神奈川県立生命の星・地球博物館

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1997年5月15日発行 年4回発行 第3巻 第2号 通巻9号


自然科学のとびら


Vol. 3, No. 2  神奈川県立生命の星・地球博物館  May, 1997


今号の目次


アカバナヒメイワカガミ(イワウメ科)

Schizocodon ilicifolius Maxim. f. purpureiflorus Takeda

箱根大涌谷から早雲山への途中(1995年5月23日)
勝山輝男撮影

勝山輝男(学芸員)

アカバナヒメイワカガミの写真

 5月の箱根はどこへ行っても花が咲き、1年でもっとも華やかな季節です。箱根の冠岳へ登る途中から左へ、早雲山へのトラバース道に入ります。やがて大きな岩がごろごろとしたところに出ます。このあたりの岩の上にはアカバナヒメイワカガミがびっしりと生えています。ちょうど5月の連休を過ぎた頃より、淡紅色の可憐な花を咲かせます。ヒメイワカガミ S. ilicifolius は関東地方、中部地方、紀伊半島に分布する常緑の多年草で、神奈川県では箱根と丹沢の高地に見られます。関東地方北部に分布するものは白色の花をつけますが、神奈川県などの太平洋側山地のものは淡紅色の花をつけます。これをとくにアカバナヒメイワカガミ f. purpureiflorus と呼んでいます。

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研究ノート 地球の大地を作る岩石 ―花崗岩―

小出良幸(学芸員)

青い星・地球

 太陽系第3惑星の地球は青い星です。地球を宇宙から見ると、青だけでなく、白や緑、茶色などの色も見えます。青は海の色で、白は雲と雪、氷の色で、緑は植物の色で、茶色は砂漠の色です。何といっても、多いのは青色です。地球は海のある星なのです。

 地球の表面の7割が海です。地球が水の惑星と呼ばれる由縁です。海は地面では広い面積を占めますが、海水の量は地球全体から見ればそれほど多くはありません。海水が一番厚いところでも、10キロメートル程度です。地球の半径6400キロメートルと比べると微々たるものです。海水の下には、海底を作る岩石が、5から10キロメートル程度の厚さであり、海洋地殻と呼ばれています。海水と合わせても20キロメートルに足りません。

 宇宙から見える緑と茶色の部分と白の一部が陸地です。陸地は、地表の3割しかありません。陸地を作っている大陸地殻は、海洋地殻と比べて厚くなっています。20から60キロメートル、厚いところでは100キロメートルほどあります。地表に住んでいる私たちが感じる広い海も、地球全体からみると主要な構成メンバーとはいえません。逆に見かけの面積は少ないのですが、大陸は厚さでは海洋をはるかに凌いでいます。

地球を作る岩石

 私たちの立っている大地を見ましょう。足元には、泥や土、砂、石ころ、草や木の根があります。このようなものは大地のほんの上っ面にすぎません。その下には岩石があります。岩石には様々なものがあります。大陸を作る岩石は花崗岩と呼ばれ、海底を作る岩石は玄武岩と呼ばれます。花崗岩は、白く粒が粗く軽い岩石で、新しいものから古いものまで色々な時代にできたものです。玄武岩は、黒くて粒が細かく緻密で重い岩石で、比較的新しい時代に形成されたものです。海洋では、玄武岩が薄く広がり、大陸では花崗岩が厚く重なっています。地殻の下にはマントルがあります。マントルはカンラン岩と呼ばれる重い岩石からできています。地殻はマントルの上に浮いているのです。マントルと地殻で地球の半径の半分を占めます。内側の半分は金属の鉄でできている核と呼ばれる部分です。地球の外側半分は岩石でできてます。

アメリカ合衆国の花崗岩大陸の花崗岩(アメリカ合衆国ヨセミテ公園)

花崗岩

 花崗岩を作っているのはいくつかの限られた鉱物(造岩鉱物)です。白っぽい斜長石、赤味のある白いカリ長石、透明な石英がたくさんあります。その他に、色の濃い鉱物(有色鉱物)がごま塩状に入っています。黒くてペラペラはがれやすい黒雲母、黒くゴロッとした角閃石などがあります。造岩鉱物はその成分によって色や形が変わることがあります。造岩鉱物の組合せや量比、つくりの違いによって、様々な花崗岩できます。

 花崗岩のできた年代を見ますと、古いものが多くなっています。最近できものはありません。大陸の古い花崗岩は、しばしば熱や圧力で変成岩と呼ばれる見かけの全く異なったものになっています。古い花崗岩しかないのは、マグマが地下深部でゆっくり冷えて固まって花崗岩ができるからです。地下にある岩石が地表に出るには、深部の岩石が大地の変動によってめくれ上がったり、上にある岩石が河川の浸食でなくなったりしなければなりません。このような大地の営みは、長い時間が必要です。そのため、地表に顔を出している花崗岩は古いものが多いのです。

大地のできかた

 多種多様な花崗岩はどのような仕組みでできたのでしょうか。その謎は、比較的新しくできた花崗岩を調べればわかります。「最近」できた花崗岩が顔を出しているのは、日本列島のように火山活動の激しい地域と、ヒマラヤ山脈などの大山脈地帯です。いずれの地域も、プレートテクトニクスでいうところの、プレートの会合部です。

 列島では、大陸プレートに海洋プレートが沈み込んでいるところです。山脈地帯は大陸プレート同士のぶつかっているところです。プレートの会合部で起こっている共通のメカニズムが、花崗岩を生み出しているはずです。

 プレートの沈み込み帯では、沈み込むプレートが深部に入るにつれて、含まれている水が絞り出されます。絞り出された水は上にある大陸プレートに入っていきます。深部の熱い岩石に水が加わりますと、溶け出します。溶けたマグマが上昇すると別の溶けやすい岩石を溶かし花崗岩マグマを作ります。ぶつかるプレート地帯では、堆積物や岩石が厚く積み重なり、大山脈になります。厚くなった地殻の深部は地球内部の持っている熱であつくなっていきます。岩石にもともと含まれていた水と地球の熱によって岩石が溶け出します。そのマグマが花崗岩を作ります。

地球の固有の花崗岩

 花崗岩は、水の存在とプレートテクトニクスの働きによって初めてできる岩石です。液体の水は、地球では少なくとも38億年前から存在します。火星ではかつては水が存在したのですが現在ではありません。他の天体でも、固体の水(氷)はよくありますが、液体の水がそれも長い年月にわたって存在する「海」と呼べるようなものはありません。何枚にも分かれたプレートが活動している天体もありません。プレートテクトニクスというのは、地球固有の営みなのです。

 ですから、他の天体では花崗岩はできそうにありません。実際にどの天体からも花崗岩は見つかっていません。花崗岩は、地球を象徴するプレートテクトニクスと水によって形成されるのです。花崗岩は地球を特徴づける岩石だったのです。

 大陸を作る岩石をジャンボブックで展示しています。各種の花崗岩の実物資料から大陸の不思議を感じて下さい。

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友の会ができました!―ライブな博物館をつくりましょう―

濱田隆士(館長)

開かれた博物館を目指してオープン

 1995年3月20日。それは神奈川県にとっても、日本の博物館界にとっても、意義深い日となりました。サリン地下鉄事件の最中、まさに激動のわが国に、あかるい話題を提供できただけでも、「生命の星・地球博物館」のオープンというできごとは意味があったと自負しています。

 博物館は、名前が変わっているから人気が出る、という筋合いのものでないことは言うまでもありません。地球環境問題が人類の上に重くのしかかっている時代ですし、情報のグローバル化が急速に進んでいる事態でもあることを思うと、正しい地球理解が何よりも大切というコンセプトが当然生まれてくることになるでしょう。

 しかし、ただ石や生物標本を並べておけばという訳にはいかないでしょう。楽しく、わかり易く見ていただく必要があります。そこで、手で触ってもよい、写真を撮ってもよい、身障者の方にも来ていただける、地域の人々に親しんでもらえる、そんなイメージから、「開かれた博物館として」というキャッチフレーズで開館することになったのでした。

目玉のない博物館のこころみ

 最近の博物館や水族館、公園といった所には、やたらと恐竜の姿が目立ちます。もちろん、恐竜は世界中の人々が関心をもっている“地球アイドル”と呼べる存在ですから、招き猫ならぬ招き恐竜などという表現までとび出したくらいです。

 ○○美術館に行けばセザンヌが見られる、△△水族館にはシャチがいるゾ、といった世の風潮は大切です。PR効果の大きな“展示アイテム”を創り出すのが、博物館運営の基本的な筋道だ、と永らく言われてきました。しかし、生命の星・地球博物館としては、意識してその流れに逆らった方針を打ち出したのです。

 来館者の一人ひとりが、帰られる時に「あ〜、あの石はきれいだった!」「チョウチョウって何て美しいんだろう!」と思ってくださった時、それこそがその方にとって、この館の目玉展示なんだ、と解釈することにしたのです。博物館はたくさんのメニューを用意する役目を背負っていて、お客様側に目玉を選ぶ権利と役割がある、と主張する新しい立場に立ってみたのです。

ミニ地球の博物館にしよう!

 生命の星・地球博物館という、大きな名前でデビューしてみたものの、さてその中味をそれに相応しくしようとすると、これはなかなかの大事業です。もともと、私自身は、「地球は、それ自身が博物館」と言い続けていましたしかし、地球の全てが一つの博物館に収まるはずはありません。面白い所、美しい物、貴重な石、感動するシーンを、いろいろつまみ食いのように集めて地球ストーリーを組み立てる素材、つまり、メニューづくりに努力してきました。

 「つまり、ミニ地球ってことなんです。」というキャッチフレーズには、こうした意味が込められている訳です。でも不思議なことに、実際の館内展示を見ていただくと、どうやらこのミニという感覚はどこかえ消えてしまうようです。やっぱり、地球は巨大な存在で、その上の地球自然は複雑かつ多様性の大きな世界だと実感してくださる方がほとんどなのは面白いことです。

生きている博物館が嬉しい

 博物館、という言葉を耳にしただけで、古くさい物、過去の異物の陰気な収蔵庫、といったイメージを持つ方もいらっしゃるでしょう。残念ながら、博物館の歴史をふりかえると、確かにその要素がありました。時代の流れというのでしょうか、そんな印象は、最近では少なくなってきたようです。

 反対に、この頃の博物館はチャラチャラしてゲームセンターのようで嫌だ、という厳しい指摘もあります。科学や自然のしくみを一般の方に上手に理解していただくという仕事は、意外に難しいものなのです。標本がいくら綺麗に陳列されていても、ラベルだけではその意義もわからないでしょう。といってくどくどした解説パネルは読んでもらえません。

 一番効果的な博物館展示とはどうあるべきか、というのは、博物館にとって永遠の課題であるのかもしれません。“物”の展示が博物館の全てであるわけではないでしょう。テレビ技術の発達した今日、モニター展示は博物館の重要な要素として“動画像”が果たす役割は絶大です。

 地球の過去に生きた多くの生物たちは、化石として石の状態で展示されたり、骨格レプリカの組み立て像として館内に配置されます。そこに、科学的な検証をうけた復元像が添えられたり、アニメやCGでバーチャルな映像があれば、死んだ物も、生き活きと理解されることになります。

生(なま)の博物館でありたいと思っています

 音楽にしても演劇にしても、ライブの強みは言うまでもないことです。実は、博物館もそうありたいと考えているのです。では、どうやってそれを実現できるのか、私たち館員はいろいろ考え、試してみています。CPUルームを覗けるようにしたり、化石のクリーニング(掘り出し)作業や、ジャンボブックの頁づくりを公開したりしています。博物館活動は、館の建物を離れて野外にも展開できます。観察会に人気があるのはとても嬉しいことです。

 ボランティアの方々や、友の会の人人がさまざまな博物館活動に参加してくださること、これは、生(なま)の博物館としての最先端のあり方といって良いでしょう。「館員は皆外交員」というキャッチフレーズの館活動に加えて、開かれた博物館の生(なま)の動きが出てくるからです。

 近代的な博物館には、もちろん多様な電子情報が飛び交います。モダンな機器も用意されるでしょう。けれども、博物館からの情報発信はやっぱりひとからひとへの精神が大切だと信じています。地球自然も、そこに学ぶ私たちも、常にライブでありたい、と心から願っているのです。

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平成7年度及び8年度に実施した来館者動向基礎調査分析結果からの考察

奥野花代子(当館学芸員)・佐渡友陽一(東京大学大学院総合文化研究科)

はじめに

 今日、生涯学習時代と言われている中で、博物館や図書館、公民館などの社会教育施設では多種多様な学習活動が盛んに行われ、生涯学習の拠点として大きな期待が寄せられています。

 当館も開館当初から積極的に学習活動を展開し実施してきました。それを効果的に行うには来館者の動向、学習ニーズ等を的確に把握し、PRも含めて広範な活動が要求されます。

 今後、より良い活動を提供していくための検討資料としての基礎データを得るために、平成7年度(3,500件)から8年度(1,000件)にわたり、「来館者動向基礎調査」を実施しました。今回、集計・分析が済みましたのでその考察を報告します。なお、紙面の都合で内容を大幅に割愛せざるを得ず、詳細なデータは7年度及び8年度(掲載予定)の『年報』を参照してください。

調査方法、分析にあたって

 調査方法は、当館の「地球、生命、神奈川、共生」の常設展示を見学した後、次の「ジャンボブック」展示室へ向かう通路で、見学者へ直接呼びかけ、その場でアンケート用紙(図1)に記入していただきました。調査対象は、学校等の団体を除き、家族やグループの代表1名としました。その結果、2〜3の点で、データに多少の偏りまたは曖昧さが生じてしまいました。

 まず、調査にあたって偏りが生じたものは「年齢」です。つまり、家族連れの場合、子供よりも親が記入するケースが多ければ、得られるデータは、小学生よりも親の年代に偏ります。幸い、当館には種別の無料(園児〜高校生、65歳以上、障害者及び介護者)と有料(未成年・学生)の券売機が設置されておりますのでそのデータを優先し、他は本調査結果を利用しました。

 「年齢」以外に偏りがあったと考えられるのは「性別」ですが、傾向としては30代までは女性、それ以降は男性が多く来館されているようです。

 もう一つは「調査日」で、これは、いつアンケートを実施したかということが問題で、学芸員が時間のとれた時に行うという方法に原因があります。これを解決するには、今後は予め計画的に調査日を決め、対象者を通過する何人目に取るかなどの方法を確定しておくと同時に人的対応策も考慮します。

 なお、文中で他館園のデータと比較考察しておりますが、設立趣旨や立地条件、規模等が違い、また充分な資料が揃っていないので、一慨には論じられませんが参考のため引用しました。

年齢構成について

 来館者の年齢を、当館のデータと他館の個別のデータに多少の操作を加え、比較分析を試みました(図2)。

 まず、中学生から大学生にかけて、どこの館でも同様に低い値です。この傾向は従来から言われている理科離れや学習塾通いなどによる影響と思われますが、学習機関としての博物館の存在意義を考えるとその対策が必要です。

 高齢者の傾向は、博物館と動物園で大きく異なり、それと同じ位の差が高校生や大学生でも見られます。この差の原因は、若い人の要求にどの程度まで応えられるかによると思われます。

 図2のグラフから、当館は他館園に比べて小学生から高齢者まで、平均的に需要を満たしていると言えます。

 次に、各々の年代の人がどのように利用しているのか、明確に現れるのが『同伴者』の項目です(図3)。小、中・高生と30代、40代では「家族」とが圧倒的であるのに対し、大学生・20代では友人同士が多くなっています。

 一方、65歳以上では「友人・知人」と同時に「自治会や老人会」「市民講座」で多く利用しています。この傾向は50代でも若干現れており、子育てのの過ぎた人たちが趣味の合う仲間同士で来館するという図式が得られます。

 『同伴者』の分析で明らかになった傾向は、『目的』によって裏付けられ、さらに具体的な像が浮かんできます。

 年齢ごとの来館目的(図4)では、小学生は「自然や科学に関心がある=科学的興味」と「学習の場として」が全体に比べて高く、中・高生になると「科学的興味」が減り「学習の場」が更に伸びます。このことは、小学生の頃は漠然とした興味と学習意欲から来館し、中・高生になるともっと明確な目的意識を持って来るという現れです。

 大学生になると「博物館が好き」、20代では「博物館が好き」と「話題」が多くなります。これらは博物館や動物園などをデート場所としても利用し、それが20代により強く現れてきます。

 30〜50代では全体と大差はありませんが、この年代では「学習の場」というより「子供の学習のため」というニュアンスが含まれているのでしょう。

 65歳以上では「趣味」が多くなっている一方で、「学習の場」が低くなっています。高齢者が「学習」ではなく「趣味や教養を深める」という言葉を用いて生涯学習を行っている姿が見えます。このことから高齢者には、趣味や教養を深めるための学習が効果的であると考えられます。

 続いて、期日(平日、土曜、日曜、春・夏休み)によって年齢構成がどう変化するかですが、土日は幼稚園児と20〜64歳が多く、小学生、中・高生は低調です。とくに中・高生は平日よりも土日が少なくなっています。部活や塾に追われ、博物館を日常的に利用する施設ではなく、家族旅行のついでや学校での見学、夏休み中の自由研究の課題をこなす施設として認識されている可能性があり、憂慮されます。

滞留時間について

 滞留時間は博物館の規模や立地条件によって異なり比較することは難しいですが、博物館がいかに来館者を長い時間楽しませたかというバロメーターにはなります。また、それは館の性格、展示のしかた、休憩場所の確保といった様々な要素が組み合わされたものとして理解できます。このような視点に立って滞留時間を比較すると(図5)、他館がいずれも10ha以上の敷地を持っていることを考えあわせると、当館は来館者を留めている方だと思われます。

 長時間滞留する方が多ければ、その館の魅力の奥深さを表すと言うことができますが、当館は2時間から2.5時間の部分で極端に減ってしまいます。これは休憩場所が少ないせいとも考えられます。あるいは最初から展示室の広さや展示物、利用できる機能・設備等を考慮しないで来館したことによるものと思われます。2時間も見学して休む場所がなければ、疲れて帰ってしまっても不思議ではありません。今後の課題でその対策が必要とされます。

 次に、来館回数ごとの滞留時間では1回、長い時間見学し、満足してしまうよりも、何回も足繁く通ってもらった方が良いという考え方もあります。

 当館の回数による滞留時間は、2回目では1.5時間までが減り、2.5時間から半日が増え、3回目では「半日」の延びが著しく、4回以上になると、「1日」が大きく伸びることが分かりました。当館については、回数が多いほど滞留時間が長くなる傾向です。

 続いて「熱心に」という点で、回数毎に目的を集計した結果、際だっていたのが「話題として」の回答者数で、1回目から回を重ねるごとに減り、逆に「学習の場」は徐々に伸びています。この結果からしても回数の多い人は熱心な人であり、滞留時間が長くなる傾向がみられ、好ましい結果と言えます。

 天候との関係では雨の場合のみ滞留時間が伸びますが、伸びても2.5時間止まりで、これ以上留まることが難しい状況を示唆しています。その原因の1つが休憩スペースの不足と考えられ、雨の日はテラスが休憩場所として使えず、この問題はますます深刻です。

県内と県外の人の利用について

 最後に県内と県外の人で明らかに傾向が異なるものとして、『情報源』が挙げられます。それは県外の利用者の情報源が、「旅行会社」や「新聞・雑誌」に高い値を示しています。

 また、開館2年を過ぎ、県外からの来館者が相対的に増えています。その理由は、開館当初多かった県市町村の広報誌に掲載される回数が減り、県内の来館者が最初の年より減って、かわりに特別展や博物館の活動が新聞・雑誌等に取り上げられたり、旅行会社や観光会社で扱われたりすることが多くなった結果によるものと思われます。『情報源』の中で一番多い「家族・知人」、いわゆる口コミも増えています。口コミは新しい人々に来てもらうための大きな要因になります。それには魅力ある博物館活動が必須です。

まとめ

 当館は、小学生、20〜30代の父母、祖父母という家族連れの利用が多く、展示の基本構想「親しみやすく、幅広い年齢層の方々にも楽しめ・・」ということが受け入れられているようです。

 観光地である箱根の入口に位置し、家族でレジャーを楽しみながら学習するのに適当な場所にあると言えます。

 今後、学校からの利用を図るとともにリピーターとしての利用を勧め、旅行会社や観光会社、新聞・雑誌等へのPRが必要と思われます。

 また、ミュージアムショップやレストランといった博物館付帯設備の充実、休憩場所の確保等、高齢者や長時間の利用者への配慮、さらには魅力ある友の会活動等も望まれます。

 かつて、博物館は「古臭い」「カビくさい」「役にたたなくなったものをしまっておく所」などと薄暗いイメージがもたれ、要らなくなったもののことを「博物館いき」と言われました。その「博物館いき」がリピータとしての「博物館行き」となるよう私たち博物館側も積極的な働きかけが必要です。

 なお、この調査には情報資料課鈴木智明氏、博物館学ボランティアの永野文子さんに協力していただきました。厚くお礼申しあげます。

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神奈川の自然シリーズ5 大磯海岸の貝化石

田口公則(当館学芸員)

 博物館で化石の仕事をしていると、よく「どこへ行くと化石が採れますか」という質問を受けます。初めて化石採集をする人にひと言で説明することは難しく,どこを紹介しようか悩むところです。じつのところ、ミュージアムブックレット「貝からの伝言」にも紹介されているように、県内各地の地層から数多くの貝化石が産出しています。しかし、化石産地は、時とともに状況が変ることが普通で、有名な化石産地でも現在では化石が全く採れなかったり、保存の良い化石がなくなっていたりします。そこで、簡単にアプローチができて化石採集を楽しむことができる大磯海岸の化石産地を紹介します。

大磯層

 大磯海岸の葛川河口付近に縞をなした地層が露出しています。これは大磯や西小磯に分布している「大磯層」とよばれている地層です。ここではスコリア(黒っぽい軽石)や軽石の層、凝灰質(火山灰などが多く混じっている)砂岩の層などが互いに重なって縞の地層をつくっています。ずっと東にある照ヶ崎の岩も同じ大磯層です。

大磯層の化石産地の写真大磯層の化石産地

クリーニングしたヨコヤマビノスガイの写真クリーニングしたヨコヤマビノスガイ

 葛川河口から東に5分ほど海岸を歩くと砂浜の中からレキ岩層が露出しています。ここが目的の化石産地で、大小のレキに混ざり貝化石が数多く地層の中に入っています。かつては付近一面に地層が現れて礫岩層の分布のようすを観察することができましたが、最近は海浜砂におおわれてしまい一部の地層だけ見ることができます。

 貝化石をふくむレキ層は、レキの大きさが頭の大きさのものから小さいものまでさまざまで、泥岩、砂岩、軽石,火山岩,凝灰岩などのレキがあります。この雑多なレキが濃集した層は、海底におこった急激な流れによって浅いところから深いところへ流され堆積したものと考えられています。そのためか、多くの貝化石が、殻がすり減っていたり壊れていたりします。もともと壊れた貝殻が堆積したのか,それとも化石になってから風化したのか,いろいろと観察してみてください。

化石採集

 化石採集は、楽しい仕事です。ハンマーとタガネをつかってレキ岩の中から注意深く貝化石をとりだします。途中、化石を壊してしまうこともしばしばですが、瞬間接着剤で修理したり、化石の表面を固めながら根気強く化石を地層からとりだします。現地で化石だけをきれいにとりだすよりも、まわりの岩もいっしょ塊でとりだしてあとから室内できれいにまわりの岩をとりのぞく(化石クリーニング)とうまくいきます。

 大きな化石だけをとるのではなくて、小さな破片の化石にも注意します。破片の化石がクリーニングしたら貴重な種類の化石だったということはよくあることです。

 大磯層では、二枚貝,巻貝といった貝化石が目につきますが、注意ぶかく探してみると、サンゴの破片や骨片の化石、ときにはサメの歯の化石を見つけることもあります。

 むやみやたらにハンマーでたたくより、ふだんから地層の表面をくまなく探すほうが珍しい化石を見つけるようです。

 あつめた化石は、きちんと整理して産地のデータ(地層、化石の産状、スケッチや写真など)とあわせて研究の材料にします。

大磯層の貝化石

 大磯層からは、およそ24種類の貝化石が知られ、そのほとんどが絶滅種です。主な種類は,巻貝のキサゴのなかま、ミガキボラのなかま、二枚貝のキシュウタマキガイ、ダイニチフミガイ、ヨコヤマビノズガイなどです。

 現生の貝がすんでいる場所の情報を大磯層からの貝化石にあてはめてみると、浅い海の砂底にすむキシュウタマキガイやダイニチフミガイ,岩場にすむミガキボラの一種の貝化石が、数百mの深い海にすむヒメエゾボラモドキの貝化石といっしょに産出していることがわかります。貝化石からも、大磯層の化石は浅いところの堆積物が深いところへ流されて混ざったことがわかります。

ボランティアの人たちと整理した大磯層の貝化石の写真ボランティアの人たちと整理した大磯層の貝化石

 大磯層の堆積した時代は、泥岩に含まれる浮遊性有孔虫化石という微化石から地質時代の新生代第三紀中新世末期(600万年前ごろ)と考えられています。同じ時代の地層には丹沢の落合礫岩層、逗子の逗子層や田越川礫岩層があり、大磯層にふくまれる同じ仲間の貝化石がみつかっています。九州の宮崎層群の地層からも同じ貝化石の仲間が知られており、さらにそこでは熱帯にすむ貝の化石がみつかりました。どうやら大磯層が堆積した時代は、黒潮の流れが強かったのか現在と比べて海はだいぶ暖かかったようです。

 このように、同じ時代の化石を比べていけば、各地で何がおこったか、日本列島がどんなであったかなど、いろいろなことがわかってきます。

 化石の多くは、生物が死んで石になったものです。海岸を歩くと、多くの生物の骨がみつかります。昨年の5・6月には何百羽もの渡り鳥(ハシボソミズナギドリ)が海岸に打ち上げられていました。もしかしたら、人間の捨てたゴミと貝殻や動物の骨が、相模湾に沈み埋もれ、何百万年後には化石になっているかも知れませんね。

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ライブラリー通信 人魚の涙

土屋定夫(当館司書)            

 先頃、岩手県種市町で、約8700万年前の鳥類の後羽化石を含んだ琥珀(こはく)が見つかりました。体温を保つ役割の後羽の化石そのものが発見されたのは、世界でも初めてのことです。この化石を閉じ込めていた琥珀は、太古の樹木から出た樹脂が変化してできたもので、「樹脂の化石」と言われています。

 世界の琥珀の三大産地は、バルト海沿岸地方、ドミニカ共和国、そして日本の岩手県久慈地方で、中でも久慈は恐竜時代までさかのぼれます。また、産出量は多くはないのですが、古さの点で久慈を越える所が、日本には数か所あります。銚子、宮古、三笠、いわき等ですが、銚子からは世界で二番目に古い、いわゆる“虫入り琥珀”が見つかっています。ドミニカ琥珀にはアリやハチ、コオロギなどの昆虫のほかに、カエルやヤモリ、トカゲまでもが入っていて驚かされます。

 現在入手可能な琥珀に関する文献は、残念ながらあまり多くはありません。バルト海沿岸の琥珀について書かれた『こはく』(新読書社)、『日本の琥珀』(北九州自然史友の会)や雑誌の特集として琥珀を取り上げたものに、「虫入り琥珀の世界 biohistory Vol.2 No.3」(生命誌研究館)、「琥珀に閉じ込められた虫たち日経サイエンス 1996年6月号」(日経サイエンス社)があるくらいです。

 バルト海沿岸では琥珀のことを“人魚の涙”とも呼んでいます。その昔、愛していた人間の男に裏切られた人魚の流した涙が、冷たい海の底で凍り、琥珀になったというのです。いかにも北欧らしいお話ですね。

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新収資料紹介 マルガタクワガタ類

苅部治紀(学芸員)

 クワガタムシといえばノコギリクワガタに代表される「格好良いオオアゴ」が代名詞のような昆虫ですが、ここで紹介するマルガタクワガタ類は、一部の種を除けばオオアゴは貧弱ですし、丸っこいメス型の体型でそれほど魅力ある種とは思えないでしょう。ところが、実はこの一見つまらなそうな仲間が、クワガタを研究している人からは、もっとも注目されているグル―プの一つなのです。

 さて、このマルガタクワガタ類は、アフリカ南端に位置する南アフリカ共和国南部の山地からのみ知られています。そして、このあまり格好の良くない?仲間が注目を集めるのはやはりそれなりの訳があります。

プリモスマルガタクワガタの写真プリモスマルガタクワガタ.この仲間では唯一発達した唇のような形の大アゴを持ち,色彩も美しい.

 まず、彼らが後ろ翅が退化している「飛べないクワガタ」であることです。このため、移動はもっぱら歩行に頼るしかありません。ところが彼らが住んでいるのは、我々が思い浮かべる‘普通の山’とは違って、平地からいきなり垂直に近い角度で立ち上がる、まるで豆腐のような形をしたテ―ブルマウンテンと呼ばれる山々なのです。翅のあるクワガタムシでは、このような地形の障害も簡単にではないにせよ飛び越えていくことが可能ですが、「飛べないクワガタ」である彼らは歩いて絶壁を降りることもできず、それぞれのテ―ブルマウンテンにとり残される(隔離される)形になり、お互いの交流は出来なくなりました。つまりこれらのテ―ブルマウンテンは、飛べない生物にとっては「陸地の中の島」のようなものだといえそうです。こうして長い間の地理的な隔離の結果、それぞれのテ―ブルマウンテンにおいて種分化が進行したと考えられ、この仲間は現在までに10数種が知られています。

 第二に、生息地であるテ―ブルマウンテンへのアプロ―チは楽ではなく、一般の人が気楽に行ける場所ではありません。これまでに発見されてきた種の多くは地元の登山家が登山の際に偶然拾ってきたものがほとんどです。このため一般のクワガタと異なり採集される個体数も極めて少なく、なかなか手に入らない珍種としても著名でした。実際に日本に標本が入ってくるようになり実物を拝めるようになったのは、せいぜいこの10年くらいの話で、それまでは写真や図を眺めてため息をつくのが精一杯だったのです。

ホワイトマルガタクワガタの写真ホワイトマルガタクワガタ(裏).発達した前足と胸,小さな胴体に注目.

 さらにこの仲間の神秘性を高めているのが、その生態がほとんどなにもわかっていないということです。われわれの知っているクワガタムシのほとんどは、幼虫時代は倒木や立ち枯れなどの朽ち木を食べ、成虫はエサを求めて樹液に集まります。ところがマルガタクワガタの仲間の生息地は、テ―ブルマウンテンのなかでも高い木などない、岩だらけの荒涼とした荒れ地(草地)なのです。彼らは、おもに霧のかかる夕方に歩いていたり石の上に静止したりしているのが発見されているようですが、幼虫が草の根を食べていることが推測されている以外はいったい昼間どこにいて、交尾はいつどこで行うのか、成虫はなにを食べているのかあるいはなにも食べないのか(成虫はエサを与えてもなにも食べなかったという記録がありますし、実際生息地にはクワガタのエサになりそうなものはなにもない)、などいまだ生活史の断片でさえほとんどわかっていないのが実情です。

 さて、今回の資料ですが、この興味深いマルガタクワガタのうち、プリモスマルガタクワガタ、ネ―ルマルガタクワガタ、ウェストウッドマルガタクワガタ、ホワイトマルガタクワガタの4種です。このうちプリモスマルガタクワガタはマルガタクワガタのなかでも特異なオオアゴと美しい色彩でもっとも人気が高い種類です。また、他の種でも歩き回るための適応と考えられる太く頑丈な前足とそこに生じた奇妙な突起など、ほかのクワガタには見られない特徴があります。

 これらの資料は1F生命展示室の昆虫のコ―ナ―で展示される予定です。


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