神奈川県立生命の星・地球博物館

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1997年8月15日発行 年4回発行 第3巻 第3号 通巻10号


自然科学のとびら


Vol. 3, No. 3  神奈川県立生命の星・地球博物館  Aug., 1997

今号の目次

表紙「ポプロフォネウスとディニクティス」(学芸員 樽 創)
学芸員研究ノート「ニホンオオカミはなぜ小さいか」(学芸部長 中村一恵)
博物館とインターネット」(情報システム担当 鈴木智明)
城ケ島が『島』でなくなる日〜巨大地震と地殻の変動〜」(海洋科学技術センター 海底下深部構造フロンティア 平野 聡)
神奈川の自然シリーズ6「ニホンザル」(学芸員 広谷浩子)
ライブラリー通信「人類はまた,ヘールボップに逢えるのか」(当館司書 土屋定夫)
新収資料紹介「斜長岩とエクロジャイト」(学芸員 平田大二)


ホプロフォネウス(右)とディニクティス(左)
Hoplophoneus sp. and Dinictis sp.

樽 創(学芸員)

右はホプロフォネウス、左はディニクティス

 北アメリカ大陸には,特に大きな犬歯(糸切り歯)を持つネコ科の動物が生息していました。代表的なものとしてスミロドン(サーベルタイガー)が有名です。 
 ホプロフォネウスとディニクティスは,新生代第三紀漸新世(3700万年〜2400万年前)に生息していました。しかし,いずれも漸新世から中新世にかけて絶滅してしまいました。この2種類のネコは,どちらも大きな犬歯を持ち,体長も1メートル前後で,一見似ていますが,歯の本数によって簡単に区別できます。下顎の歯を見ると,ホプロフォネウスは片側に3本の臼歯を持ちますが,ディニクティスでは4本です。では,彼らはその長い犬歯をどのように使ったのでしょう。彼らの頭骨の形から,下顎を大きく開くことができたことがわかりました。また,犬歯の断面は平たく,皮膚や肉を突き刺すことに適していて,骨を砕くことには適していません。このようなことから,獲物の喉に口を大きく開いてかみつき,喉を切り裂いてしとめたと考えられています。

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研究ノ−ト  ニホンオオカミはなぜ小さいか
中村一恵(学芸部長)

世界最小のオオカミ
 オオカミ(Canis lupus)はユ−ラシア大陸から北米大陸にかけて地理的に広く分布しています。そのため地域により大きさや体重、毛色などに多くの変異があり、いくつもの亜種に分類されています。わが国にもニホンオオカミ(C.l.hodophilax)と呼ばれる小型のオオカミが本州・四国・九州に生息していました。世界最小のオカカミとよく言われますが、どれくらい小さいのか、他の地域のオオカミと比較してみると、表のようになります。オオカミには性的二型がありますから、十分成長した、性の明らかな標本で比較するのが理想ですが、ニホンオオカミで性の区別された標本はきわめて少ないのが現状です。北米とユ−ラシア産では、それぞれの地域で最大となる亜種の頭骨の大きさで示してあります。ニホンオオカミは、隣接して生息した北海道のエゾオオカミ(C.l.hattai)より明らかに小さく、その大きさはむしろ、遠く離れたアラビア半島産のオオカミに近いものであることがわかります。

 表に示した、近世から明治にかけて捕獲された標本に基づくならば、確かにニホンオオカミは小型なのですが、更新世後期まで遡ると、本州・四国・九州の本土陸塊に生息していたオオカミは、現在のシベリアやアラスカの大型オオカミに匹敵するか、それを上回る大きさであったことが化石資料から推定されています。このことは、最終氷期(ウュルム氷期)の気候が現在よりも寒冷であったことを示しています。大型であることは、体重に対する体表面積の割合が小さくなって体熱の発散量が少なくなり、寒冷な気候下で体温を保持するうえで有利となります(ベルクマンのル−ル)。エゾオオカミが大型であるのは、北海道の地理的な位置と気候条件に結びついたものであり、冬の厳しい環境で生きるのに適した体サイズと言えます。

 ベルクマンのル−ルが成立するならば、本州北部にもエゾオオカミに匹敵するような大型オオカミが生存してもおかしくないのですが、その証拠は得られていません。ではなぜ、本土のオオカミは小さいのか。本土陸塊にはもともと小型のオオカミが生息していたと考える人もいます。しかしこの説の難点は、小型オオカミが生息したという地史的な裏付けに乏しいことです。これに対して、本土陸塊に生息した大型オオカミが小型化したという考え方があります。下顎第1大臼歯のサイズが、更新世後期から先史時代、歴史時代へと、時代が新しくなるにつれて小さくなってゆく傾向が指摘されています(宮尾ほか,1984)。

ライデン自然史博物館所蔵のニホンオオカミのタイプ標本とされる3点のうちのc標本ライデン自然史博物館所蔵のニホンオオカミのタイプ標本とされる3点(a,b,c)のうちのc標本.雄成獣,頭骨全長179.5mm(斎藤,1964による).苅部治紀学芸員撮影.

半島から島へ
 最終氷期には、西側に日本海を囲みながらサハリンを経て南に伸びる「大きな半島」がアジア大陸の端に形成され、現在の本州・四国・九州の三本土はその先端部に位置していました。この大きな半島に大型のオオカミ(C.lupus subsp.indet.)が広く生息していたことは、本土各地から産出する更新世後期の化石資料によって推定できます。

 後氷期の気候の温暖化により、「大きな半島」は分断・島嶼化、そのことで絶滅するものあり、生き残るものありで、大陸から切り離される島嶼化は生物の世界を大きく変革させました。本土陸塊に生息していたトラ、ヒョウ、オオヤマネコ、ヒグマなどの大型食肉獣は、縄文時代まで生き延びたオオヤマネコを除いて、更新世末期までには滅びてしまいました。同じように大型のオオカミも本土から滅びてしまったのでしょうか。大型オオカミは滅びたのではなく、体サイズを小さくして生き延びたというのが、前述した後者の考え方です。

島に閉じ込められる
 大陸的な環境に生息していたものが島に閉じ込められ、しかも個体群が本州・四国・九州の三つに分断されたことが、本土産オオカミの素性を考える際の重要な視点になるのではないでしょうか。大型食肉類の絶滅を見たように、島嶼化は群集の種構成を単純化させます。そのため大陸と比べて種数が限られ、競争者・捕食者を欠くことが多いうえに、食物源となる動植物相に偏りが生じやすく、その絶対量も限定されてきます。とりわけ食物量は、大陸と比べれば、大型種の体サイズをより限定する要因として働くものと思われます。また、捕食者が少ないことと関連して、老齢の個体も島では生存でき、生態的寿命が延長されるようなことが起こります(宮尾,1970)。 

 ニホンオオカミの頭骨は単に小さいだけではなく、朝鮮半島や北海道のオオカミに比べると、吻が頭骨全長に対して短く、頬骨弓(頬)が張出していることが特徴として知られています。一見、「家畜化されたオオカミ=イヌ」に見られる特徴に似ています。「島に閉じ込められたオオカミ」に何が起きたのか、非常に興味ある問題です。

産 地

亜種名

平均値(mm)

文 献

北米アラスカ

♂♂

C.l.occidentalis

276.2(n=50)

Nowak(1995)

ユーラシア中北部

♂♂

C.l.communis

270.2(n=20)

Nowak(1995)

北海道

♂♂

C.l.hattai

265.8(n= 3)

小原(1984)

本土(本州・四国)

Mixed

C.l.hodophilax

212.6(n=23)

小原(1990)

アラビア半島南部・東部

Mixed

C.l.arabs

200.8(n=15)

Harrison(1973)


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博物館とインターネット
鈴木智明(情報システム担当)

はじめに
博物館からは多くの情報が発信されます.展示されている資料からの情報や,膨大な収蔵資料の情報,学芸員の研究による情報,問い合わせに対する情報などです.
そのような情報は色々な方法や媒体で提供されます.展示でしたら博物館の展示室,収蔵資料については,館が出している図録・目録やデータベースなど.また学芸員の研究成果情報は,紀要や研究報告などを見る,そしてレファレンスについては電話をかけて学芸員に聞いてみる,といった具合です.
このように情報へのアクセスは,実物を見る,本を読む,電話をかける等,方法は様々ですが,最近ではインターネットによる情報の入手が注目されています.

インターネットとは
インターネットとは,複数のネットワークが繋がったものです.元々は,冷戦中のアメリカが,軍事的研究のために始めたARPANETが母体と言われています.ここでは,ある部分が停止しても機能することが出来るネットワークの構築方法などが研究されました(95年の阪神・淡路大震災における電話の不通に対して,ネットワークによる情報伝達の効果を見ると,この研究は成功したと言えるでしょう).
そして1990年代に入って,画像を表示することが出来る(それまでは,E-Mailと呼ばれる言葉のみの伝達方法が主流でした)WWWブラウザーが普及した事などから利用者が急速に広がりました.郵政省では1996年8月で利用者を約500万人と推定しています.また最近では多くの企業や団体が,インターネット上にホームページと呼ばれる情報提供ページを開設しています.このホームページでは,誰でも簡単に世界に向けての情報発信が可能です.当博物館でも1995年10月より小田原市と共同でホームページを開設し,博物館に関する様々な情報を提供しています.

インターネットによる情報提供
インターネットを利用するには,通常はパソコンを使います.このパソコンを通してホームページ上の情報に接することにより,一つの媒体で色々な情報を扱える,といったメリットがあります.「あの博物館は何処にあるの」から「あの博物館には何が展示されているの」,「あの博物館にはどんな資料があるの」,「あの博物館ではどんな研究をしているの」,そして「〜について教えて欲しい」といった要求を一つのパソコンで満たすことが出来ます.
またホームページは誰でも開設できます.個人でも多くの人が自分のホームページを持っています.この事は様々な場所や立場での情報発信を可能とします.例えば,今年の7月2日に起きた東京湾沖でのタンカー座礁による原油流出事故では,行政や地方自治体などが,ホームページ上で海の状況や対応策などの情報を提供していましたが,それ以外にもざまざまな関係機関やボランティア団体などが,この事故に関する情報を提供しました.このような情報は新聞やテレビなどではなかなか得ることが出来ず,また,もし得ようとすれば,それぞれの団体等に一々聞く必要があります.しかし,ホームページで提供されることによって,自分の持っているパソコンから簡単にそのような情報も入手することが出来るのです.

 勿論,前述のことが実現できるためには,情報提供側でそれなりのデータ整備等をする必要があります.
 前述のタンカーの原油流出事故についても,横浜市や川崎市などのように,かなり詳しい内容を提供した自治体もあれば,何の情報も提供しない自治体もありました.
また,インターネットを取り巻く技術環境も,例えば現在のように通常の電話回線(28.8Kbps)でのやり取りが主流の状況では,画像などデータ量の大きいものを見るには,かなりの時間が必要です.
 さらに,パソコン上で見ることが出来ても,所詮,本物にはかないません.博物館にとっても,主役はやはり実物の資料です.何があるかを知ることは出来ても,そのものを生で見ることは出来ないのです.

現代は情報化社会であると言われています.携帯電話,ポケベル,デジタルカメラ,そしてプリント倶楽部まで,最近のヒット商品はすべて情報を扱ったものです.通産省が発表した「97年版・我が国産業の現状」によると,情報関連機器の国内生産額が自動車を上まわり,品目別で初めて1位となりました.その中でもトップがパソコンです.このようにパソコンが普及し,またネットワーク環境が整備されれば,情報提供側でも積極的にインターネットを利用することでしょう.
また,博物館の展示にしても,実物を見ることは出来ませんが,展示のストーリーについて知ることが出来ます.博物館とは,ただ資料を並べているわけではなく,例えば当館の場合は「生命の星・地球」をテーマに,46億年に及ぶ地球や生物の進化の歴史について,良く理解していただけるようストーリーを作り,それに基づき資料を展示していますが,そのストーリーを詳しく説明したものをホームページでは提供しています.予備知識を持つことによって,より効果的に展示を見ることが出来ます.

さいごに
7月4日にNASA(米航空宇宙局)は,探査機「マーズ・パスファインダー」の火星着陸に成功しました.またホームページに探査機から送られてきた火星の画像を公開しました(当日,数千万件のアクセスがあったそうです).私が小学生のときに見た火星探査機「ヴァイキング」による火星の画像は,時間が経ってから本や雑誌等で見ることが出来ましたが,今ではインターネットを使って即時に詳しい解説とともに(英語ですが),自分の机で見ることが出来るのです.
博物館もより有効な情報提供手段として,このインターネットによる情報提供を進めています.今度博物館に来られるときは,ホームページを覗いてから来られてはいかがでしょうか.

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城ケ島が「島」でなくなる日 〜巨大地震と地殻の変動〜
平野 聡(海洋科学技術センター 海底下深部構造フロンティア)

はじめに
 皆さんは城ヶ島に行ったことがありますか。ご存じの通り、城ヶ島は三浦半島南端沖に位置する島で、釣りや海水浴、バーベキューパーティーなどにはもってこいの場所です。城ヶ島は「島」という名前の通り、三浦半島とは海によって隔てられています。しかし将来、城ヶ島が三浦半島と陸続きになって、歩いて行けるようになるかも知れない、と言ったら驚かれるでしょうか。ここではそういう話をしようと思います。

巨大地震と地盤の隆起
 何を根拠にこのようなことを話すのでしょう。実は東京湾を挟んだ対岸の房総半島では、約300年も昔にこのようなことが実際に起きているのです。そして同じようなことが、すぐ隣の三浦半島でも起こる可能性が十分にあるのです。
 事件は1703年、江戸時代中期の元禄年間のことでした。房総半島南方沖を震源とする巨大地震が発生したのです。この地震は元禄関東地震と呼ばれており、その被害は房総半島南部にとどまらず、広く南関東一円に及んだという記録が残っています。
 被害は建物だけではありませんでした。この地震によって我々の足元の地盤(地殻)にも大きな変化が現われたのです。驚くべきことに、たった一回の地震で、房総半島の南部では地盤が数メートルも隆起してしまったのです。
 房総半島の最南端には、野島崎という小さな岬があります。ここは現在、千葉県でも有数の観光地で、「房総半島最南端の地」になっています。しかしここは1703年の元禄関東地震より昔は、何と野島という「島」だったのです。それがこの地震により地盤が隆起した結果、一気に海が干上がって房総半島と陸続きになってしまったのです。
 このようなことは、実は大正12年(1923年)に関東地方を襲った大正関東地震(関東大震災)のときにも起こりました。大正関東地震の規模は、その前の元禄関東地震よりも小さなものでしたが、それでも三浦半島や房総半島南部では、一瞬にして1〜1.5メートルも隆起したことがわかっています。

地形は語る 〜海食台の化石〜
 巨大地震による大きな地殻変動。実はこのようなことは元禄関東地震や大正関東地震のときだけではなく、過去に何度も起こっているのです。その証拠は、三浦半島や房総半島の地形に残っています。
 房総半島南部には、沼面と呼ばれる昔の海食台の跡がいくつかあります。この沼面の現在の海面からの高度と、沼面から見つかった貝やサンゴの化石の年代を調べてみると、面白い関係があることがわかりました。
 海面から20メートル以上の高さのところから見つかった貝化石の年代は、今から約6000年前の縄文時代までさかのぼります。貝が生息していた当時、海食台はほとんど海面すれすれのところにありました。ところが現在、それらは海面よりも20メートルも高いところにあるのです。これは何を意味するのでしょう。
 答えはこうです。約6000年前に起こった巨大地震により、地盤が隆起して海食台が干上がってしまったのです。さらに詳しく調べてみると、海岸段丘の跡は全部で4段あることがわかりました。これは南関東では過去6000年の間に、少なくとも4回は巨大地震が発生し、地盤が隆起したことを示しているのです。

地殻の「古傷」を調べる
 さらに過去にさかのぼってみることにしましょう。それには地質学的な調査をしなければなりません。そのための原理や考え方について、簡単にお話します。
 まず身近な例で考えてみましょう。一口サイズのチーズを親指と人差し指で挟んで、ゆっくりと上下に押しつぶしてみて下さい。チーズは最初、横にふくらみますが、やがて真ん中あたりに縦に割れ目が入ると思います。食べ物を粗末にしてはいけませんが、実験に使った分は後でちゃんと食べることにして、何度でも試してみて下さい。同じように押しつぶす限り、何度やっても同じように割れると思います。この何度やっても同じように割れるということが、とても大切なことなのです。
 このような割れ目は、押された方向(この場合、指で挟んで押しつぶした方向)と同じ方向にできます。この性質を利用すると、割れ目の方向から逆にチーズに加わった力の方向を推定することができます。
 同じようなことが、我々の足元の地殻にも起きています。地殻はいつも周りからいろいろな力を受けて歪んでいます。その歪が限界に達すると、割れ目が入るのです。海岸沿いの岩場をよく観察すると、黒と白の縞模様(地層)がところどころ食い違っているところが見つかります。これを専門用語で「断層」といいます。文字通り、縞々の層を断ち切っているのです(写真)。

三浦半島で見られる地層のずれの写真三浦半島で見られる地層のずれ=断層

 城ヶ島周辺の地殻、つまり我々の足元に見られる岩石の年齢は、古いものは地球上に人類の直接の祖先が誕生した頃(数百万年前)とほぼ同じくらいと考えてもよいでしょう。それ以来、これらの岩石は現在までいろいろな力を受けてきているわけですから、地殻は「古傷」だらけなのです。
 このような割れ目の方向と分布を丹念に調べていくと、昔この地域にどの方向から力が加わったのかを推定することができます。このような研究を「断層解析」といいます。
 断層解析の結果、重要なことが二つわかりました。まず、三浦半島全域から房総半島中南部の地域には、大きく分けて2種類の力が加わっていたということです。一番目立つのは、地殻を南北方向に押す力です。そして次が、逆に南北方向に引っ張る力です。これらの相反する力が、南関東地方の地殻に働いていたのです。
 次に重要なことは、これらの2種類の力の現れる順番です。断層同士の相互関係や断層そのものの特徴から、これらの2種類の力は繰り返し交互に現われているようなのです。
 この観察結果は何を意味するのでしょうか。ここで前にお話しした巨大地震とチーズのことを思い出して下さい。地殻に力が加わるとだんだん縮んでいきます。そして歪が限界になると、チーズと同じように地殻にも断層ができるのです。これが地震です。地震が起こると、地殻にたまっていた歪が少し解消されます。そのため押されて縮んでいたバネが復元するように、地殻は反対に伸びることになります。
 このような現象は実際に測量でも確かめられています。大正関東地震の時には南北方向に地殻が引っ張られて伸びたのですが、その後現在までは逆に南北方向に押されて縮んでいるのです。
 地殻の割れ目は、地殻が巨大地震の時に引っ張られたり、それ以外のときは逆に押されたりということが、何度も交互に繰り返されてきたことを物語っています(図1)。それは元禄関東地震や大正関東地震のような巨大地震が、昔から何度も起きていて、その度に南関東の地盤が隆起してきたことを意味しています。
繰り返される地盤の伸び縮みのイメージ図

 このようなことが何度も続けば、三浦半島の南側の地盤はどんどん隆起します(図2)。そして将来的には三浦半島と城ケ島を隔てている海が干上がって陸続きになるだろう、ということなのです。何とも壮大な話だとは思いませんか。

三浦半島南部の地盤の上下運動

おわりに
 目の前に広がる景色を見ながら、数百万年も昔のできごとに思いを馳せ、将来を予測する。これが地球科学の醍醐味だと思います。この拙文を読まれた皆さんが、ふと野外に出かけ、いつもと違った目で景色を眺めてみようという気になっていただければ、これにまさる著者の喜びはありません。
 最後になりましたが、今回の話は私ひとりだけの成果を元に書かれたのではありません。個々には紹介できませんでしたが、多くの方々の研究成果を踏まえた上で、私自身の成果と解釈を交えて、皆さんにご紹介したということをお断わりしておきます。

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神奈川の自然シリーズ6 ニホンザル
広谷浩子(学芸員)

 

 今回は,私たち人間に最も近縁な動物で,困った点から注目されるようになった神奈川のニホンザルについて紹介しましょう。
 ニホンザルはオナガザル科マカカ属のサルで,日本列島にのみ生息する固有種です。中型で褐色の毛色をしたどちらかというと目立たないサルですが,成熟すると顔とお尻が真っ赤になります。雑木林や照葉樹林を主な生活の場として,樹上の果実や葉,下生えの草や芽や昆虫などを食べて生活しています。一日の大半の時間は、遊動しながらの採食にあてられます。かつては,日本全土に広く分布していたと考えられますが,この数10年のうちに,少なくとも10個体群が絶滅し、6個体群は完全に孤立するようになりました。
 個体群とは,群れがそれぞれの遊動する地域を重ね合わせていくつか集まってできるグループのことで,この個体群の内部で遺伝子の交流が行われます。個体群という単位は,野生動物の保護管理を考える場合に特に大切です。ニホンザルの群れが1つだけ残っていても,厳密には野生の群れとはいえません。外との遺伝子の交流がなければ,近親婚をくり返した果てに繁殖率の低下を招き存続できないからです。個体群の大きさがどうなっているか,将来に向けても適正なサイズのまま維持されるか否かが,動物の存続を決める最も重要な基準となります。
 神奈川では,丹沢と箱根という2つの山岳地帯にそれぞれ独立の個体群がいて,東京都の奥多摩地方の南秋川個体群の一部となる藤野町の群れを加えると,3つの個体群が生息していることになります。血液のタンパク質の組成を比べると,3つの個体群はそれぞれに別のルーツを持ち,西湘個体群はは伊豆個体群と南秋川個体群は山梨や埼玉の個体群と,それぞれにつながりが深く,丹沢山地個体群は東京湾をへだてて100km近くも離れている房総半島個体群とのつながりが深いことがわかりました(図1)。

神奈川のニホンザル個体群の将来診断
 3個体群をめぐる状況はさまざまです。個体群のサイズ,頭数が増えているか,個体群が占める地域の広さ,人の間にトラフ゛ルが生じているか否か,捕獲圧や生息環境の破壊などのプレッシャーがかかっているかなどの点をチェックしながら神奈川の3個体群の存続可能性を診断してみましょう。
 南関東地域の他の個体群の診断結果ともあわせて評価した結果、8個体群中唯一西湘個体群だけが「すでに絶滅したか,絶滅の危機にある個体群」となりました(表1)。サルの頭数が年々減少しつつあり,この数年で数が回復する兆候が認められない、サルによる被害は増える一方で内容も農業被害から住宅地に出現するサルによる生活被害にまでエスカレートする傾向にある、などの点で,「絶滅」という予測が出されたわけです。

西湘のニホンザル個体群と博物館
 博物館の地元である西湘のニホンザル個体群は、古くから箱根のサルとして有名でした。1960年代から1970年代にかけては、湯河原町と箱根町に餌場が設けられて多くの観光客を集めました。餌づけ以前には2群で50頭前後でしたが、餌付けによって数が増え、群れが一時は7つにまで分かれました。その後餌づけが中止され、サルたちは食べ物を求めて、人里の周辺まで広がっていくようになりました。ただでさえ知恵のあるニホンザルが、餌づけによって人間を恐れなくなっていたので、猿害が生じるのは当然の帰結でした。
 この博物館のちょうど北側にあたる地域は、S群が集中的に利用する地域です。S群は箱根町東部、小田原市の西部からその北の南足柄市に及ぶ範囲に生息する40数頭の群れで、箱根の旅館街や住宅地にも頻繁に出没します(図2)。秋から冬にかけて、このS群は博物館の真向かいにあたる直線距離にして4kmの地域を行ったり来たりしながら過ごします。S群の数個体につけられた発振器の信号をキャッチするため、昨年博物館の屋上にアンテナをたてました。群れのいる方向が特定できて、遊動のパターンを把握することができるようになりました。これをもとに、博物館でより新しい情報を提供したり、保護管理プランを作成するための基礎データとして蓄積したりするなど、いろいろな活用方法を検討中です。

西湘個体群の将来
 多くの野生動物と同様に、西湘個体群の行方は私たちの手にゆだねられています。長期化した被害への抜本的な対策として、平成元年より野猿の郷整備事業が行われています。これは、現在の生息域の山側付近にニホンザルが自然の食物を食べて生活できるような郷をつくり、そこに西湘の個体群を移そうという計画です。今のところ、植林のむずかしさやニホンザルを郷にとどまらせる決め手不足など問題も多く、実現までの道のりは険しそうです。

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ライブラリー通信
人類はまた,ヘール・ボップに逢えるのか
土屋定夫(当館司書)

 今年は天文学の当たり年のようです。この半年ほどの間でも、春先のヘール・ボップ彗星に始まり、日食があり、火星探査機の到達成功がありました。このようなトピックス的なことがあると、出版界にも少なからず、変化が出てきます。つまり、そのテーマに関連した図書が多く出版されるということです。テーマが珍しいことであればあるほど、その本は貴重な文献になります。
 例えば、今年はヘール・ボップ彗星についての本が、5冊ほど出版されましたが、派生的に、彗星関連の本も同じくらい出ているのです。半年の間に、彗星の本が10冊も出る年は他にはないでしょう。いくつかを紹介しましょう。 
これがヘール・ボップ彗星だ!!』(誠文堂新光社) 、『ヘール・ボップ彗星がやってくる』(〃 )、『ヘール・ボップ彗星完全ガイド』(地人書館)などがあります。また、彗星そのものについては、『理科年表』(丸善)や『天文年鑑』(誠文堂新光社)でも調べることができます。公転周期や近日点距離、最初の出現(もちろん記録に残っている最初という意味ですが)、出現回数、さらには近く訪れる彗星のリストまで掲載されていて便利です。有名なハレー彗星は公転周期が76年で、すでに30回も太陽の周りを回っていて、次に訪れるのは2061年だそうです。
そういえば、ヘール・ボップ彗星が次にやって来るのは、2379年後という話です。24世紀先も、人類が今のように繁栄を誇っていられるのでしょうか。我々がヘール・ボップ彗星を見た最後の人類にならないように祈りつつ、今夜も、夏の星空を眺めてみることにしましょう。

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新収資料紹介
斜長岩とエクロジャイト
平田大二(学芸員)

 最近収集した岩石資料のなかから、今回は斜長岩とエクロジャイトという色のきれいな2種の岩石について紹介します。

1.斜長岩(アノーソサイト;anorthosite)

アノーソサイトの写真斜長岩(カナダ・ラブラドル地方産).KPM-NL0000398(11×8×6cm)

 斜長岩は、マグマが地下深くでゆっくり冷えて固まってできる深成岩の一種です。色は暗灰色から灰青色をしています。岩石がほとんど結晶質であること、そしてその結晶の多くが斜長石という鉱物であることが特徴です。含まれている鉱物のうち、斜長石は90%以上を占めています。その他の鉱物としては、石英が5%より少なく、輝石などの有色鉱物も10%以下です。斜長岩という和名は、そのものズバリ、このようなたくさんの量の斜長石にちなんでいます。また、anorthosite(アノーソサイト)という英名の語源も、フランス語の斜長石という意味のanorthoseに由来します。
 斜長石の結晶の大きさは、1cmぐらいの粗粒サイズが一般的ですが、まれに1mをこえる大きなものもあります。写真1の標本は、斜長石の一種である曹灰長石(ラブラドライト)の大きな結晶が、光線のあたり方によって美しい青色の閃光を放っています。
 斜長岩の世界の主な産地は、ノルウェーやカナダのラブラドル地方、アメリカ合衆国モンタナ州、南アフリカ共和国トランスバール地方など、いずれもプレカンブリア時代に形成された古い大陸地塊です。アポロ計画で採集された月の岩石は、斜長岩とよく似ていることが明らかになりました。斜長岩は地球初期のマグマ活動や、地球と月との関係を解く鍵として注目されています。

2.エクロジャイト(eclogite)

エクロジャイトの写真エクロジャイト(ノルウェー産).KPM-NL0000382(28×23×18cm)

 エクロジャイトという岩石は、玄武岩類が地殻変動により高い温度と圧力の変成作用をうけてできる岩石で、変成岩を代表するものの一つです。岩石を構成する主な鉱物が単斜輝石とザクロ石であること、密度が約3.4g/cm3と大きいことが特徴です。ちなみに火成岩の中で密度の高い玄武岩は2.9g/cm3です。一般的に、単斜輝石は粒状から塊状の深い緑色、ザクロ石は赤くて丸い形状をしています(写真2)。変成条件によって、藍晶石や緑れん石、ダイヤモンドなどを含む場合もあります。
 エクロジャイトが形成される温度圧力条件は、実験岩石学によって明らかになりました。その温度は450〜1600℃、圧力は10〜40kbarの範囲であり、地球内部の様々な深さで形成されることが推定できるようになりました。
 天然のエクロジャイトは、日本を含め世界各地に産出します。その産出状態は、1)海洋地殻の沈み込み帯にみられる変成岩中の小岩体、2)大陸地殻の衝突帯にみられる変成岩中の小岩体、3)キンバーライトや玄武岩などの火成岩のなかの捕獲岩、の三つに分けられています。写真の標本は、2)の岩体に属するものです。変成作用の温度圧力条件や天然の産出状態から、エクロジャイトが地下深くで形成されてから、地表に持ち上げられてくるまでの経緯をたどることができます。

 岩石や鉱物にもたくさんの種類があり、それぞれの生い立ちがあります。それらを一つ一つ解き明かし、そして総合的に組み上げることによって、地球の歴史を読むことができます。

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