 櫻井先生は、科学博物館の嘱託も兼務しておられました。戦時中に、博物館を“占拠”していた日本軍は、冬の寒さをしのぐため鉱物標本を中庭にブチマケて、入れ物の木箱を燃やして暖をとりました。その小山から標本類を一つ一つ洗って、ラベル合わせをして元に戻す作業の指揮をとっておられたのです。
 男の子はこれに飛びつきました。何しろ、世界・日本の名産地からの鉱物・岩石・化石が手にとって見られるのです。当然、鑑定能力はグーンとアップし、石の面(つら)だけから産地まで当てられるようになり、無名会での成績もなかなかのものになったようです。

貝に凝る
 いつの間にか時は過ぎ、仲間だった子供たちはそれぞれの大学へ職場へと進みました。東京大学地質学教室というまさに正道を歩まれた中には、一つ年上の加藤昭さんがいました。男の子はどう道を過ったのか、横浜国立大学の化石の大先生である鹿間時夫先生の所に入門していました。鹿間先生は、アダナをホネという本来脊椎動物化石専門の先生でしたが、壺、民俗布地、印材、コケシ、貝の世界でも名の高いコレクターで、しかも櫻井先生の“悪友”でもあられました。
その鹿間先生の悪影響をモロに受けた青年は、化石を放り出して、一緒に現生の貝集めにのめり込んだのです。コレクターライバルの櫻井先生の貝集めが同時に始まりました。二人の大家の間に見えがくれするその道専門家に奥谷喬司さんがおられたのが、どうやらら事を勢いづけていたようです。

櫻井標本室
 青年は、結局、鹿間先生の許でも化石をやらず、鉱物に近い変成岩類をテーマに卒論を書いてしまい、そのうえ東京大学地質学教室の誇る小林貞一教授の大学院で化石を学ぶ、などと言い出す始末でした。どうやら鹿間先生の後押しもあったようですが、それでも規定の五年を過ぎ、めでたく博士課程を終えることになったのでした。
 櫻井先生は、目標とされた『日本鉱物誌』の完成を急がれると共に、貝と化石集めに一層の磨きをかけておられ、その結果、1960年「櫻井標本室」が完成し、益富先生と青年との共著になる『原色化石図鑑』にもそこから多くの逸品が収載されました。コレクターのパワーと、天才的な学者気質とが併せて発揮され、町のアマチャとの自称がますます光り輝いたものでした。

コレクション オブ コレクションズ
 ところが、鹿間先生、益富先生に続いて、1993年、櫻井先生までもが後を追うように他界され、日本の三巨星が一気に落ちる悲しい事態となりました。ご遺族のご配慮から櫻井コレクションの対比用日本産鉱物標本・外国産鉱物標本および貝類標本は、由縁の深い国立科学博物館へ。そして、研究遺品の数々を含め、残りのほとんどが生命の星・地球博物館へ収められ、館が力を注いでいるコレクションオブコレクションズに花を添えることになったのでした。奇しくもそれに先立って、競い合っていた鹿間貝類コレクションが同じくそこに収まっていました。因縁とはそんなものなのでしょうか。
 そして、その生命の星・地球博物館の館長の座には、かつての押しかけ小僧の姿がありました。特別展「櫻井コレクションの魅力」の開催を目前に、ひとしお深い思いで振り返る彼なのでした。

[目次]


特別展で展示される櫻井鉱物標本の内容
加藤 昭(客員研究員)

櫻井欽一博士は、日本にどういう鉱物の種類があるかを知るため、日本各地から標本を集められました。一種類の鉱物でも、色々な異なった産出状態(略して産状)を持っていますから、それらも明かにしよう、そのためには、それを標本という証拠を集めることで実現しよう、と考えました。博士は、昭和二十二年十二月、日本鉱物誌第三版(上)という本を、東京大学理学部鉱物学教室の伊藤貞市教授と共著で出版しました。この本は、当時日本で知られていた鉱物約百八十種の形態・産状・産地・化学組成などについて記述しています。日本鉱物誌という本は、日本にどういう鉱物が出るかを確認するため、まず標本を集めて調べ、その観察結果を内容としたもので、第一版・第二版がそれぞれ明治三十七年、大正五年に出版されており、第三版(上)はその方法を踏襲したものです。
博士は、第三版(上)出版後、第三版(下)を出すために標本を集め、研究しました。それには日本産の主な種類で、間違いないとして同定された、いわば基準標本を頼りに、それと比較しながら集めた鉱物を同定し、標本とするという方法が取られました。
この間、日本の鉱物の種類の数はふえ続け、現在は一千種類を超えています。博士はそれらの標本を集めるかたわら、観察結果を原稿にして出版に備えました。しかし博士は、平成五年十月六日、八十歳で永眠されました。原稿用紙六千枚を超える原稿と、日本産鉱物基準標本・同定済標本・未同定標本計約三万点、他に外国産標本約二万点を遺されました。御遺族の御厚意により、これらの内基準標本・外国標本は、博士が永年館友であった国立科学博物館に、残りが当館に寄贈されました。また、これと共に、博士が御自身で蒐集された化石標本二千点余も当館に寄贈されました。今回は、これらの中から、鉱物約百六十点、化石約二百点が展示されることになります。
鉱物については、
  1)中学校や高等学校の教科書に出てくる造岩鉱物 2)大きな結晶のよく出るペグマタイト鉱物   3)比較的珍しい鉱物のあるスカルン鉱物  4)沸石族鉱物
の四つの区分を設けて展示します。
(磁鉄鉱.茨城県西茨城郡友部町)

(白雲母.福島県石川郡石川町)

造岩鉱物とは、岩石を造る鉱物という意味で、岩石は、地殻を構成する鉱物の集まりからできている、一連の地質現象の産物です。火山の火口から流れ出したマグマが溶岩となって流れ、それが冷えて固まれば岩石になります。火成岩の一つの火山岩の出来方の一つです。花崗岩と言う岩石も、地下深いところでマグマが固化したもので、火成岩の一つである深成岩という区分に属します。今回の展示では、中学校や高校の理科の教科書に出てくるいくつかの岩石を構成する鉱物の中で、代表的なものを御覧に入れます。石英・長石・橄欖石・輝石・角閃石・雲母といった名前は御存じと思います。これらの中で石英以外は、鉱物の族の名前で、その中に少ないもの(橄欖石族)で十数種類、多いもの(角閃石族)で六十数種類が含まれています。これらの大きな区分として、石英や長石のようなものを珪長鉱物(あるいは無色鉱物)と総称し、橄欖石・輝石・角閃石・雲母などを鉄苦土鉱物(あるいは有色鉱物)というようなことが教科書に出ていると思います。しかし、日本の教科書なので、日本の土地柄に合わせた内容になっています。それは、珪長鉱物にもう一つ、準長石という族があるのですが、日本では、準長石は非常に数が少なく、また肉眼で見えるものはほとんど産出しないので、教科書では触れていません。しかし、たった一箇所、霞石という準長石族の一つの種の肉眼で見えるような集合が、島根県浜田市長浜という所から産出します。今回は、この標本を展示します。また、火成岩が風化・分解して崩れ、構成鉱物の一つである磁鉄鉱という鉱物が、水の働きで砂の中に集まったもの、すなわち砂鉄の地層の中での様子がわかるような標本も展示されます。
次のペグマタイト鉱物のペグマタイトとは、花崗岩などを構成する鉱物の粒が大きくなったもので、巨晶花崗岩とも呼ばれます。また、その中には、地殻の中で比較的量の少ない元素が集まったり、他では見られない鉱物が出てくることがあります。これらの中で、ペグマタイトに特有の鉄電気石の標本を始め、結晶の大きな標本や、比較的珍しい種類の標本を展示します。
 スカルン鉱物とは、石灰岩のような岩石が花崗岩質マグマなどによって貫かれた際、その熱と、マグマから発散された水蒸気を初め色々な物質が石灰岩と反応して、石灰岩の中に含まれているカルシウムと反応して造られる鉱物を指す言葉で、多くカルシウムを主成分とします。スカルンの形成に伴って、銅・亜鉛・鉛、時に金・銀などの鉱物が造られることもありますが、今回はスカルン鉱物中、比較的珍しい種類を含めて陳列しました。それらの中には、世界で最初に日本から発見され、日本の地名や人名がついた種類もあります。その他に、石灰岩のカルシウムの代わりにマンガンが含まれていると、マンガンスカルンと呼ばれる、マンガンを主成分とした鉱物が生成されます。マンガンを主成分とする鉱物の中には、美しいバラ色のものもあります。
(錫石.茨城県西茨城郡七会村高取鉱山)

(湯河原沸石.神奈川県足柄上郡湯河原町不動の沢)

沸石族とは、沸石と呼ばれる、四十種類程の鉱物の分類上の集団です。日本にはそのうち三十三種類を産します。これらは、すべてカルシウム・ナトリウムあるいはカリウムとアルミニウム・珪素・酸素・水が結合したもので、それらを構成している原子の並び方に隙間があり、多量の水分を含みます。マグマが固化したあとに残った水分からできたり、火山灰が積ってできた地層と水分とが反応して出来たり、あるいは温泉のような地下を移動している溶液から沈殿して造られたりするものです。櫻井博士は昭和二十七年、神奈川県湯河原町不動の瀧から、それまで世界のどこからも知られていなかった新しい種類を発見、『湯河原沸石(Yugawaralite)』と命名して発表しました。『湯河原』という地名は、鉱物学者、特に沸石専門の研究者にとっては、世界に通用するものになっています。今回の展示では、湯河原沸石を含めて二十点程の沸石を展示しました。なお、この鉱物は神奈川県で発見された唯一つの新しい鉱物種です。
さて、鉱物の標本の観察ですが、動植物の標本の場合とはかなり違います。例えば獣の剥製標本であれば、この獣はこんな風にして歩いたり、走ったりしただろう、こんな風に成長して行くだろう、ということが想像ができます。植物の場合でも、種から芽が出て、大きくなって、葉が出て花が咲く、それが実をつける、そして何時かは枯れる、ということも我々は知っています。鉱物の場合は、動植物と違って生命力がありませんから、そこにあるものを見ても、何を想像したらよいか、すぐにはわかりません。また、動物も植物も、形がその種類の特徴である場合がよくあります。しかし、鉱物には形がその種類の特徴であるものも少なからずありますが、何時でもそれが見られるとは限りません。ですから、鉱物標本について、何を見たらよいかがわからず、またラベルにある名前が、標本の中のどれを指すかわからない場合もあれば、標本との取組が一層難しくなります。
しかし、次のような方法もあります。例えば、野外で一匹の動物を見たとします。この事実を、『その地点を中心として、その動物の行動半径内にその動物の餌、すなわち成長に必要な栄養の源となるものがある。』というように解釈することができます。これを参考にして、鉱物の場合も、『大きな結晶があるということは、それが出来る時、そこはその種を造る成分の供給が続くような場であった、まわりの条件がその成長を促進した。』というように考えることが出来ます。ただ、鉱物の場合、『他のものを差し置いて、その大きな結晶をなす種類が優先的に造られたのは何故か。』というように、その先その先と考えを続けることが出来ます。これはペグマタイト鉱物のように、大きなものが出てくる場合と場所に適用できる考え方です。実際には、それを造った物質が移動しやすかった、早い結晶成長に都合のよい条件があった、ということになります。
鉱物標本というものは、ラベルにある鉱物名を、実物と対応させて見ることが出来るようになるだけでも、一つの進歩です。再び動植物との比較に戻りますが、動植物の標本の場合、ラベルにある名前と実物との対応は簡単です。しかし、鉱物の場合は、すでにそこに一つ、自分が標本をよく見ることで、名前を実物と対応させるという経験が出来ます。これが出来ることを、一つの進歩であるというように考えると、鉱物標本の観察というものは、動植物の場合と比べて見方が難しい、しかしその難しさを自分の進歩に変えることが出来る、ということでは、動植物の標本とは違った意味を持たせられると思います。数ある標本の中で、一つでも二つでも、こうしたことが試みられれば、鉱物標本の科学的な見方や見どころを、自分の力でものにできるようになる第一歩を踏み出したと言えます。

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神奈川の自然シリーズ4

岩石の宝庫−酒匂川
山下浩之(学芸員)

はじめに
 神奈川県の西部には、酒匂川という川が流れています。富士山麓および丹沢山地に源流をもち、山北、足柄平野を経て相模湾に注ぐ全長27.2kmの川です。酒匂川が何故、岩石の宝庫なのでしょうか。その秘密は、酒匂川が流れる大地にあります。

岩石のできかた
 酒匂川の大地つくる石を見る前に、石について少しふれておきます。石は、でき方によって大きく3つの種類に分けることができます。マグマが冷えて固まってできる火成岩。泥や砂、礫が積もってできる堆積岩。火成岩や堆積岩が、熱や圧力の影響により別の石に変わってできた変成岩の3つです。これらの岩石はさらに細かく分けることができます。火成岩は、マグマの冷え固まる速度と、マグマそのものの化学組成によって細かく分類されます。堆積岩は、泥や砂などの粒の大きさ、または、石灰岩やチャートなどのように構成物質によって分類されます。変成岩は、受けた熱や圧力の違いによって分類されます。火成岩や堆積岩、変成岩のできかたはそれぞれが密接にかかわり合っています。堆積岩や変成岩が溶ければ、マグマができ、火成岩になりますし、火成岩や変成岩が細かく砕けて、泥や砂となってたまれば堆積岩になります。これらの3つの岩石は、地球46億年の歴史の中で、形を変えながら存在し続けているのです。

川の役割とは
 川の役割とは何でしょうか。川には、高いところにある水を低いところに運ぶだけではなく、もう一つ重要な働きがあります。それは、川のまわりの大地を削りとる作用、削りとったものを運ぶ作用、そして、最後に削りとったものを堆積させる作用です。この働きによって、山は削られ、平野がつくられるのです。

酒匂川の大地
 酒匂川の背景にある大地を見ると、酒匂川の背景の地質は、大きく4つに分けられます。それは、箱根火山と富士山、丹沢山地、山北盆地です。
 箱根火山はおよそ50万年前から活動した火山です。箱根火山は、火成岩の中の、安山岩や玄武岩という火山岩でできています。富士山も火山です。ほとんどが、玄武岩という火山岩でできています。
 丹沢山地は非常に複雑です。ここには、丹沢層群という、およそ1500万年前の火山活動でできた地層がひろがります。岩石名は、火山灰や火山砕屑物が積もってできた石で、凝灰岩と呼ばれるものです。このほかに、熱帯性のサンゴの化石を含む石灰岩も見られます。丹沢山地の中心部には、深成岩の石英閃緑岩という、火成岩の一種があります。さらに、凝灰岩と石英閃緑岩の接触部では、もとの石が熱や圧力によって別の石に変わってしまった、変成岩も見られます。特に、石英閃緑岩体の南側では、主に圧力による変成でつくられた、結晶片岩という岩石が見られます。逆に、石英閃緑岩の北側では、主に熱による変成でつくられたホルンフェルスという岩石が見られます。この中には、県の天然記念物に指定されている、結晶質石灰岩(大理石)や菫青石ホルンフェルス(いぼ石)などが含まれています。
 山北盆地は、主に足柄層群というおよそ200〜100万年前の地層からできています。足柄層群は、フィピン海プレートにのって南の海からやってきた伊豆半島が、本州に衝突したときに伊豆半島と本州の間にあった海でできた地層と考えられています。ここでは、泥岩や砂岩、礫岩などの堆積岩が見られます。他の地域の石と較べて、できた年代が新しいために、比較的、軟らかいのが特徴です。

おわりに
 簡単に酒匂川の背景にある大地を構成する岩石を紹介しました。これら以外にもまだいくつかの岩石がありますが、とにかく、酒匂川の背景にはたくさんの種類の岩石があることがわかったと思います。これらの石は、河原に行けばみることができます。しかし、酒匂川のどこでも見られるわけではありません。山北盆地よりも上流の御殿場では、足柄層の岩石を見ることはできません。いちばん良く観察ができるのは、酒匂川の河口です。ここでは、先に紹介したすべての石が流れつきます。しかし、近年、丹沢湖や堰がつくられ、洪水がなくなったために、かつてよりは上流から石が供給されなくなりました。 もし、石に興味がありましたら、酒匂川の石図鑑をつくるのも面白いのではないでしょうか。

おまけ
 余談ですが、博物館では「酒匂川地学散歩シリーズ」という本を刊行しています。現在、石の巻、地形の巻が発行されており、酒匂川の石、および、周辺の地形についての案内が書かれています。石に興味を持たれたら、この本を手に酒匂川を歩いてみて下さい。


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ライブラリー通信
困った時の櫻井文庫
土屋定夫(当館司書)

 当館のライブラリーには、個人名を冠したコレクションの「文庫」がいくつかあります。昭和39年に植物分類学の研究者で、箱根町に住んでおられた澤田武太郎氏の旧蔵書、約1,700 冊が寄贈されて「澤田文庫」として現在も利用されています。この文庫には、日本では数冊しかないと言われる、18世紀刊行のケンペルやツンベルグの著書も含まれています。それらを目的に来館される方もいるほどです。
 また、このたび特別展が開かれることになった、鉱物学者の櫻井欽一氏の旧蔵書も平成7年に寄贈されました。この「櫻井文庫」には、鉱物学関係のほかに古生物学や貝類学、魚類学等の図書・雑誌があり、その数は一万点以上にもなります。
 専門書は言うに及ばず、読み物風のものまで収集してあり、櫻井氏の人柄が窺えます。また、著者からの献呈本も多く、その交流の幅広さがわかります。何と、若かりし頃の当館の濱田館長の署名本もあったりして‥‥。
 規模の大きな寄贈があると、当然のことながら、その分野の資料に厚みが出てきます。以前は所蔵の有無を問われると、「ありません」と答えざるを得ないことが多かったのですが、「櫻井文庫」が入ってからは、まさかと思われる資料にまで、たどり着くことができるようになりました。ライブラリーでは“困った時の櫻井文庫”と呼んでいます。
 この二つの文庫は当館にとって、とても大切な宝物になっているのです。

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新収資料紹介
オオカミの頭骨
中村一恵(学芸員)

 96年度に収集した資料の中から、北アメリカ産のオオカミ(Canis lupus) の頭骨標本を紹介します。

 生物界の中でもっとも明瞭な単位は個体でしょう。個体がその構造的、機能的な統合性を維持することにより、生命は維持されています。基本的な単位である個体の集合が個体群であり、互いに遺伝子やコミニュケ−ションの交換可能な集団としてのまとまりが種(species)と 呼ばれるものです。逆の見方をすれば、個体には、種や科に共有される構造的、機能的な統合性が集約されているということになります。
 1個のオオカミの頭骨、すなわち個体から引き出せる情報とは何か、他の食肉類と比較しながら、標本を観察してみましょう。
 ライオン、オオカミ、クマなどは食肉目・裂脚亜目に分類されます。平たく言えば、いわゆる猛獣と呼ばれる動物たちがこの仲間です。
 すべての食肉類(目)は裂肉歯と呼ばれる歯を持っています。裂肉歯は上下1対の奥歯のことですが、専門用語で言えば、上あごの第4前臼歯と下あごの第1臼歯が裂肉歯に変わっているということです。 


オオカミ(KPM-NF1002014)の裂肉歯の位地

 写真ではツキノワグマ、オオカミ、ライオンの頭骨を、下あごをはずした状態で、その裏側を示したものです。矢印で示した歯が裂肉歯です。
 食肉類が肉を切る歯は、鋭い牙(犬歯)と思われがちですが、そうではなく、裂肉歯をハサミのように使って、肉を切るのです。オオカミの裂肉歯は、あごの関節する部分と、あごの先端部との間のおよそ中間のところに位置しています。上あごと下あごを噛み合わせると、上あごの裂肉歯は下あごの裂肉歯におおいかぶさるようになります。私たちがハサミを使って紙を切るときの原理と同じで、 上下の裂肉歯をスライスさせて肉を切ることができるのです。

 裂肉歯の位置に合わせて、クマ、イヌ、イタチ、ライオンの前臼歯と臼歯の歯列(図参照)を見てみると、同じ食肉類でも、その形態はさまざまであることがわかります。クマには2本の大きな臼歯がありますが、オオカミでは奥の1本は小さくなっています。ライオンには、とても小さな臼歯が1本あるだけです。
 クマは食肉類ではあっても、その食性は基本的には草食または雑食性です。そのため裂肉歯としての発達はあまり認められません。文字通り「臼状」の臼歯のかたちがそのことを語っています。
 イタチやネコは完全な肉食性の動物です。ネコ科の動物の歯の数は上下合わせて30本であるのが一般的です。哺乳類の基本的な歯数は44本ですから、かなり歯を減らしてしまったことになります。そのため吻部が短縮しています。
 一方、イヌ科の動物の歯数は42本であるのが一般的です。ネコ科に比べて、イヌ科の吻部が長い傾向にあるのはこのためです。つまり、歯列の形態や機能が変化したり、歯の数が減ったりしなかったということが、イヌ科の頭骨に見られる大きな特徴です。特殊化の程度がネコ科に比べてイヌ科では低いことになります。歯の数ばかりでなく、イヌ科の動物は構造上いろいろな点で原型的な特徴を保持しています。
 かつてオオカミは、単一種としてもっとも広い分布域を持っていた哺乳類でした。ツンドラ、砂漠、高山、草原、森林などなど、あらゆるタイプの環境に進出できたのも、ネコ科の動物に比べて形態上の特殊化の程度が低いうえに、環境や食物選択が柔軟性に富み、ネコ科のように贅沢ではなかったからでしょう。

 平成10年度に「オオカミとその仲間たち(仮称)」という特別展を予定しています。オオカミからイヌへの「進化」の話題を中心に、イヌ科動物の世界を展示・解説いたします。

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