神奈川県立生命の星・地球博物館

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1998年9月15日発行 年4回発行 第4巻 第3号 通巻14号 ISSN 1341-545X


自然科学のとびら


Vol.4, No.3  神奈川県立生命の星・地球博物館  Sept.,1998


今号の目次


二宮層とそれを切る断層

田口公則(学芸員)

二宮層とそれを切る断層(19KB)
二宮層とそれを切る断層の写真

中郡大磯町虫窪
田口公則撮影(1998年6月)

 大磯丘陵には、その西縁にある国府津・松田断層のほかにも多くの断層が分布しています。活動的なプレート境界の近くにあるために隆起・変動の著しい丘陵です。

 大磯丘陵の虫窪は、古くから化石の産地として知られていましたが、昨年、小田原厚木道路の工事に伴いその有名な露頭はなくなってしまいました。そのかわりに二宮層とよばれる46万年前の地層が工事によってきれいに露出しました。私たちのグループでは、その化石と地層の調査を行っていますが、最近みごとな断層が露出しました(写真)。ほぼ南北方向の断層で、西側(写真右側)がずれ落ちています。垂直にずれているだけでなく、水平方向にもずれているようです。断層が落ち込んだくさび型の部分の上部には、二宮層よりずっと新しい地層(赤茶色の部分)が見られますので、地質学的にかなり最近といえる数万年前にこの断層が活動したようです。大磯丘陵が活動的な場所といえる証拠の一つです。

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研究ノート 不思議なカビの恋愛事情

出川洋介(学芸員)

 ある日、実験室で顕微鏡をのぞいていた私は思わず「あっ」と叫んでしまいました。培地上に置いた土壌動物の死骸の上に、見たこともないような不思議なかっこうをしたカビの胞子が形成されていたのです。あるテーマについて続けて研究をしていると何年かに一度、そういうとても嬉しい瞬間があるものです。私は、クサレケカビというカビの仲間について、自然界にどれくらいの種がいて、どこでどのように生活をしているのかということを調べてきました。カビ・キノコや酵母を含む真菌類の仲間には現在約6万の種が知られていますが、実際にはその倍以上の種があるものと想定されており、まだまだ未知のものがたくさんあります。土の中には小さな動物とともに、土壌菌と呼ばれる多くのカビが生息しており、他の生物の死骸や排泄物を分解するという重要なはたらきをしています。クサレケカビの仲間はこの土壌菌の代表的なグループの一つです。カビの体は1mmに満たない細かい糸状の菌糸からできており、その観察には顕微鏡を使わなくてはなりません。よく目にするパンや餅などの表面に生えて困るカビの姿は、これらがまとまって目に見えるようになったコロニーの状態です。コロニーには、たくさんの小さな胞子が作られますが、この胞子の形や胞子を作る構造が、カビの仲間を分類する上での特徴となるため、胞子を寒天培地の上に植えてやり、培地上で胞子が形成されるところを観察して種を調べます。

接合胞子(9KB)
図1.雌雄同株性の Mortierella cogitans の接合胞子.左の瘤状の雄の細胞と,右の球形の雌の細胞とが同じ枝から分化して接合している.

 ところで、生き物が子供を作って仲間を増やすには、体の一部がちぎれて増える無性生殖と、性を介した有性生殖という方法とがあります。われわれ人間も含めて多くの動物では有性生殖が一般的ですが、植物や菌類では無性生殖もごく普通に行われています。クサレケカビは接合菌というカビの仲間ですが、接合菌は有性生殖により接合胞子という胞子を形成します。一つの体の中に性の異なる部分が分化して接合胞子を形成する種もありますが(図1)、多くの種では接合胞子は、同じ種の異なる性の株が出会ったときに形成されます。接合菌類には人間と同様に二つの性がありますが、この性の違いは外見からは区別できません。寒天培地の上に、異なる性のカビを向き合うように植えて、お見合いさせてやると、両者が出会い接触した場所でお互いの方向に同じ形の菌糸の枝を伸ばしてきます。この枝が接触したところで、枝の先端の細胞が融合し、それぞれの体の内容物が混ざって接合胞子が形成されます。この一連の過程がどのように起きるかということはよく調べられていて、ホルモンとして働く物質も明らかにされています。

接合胞子の塊(14KB)
図2.培地上に置いたオカダンゴムシの死骸上に形成された雌雄異株性の M. capitata の接合胞子の塊(白色の塊状の部分).

 この接合胞子のかたちや作り方は、接合菌を分類する上で重要な特徴となります。クサレケカビの仲間も自然界のどこかでは有性生殖をしているはずなのですが、普通の培地条件ではなかなか接合胞子ができません。どのようにしたらそれを誘導できるのか考えながら、ルーぺや携帯顕微鏡を用いて、彼らが自然界ではどのようなところに生活しているのか調べました。その結果、ある種のクサレケカビは、特定の土壌動物が多数生息している土の中によく見出されることがわかりました。そして、その様なところから持ち帰った土壌を丁寧に観察し続けた結果、彼らは土の中でも特に動物の死骸に集中し、そこで出会った菌株の間で有性生殖をしているらしいということがわかりました。これらの種では、異なる性の株が、通常の培地の上でただ出会っただけでは接合胞子は形成されません。そこで、培地の中央に動物の死骸を添加してやったところ、ようやく、その上で出会った異性の菌株同士が接合胞子を形成してくれたのです(図2)。またその形成の過程を観察したところ、クサレケカビの仲間は他の接合菌とは異なり、共通して著しい性差を示すことがわかりました。ダンゴムシ類の死骸にしばしば発生する Mortierella capitata という種では、この性差がとりわけ顕著で、雄の菌糸が雌の細胞の周りを取り囲むようにして接合胞子が発達するという、今までに知られなかった新たなスタイルが観察されました(図3)。

接合胞子(17KB)
図3.走査型電子顕微鏡で観察した M. capitata の接合胞子.球形の雌の細胞を分枝した雄の菌糸が取り囲む.接合胞子の直径は約0.05mm.

このようにして、誘導できるようになった有性生殖の反応を用いて、交配実験による種の検討も可能となりましたが、これらのことはまた、次の機会にご紹介したいと思います。

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3月に発見されたミヤマクワガタを考える

高桑正敏(学芸員)

異常な?事態

 なんと、春もまだ早い3月18日のこと、1頭のミヤマクワガタのオスが当博物館の屋上で見つかりました。発見者は、清掃業務に携わっておられる高橋末造さん。

 翌日にその個体を見た私はびっくりしました。というのも、この人気あるクワガタムシはふつうだと6月下旬から9月にかけてしか、成虫を見かけることがないからです。もう少し説明すると、ミヤマクワガタは夏に現れますが、秋にはみな死んでしまいます。オオクワガタやヒラタクワガタとは違って短命ですし、飼育しても冬を越すことがないとされていたからです。だから、3月に発見されるというのは、異常な?事態なのです。もしかすると、これも温暖化現象のなせる業なのでしょうか?

3月に生きていた証拠

 博物館の屋上へは鍵が掛けられており、一般の入館者は立ち入ることはできません。18日は週1回の清掃のために高橋さんが鍵を開けて屋上に入り、作業中にコンクリート床上で本個体を発見したのです。高橋さんは前の週にはそれを見ていないので、本個体はこの1週間の間に屋上にやってきたことになります。

 ただし、ここで1つ問題がありました。発見されたときは、動いていなかったというのです。だから、前年の夏に屋上のどこかで死んでしまったものが、たまたま風か何かのせいで見つかりやすい床上にころがった可能性があります。それなら、別に大騒ぎすることもないのでしょうが、次に述べるように状況はまったく違うのです。

 さて、発見された当日は、本個体は新井一政学芸員が受け取りました。その時点では、肢(あし)も柔らかく動く状態であり、まだ生きているか、あるいは死んだばかりの様子であったそうです。翌日に私が見たさいも、肢や触角がやや固めながら動く状態でした。もし、前年の夏に死んだ個体なら、乾燥してカチンカチンのはずです。さらに、本個体の複眼は黒褐色をしていました。死んで時間がたった個体は、茶色に変わってしまうのです。以上のことからは、発見時の本個体は死亡の直前ないし直後であったことにほぼまちがいありません。すると、本個体は3月に生きていたことになります。

長く活動してきた個体

 この個体をくわしく調べると、大顎(おおあご)の先端部や内歯は摩耗して光沢があり、前胸の背中の中央付近、鞘翅(しょうし:固いはね)の基部の後方や両ばねの含わせ目などの細かな毛ははげ落ち、腹側の後胸の毛も寝た状態にあるばかりか、鞘翅の汚れ(ロウ状物質の付着など)も著しく、また肢の歯突起の損傷もめだつ、という特徴がありました。これらの点は、成虫として長いこと活動してきた個体、つまり私たち昆虫界に生きる者たちの言葉で表現すれば“新鮮でない”個体であることを物語っています。

もしかすると大発見?

 これまで述べた点をまとめてみましょう。第1に、3月中旬に生きていた。たぶん、どこからか自力で飛翔して当博物館の屋上にやってきた。第2に、すでに長いあいだ活動してきた。つまり、この3月に材中の蛹(さなぎ)室から出てきた新成虫ではなく、前年の夏から活動してきた個体であろう。となれば、本個体はこの冬を成虫で過ごしたはずです。

 ところが、最初に説明したように、本種の成虫は自然状態では夏期に限って出現し、秋には死亡してしまうと考えられています。もし、秋冬を過ごしたとなれば、初めての例かもしれません。そうなら大発見なのですが……。

新成虫を取り出して飼育した?

 ところで、最近のクワガタムシ飼育ブームは、まさに超過激。昆虫専門誌「月刊むし」には、このところクワガタの飼育に関係した広告が分厚く掲載されているほどです。

 こうした中で出版された小島啓史さんの「クワガタムシ飼育のスーパーテクニック」という本を斜め読みしていて、アッと驚いてしまいました。ミヤマクワガタの場合、夏に材中の蛹室内で新成虫となった個体(自然状態なら蛹室内にとどまったまま翌年の夏まで動かずに過ごす)を強制的に取り出して飼育すると、冬を活動させた状態で越すことができる、と書いてあったからです。このことから、3月に発見された個体のナゾときが可能です。つまり、そのようにして飼育されていたものが、当博物館近くで逃げたか放たれたかしたもの、と解釈するのです。本当のところはわかりません(ここが肝心です)が、今の時点ではそう解釈しておくべきでしょう。なんだか、とてもつまらない、夢のない結果となってしまいました。

飼育する際のこわさ

 飼育行為は、時とすると、自然の営みから外れた状況を生んでしまいます。本当に偶然でしたが、この原稿を打ち込んでいるまっ最中に、私の息子が血相をかえて熱帯性のあるチョウを持ってきました。友だちが小学校で見つけた蛹から出てきたものだそうですが、関東地方でのこのチョウの自然状態での蛹の発見はおそらく初めてのことで、近年の亜熱帯〜熱帯性昆虫の北上を示す例として大変重要です。しかしこの場合でも、飼育していた幼虫を誰かが放したもの、という可能性がまったくないとは言い切れません。

 地域の自然誌の解明も、私たち学芸員に課せられた重要な仕事です。近年の温暖化による?昆虫の生態変化や北上現象をリアルタイムで把握するのも、その1つです。ところが、上記のような例は、飼育による結果かどうかをまず疑ってみなければなりません。もちろん、正解は必ずしも明らかではありません。だから研究者にとっては、難しい判断を要求される時代になってきたと言えます。もっとも、皆さんが全員、生きものを飼育する場合に、最後まで責任を持って管理してくれたら問題ないのですが。

 末尾ながら、いつも当博物館内で発見した昆虫を届けてくださる高橋末造さんはじめ、OBMの方々に心から感謝いたします。

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カラパチア山脈のオオカミとイノシシ

神崎伸夫(東京農工大学助教授)

ビエスチャデイ地域(35KB)図1.ポーランド・ビエスチャデイ地域.

 1996年3月からポーランド南東部に位置するビエスチャデイ地域でイノシシの研究を行っています。ビエスチャデイは、スロバキア、ポーランド、ウクライナ、ルーマニアにまたがるカラパチア山脈の一部で、約2,000km2の面積を持つ山岳地帯です(図1)。当地域は60%がブナとモミからなる森林に覆われていて、冬は大変厳しく、最低気温は-30℃、積雪期間は11月から4月で積雪深は40〜80cmにもなります。豊かな自然生態系が維持されており、哺乳類の大型捕食者としてはオオカミ、リンクス、ヒグマが、有蹄類としてはアカシカ、ノロジカ、イノシシ、バイソン、ムースが生息しています。

 私がビエスチャデイで研究を始めたのは、自然生態系の中でのイノシシの生活を明らかにしたいと考えたからです。イノシシは肉や毛皮に高い商品価値がついており世界的に商業狩猟が行われています。日本でも西日本を中心としてボタン鍋やイノシシ鍋などが郷土料理として食べられています。その一方で農作物被害を出す害獣として悪名高い動物でもあります。そのためこれまでのイノシシの研究は狩猟資源として適切に管理する方法や、農作物被害を減らす方法についてのものなどが主流でした。そして調査地は低標高地帯の農業生態系の中に選ばれる傾向がありました。イノシシの個体群動態に影響を与える要因としては、トウモロコシ畑の拡大、農業従事者の高齢化、狩猟圧の増減など、人間が関係するものが指摘されてきました。

 オオカミがいる生態系の中でイノシシはどのような生活をしているのでしょうか。シカのように、イノシシの個体数変動はオオカミによって影響を受けるのでしょうか。残念ながらオオカミとイノシシの関係について調べられた研究はあまりありません。それは、オオカミが生息している場所が限られていること、たとえ同地域にこれら2種が生息していたとしても両種とも徹底した個体群管理の対象になっている場合が多いことがあげられます。数少ないながら行われた研究では、オオカミはイノシシの生態や個体数変動に影響を与えることは少ないとされてきました。そのような研究の一つにポーランド北東部にあるビエロビエジャ原生林で行われたものがあります。この地域は低地原生林が保護されている地域で、オオカミ、リンクスを含む豊かな動物相が維持されています。ここで冬期に森林の中で死んでいる有蹄類の死因を調べて、どの要因が個体数変動に影響を与えるかについて議論が行われました。そしてイノシシの死因としては病気や飢餓が多く、オオカミの捕食の影響は少ないと結論づけられました。オオカミにとってイノシシは強くて恐ろしいので、よほどのことがないかぎり(例えばシカがいなくなってしまった場合など)、イノシシを襲うことはないと考えられました。確かにオオカミにとってイノシシは手強いようです。ポーランドの森林官が、大きな雄イノシシに対してオオカミの鳴きまねをしたところ、このイノシシは逃げずに低い声でうなり返し戦おうとしたそうです。しかし私はビエロビエジャで行われた研究の調査方法には問題があり、オオカミの影響を過小評価している可能性があると考えています。オオカミが捕食するイノシシは90%以上が1歳以下であることが報告されています。オオカミがイノシシを狙うとしたら、春の出産期以降が良く、子供が成長した冬にはあまり狙わなくなるのではないでしょうか。またたとえ小さな個体がオオカミに捕まったとしても、完全に消化されて痕跡が残らないことも報告されています。

生息密度の変化グラフ(25KB)
図2.ビエスチャデイ地域におけるイノシシの生息密度とオオカミの相対的生息密度の変化(1980年〜1995年).

 そこでビエスチャデイ地域において、過去16年間のオオカミとイノシシの生息密度の変動を調べてみました。ポーランドでは各森林区や猟区で毎年狩猟鳥獣の個体数センサスをすることが義務づけられているので、それぞれの地区を回ることでデータを収集することができました。この2種の個体数は大きく変動していました。ポーランドでは1974年までオオカミは害獣として位置づけられており、毒殺など様々な方法で殺されていました。しかし1975年になるとオオカミのステータスが狩猟獣に変わり、捕獲数が制限されるようになりました。その結果1980年代にオオカミの個体数増加がみられるようになりますが、逆にイノシシの個体数には減少傾向がみられました(図2)。過去16年間の両者の個体数変動に有意な負の相関関係が見られたことは、オオカミがイノシシの密度に影響を与えていることを示唆しているのではないでしょうか。その後、イノシシの個体数変動に影響を与えると考えられている他の要因(例えば、積雪日数、冬期の気温、人間による捕獲数、ブナの実の豊凶)についてもデータを収集してみたが、どのパラメータもオオカミの密度ほどイノシシの個体数変動をうまく説明することができませんでした。ビエスチャデイ地域のようにシカが多く生息しているような環境でも、オオカミはイノシシを捕食しており、その個体数をコントロールしていると考えられました。

 それではオオカミがいる生態系の中ではイノシシの社会構造はどのように変わるのでしょうか。野生動物が群れを形成する理由の一つに捕食者から身を守るということがあります。日本においては信愛女子短期大学の仲谷淳さんが、兵庫県の表六甲地域で詳細な研究を行い、ニホンイノシシは基本的に単独性であることを明らかにしました。ところがヨーロッパなどの文献をみますと、イノシシが群れをつくる動物であることが報告されています。私も今年の3月にビエスチャデイ地域の山の中にいた時、15頭の群れを観察しました。森林官に聞いてみると30頭からなる群れを見ることもあるそうです。私は日本とポーランドでイノシシの群れサイズが違うことの理由としてオオカミの存在があると考えています。日本と同様に捕食者を欠くフランスのカマルグ地方では、6頭以上の群れは19%しかないということですが、オオカミ、リンクスとも生息するポーランドのビエロビエジャや北東部のボルキ林地域ではそれぞれ43%、59%にもなるそうです。

 ビエスチャデイ地域のイノシシの研究でもう一つテーマとして考えていたのは、イノシシの寒冷地適応についてです。これもオオカミの存在と関係が深いことが次第にわかってきました。日本では北陸、東北地方のほとんどの地域にイノシシは分布していません。30cm以上の積雪深が70日以上続く地域にはイノシシが生息していないことが報告されています。イノシシは脚が短いので深い積雪は移動を阻害すること、冬期は鼻をスコップのように使って地中から餌を取ることが多くなりますが、25〜30cm以上の積雪は掘り起こし活動を阻害することを考えると、イノシシが多雪地帯に進出できないのは納得がいきます。ところがビエスチャデイ地域には一年を通してイノシシが生息しています。当地域で積雪以上にイノシシの採食活動を阻害すると考えられのがマイナス30度にもなる低温です。地面が1m以上凍結するということなので、いくら彼らの強靭な鼻をもってしても食べ物を得ることはできないのではないでしょうか。この件に関して地元の森林官から興味深い話を聞きました。冬に捕ったイノシシの胃を開けてみたところ、獣の肉が大量に出てきたというのです。いくら牙があるといえイノシシがシカや家畜を襲って食べるとは思われません。もしかするとオオカミの食べ残しを横取りしているのではないでしょうか。ビエロビエジャにおけるリンクスの研究論文に、このアイディアを支持する結果が載っていました。リンクスの食べ残しにはキツネ、カラスなど様々な動物が群がってくるそうですが、最も頻度が多いのがイノシシということでした。

 つまりイノシシはオオカミに食べられるリスクを背負いながら、オオカミがいることで寒冷地に進出していくことが可能になっているのではないでしょうか。もう一つオオカミとイノシシの関係を考える上で重要なポイントがあります。オオカミとイノシシの個体数変動(図2)をみると、1991年〜93年にかけてオオカミの密度が安定しているにも関わらず、イノシシの密度が減少していました。このようなイノシシの密度の減少ははビエスチャデイに隣接しているウクライナとスロバキアでも見られたそうです(ウクライナ科学アカデミー・カラパチア生態学研究所、スロバキア林業研究所私信)。この原因について森林局、国立公園管理事務所、獣医などの関係諸機関に聞き取り調査を行ったところ、それは豚コレラの蔓延によるものということでした。1991年のベルリンの壁崩壊は東欧各国の制度に大きな影響を与えました。スロバキアではその時期を境にしてブタに対する豚コレラの予防接種が義務でなくなりました。そしてスロバキアで発生した豚コレラがイノシシに感染して、カラパチア山脈中に広がったようです。

 記録を調べてみると、近世には日本の東北地方にもイノシシは分布していました。明治時代にイノシシがいなくなるのですが、それも豚コレラが蔓延したためと考えられています。ここで疑問に思うのは、なぜ豚コレラが広大な地域に広がったにも関わらず、カラバチア山脈ではイノシシの個体数が3分の1程度減ったにとどまり、東北地方では絶滅したかということです。オオカミの存在がこの問題を解く鍵ではないでしょか。両地域とも冬期の気候は厳しいので、前述したようにイノシシは地中から食物を得られず死肉食に傾いていたと考えられます。東北地方では、豚コレラにより死んだイノシシが次から次へとイノシシに食べられ、一気に病気が蔓延し絶滅に追いやられたのではないでしょうか。一方、カラパチア山脈では、病気にかかり弱った個体はオオカミに狙われて除去されたので病気の蔓延の程度は小さく、絶滅にまで至らなかったと考えられます。このような病気個体の除去には、スカベンジャー的な役割を果たすキツネ、カラス、ヒグマなどの存在も貢献したと思われます。

 イノシシはオオカミに捕食されて個体数を制限されている一方で、オオカミがいることで寒冷地に適応することが可能になっているのかもしれません。東北地方でイノシシが絶滅したとされる1907年が、本州で最後のオオカミが捕獲された1905年の直後であるのは示唆的です。これらの仮説が正しければ、オオカミは森林生態系の多様性の維持に大きく貢献していると考えられます。

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神奈川の自然シリーズ10 神奈川県西部の活断層と地震

松田時彦(西南学院大学教授)

 地震だけでなく、最近では活断層も恐いものにあげられています。「泣く子も黙る活断層」と書かれたこともあります。いつの日にか大地震を起こすはずのものだからです。その活断層が神奈川県の西部にいくつかあります。

神奈川県の活断層

 地震の原因は、岩盤が急にこわれて岩盤の中の切れ目(断層)にそってその両側の岩盤が急にずれ動くことです。それを断層運動とよんでいます。そのとき発生する振動が地震です。

 日本列島をつくる岩盤のなかには大小多数の断層がありますが、そのなかでも、最近の地質時代に断層運動を繰り返している断層が活断層です。日本の活断層はすべて普段は死んでいるように静かですこしもずれ動いていません。しかし、長い期間でみると、それぞれのペース(時間間隔)で周期的に繰り返し動いてきました。

 神奈川県西部は関東地方で最も活断層の多い地域です。とくに丹沢山地の東南縁にある伊勢原断層と、足柄平野西縁の国府津・松田断層が顕著なものです。相模湾にはフィリピン海プレートと本州のプレートの境をなす大きな活断層(相模トラフ断層)もあります。そのほかにも、丹沢山地の周辺や内部に鶴川断層、長者舎断層、玄倉断層、神縄断層、秦野断層などがあり、大磯丘陵には渋沢断層や大磯北方の諸断層があります。箱根火山地域には和留沢断層、平山断層などが知られています。

伊勢原断層と元慶2年の相模の地震

 小田急電鉄の伊勢原駅の西方で線路をほぼ南北に横切る活断層です。過去十万年以上の間、断層の東側を地震の度に隆起させてきた結果、この断層の東側の土地が西側より高くなっています。たとえば小田急の線路の南では東側が伊勢原台地、西側が鈴川の沖積低地になっています。この断層の南端部での地質調査によって、平安時代の延暦・貞観期と江戸時代の宝永期の間にこの断層が動いて、断層の東側の土地が1.6mほど隆起したことがわかりました。この期間に相模国でおこった大地震は歴史書によると平安時代の元慶2年(西暦878年)の相模・武蔵の地震(理科年表によるとマグニチュード7.4)だけですので、その地震がこの断層の活動をあらわしていると考えられます。このとき1.6mも土地がずれ動いたことは、その時の地震がマグニチュード7.0〜7.5程度の大規模なものであったことを意味しています。この断層の活動周期は5千年以上なので、つぎの活動は当分先のことでしょう。

国府津・松田断層と大磯−丹沢地震

 大磯丘陵はその西縁で急に100m以上も低くなり足柄平野に変わります。両者の境界にあって大磯丘陵側の土地を高くしたものが国府津・松田断層です。少なくとも過去数万年間そのような東側隆起の動きを繰り返してきましたが、過去6千年間にはそれが累積して東側隆起は20mに達しています。

 大正12年の関東大地震はこの断層の付近に震源があったとされていますが、そのときにはこの断層は動きませんでした。しかし過去6千年間には累計20mも土地をずらしているのですから、大正の関東地震とはタイプの違う大地震を起こしてきたに違いありません。それを大磯型地震とよぶことがありますが、丹沢山地も隆起すると考えられるので大磯―丹沢地震とよぶ方が適当かもしれません。この断層から起こったそのようなタイプの地震によって、大磯丘陵と足柄平野の高度差が生じたのです(大正関東地震では両者の高度差は生じませんでした)。 

 地質や地形の調査の結果、この断層がそのような地震を起こした最新の時期は約3千年前であると結論されました。1回の地震では土地のずれは大きくても10mぐらい(地震の規模はマグニチュード8程度相当)ですから、過去6千年間に20mも動いている事実を説明するためには、そのような地震が過去6千年間にもう1回起こった(計2回、約3,000年間隔)と考えられます。つまり、この断層の活動間隔は約3,000年間隔と推定されるのに最近の約3,000年間は活動していない、ということになります。このように、この断層はすでに“満期”になっていていつ大地震を起こしてもおかしくない状況にあると考えられます。

 そこで、政府は昨年、国府津・松田断層からマグニチュード8程度の大地震が今後数百年以内に発生する可能性がある、と発表しました。この予測は場所と規模についてはきちんと限定していますが、発生時期は数百年以内という大雑把なものです。それは上記の2つの約3,000年という推定値には百年単位の不確かさがあると考えられるからです。地震の時期が「数百年以内」では漠然としていて防災に役に立たないと思われる方があるかも知れませんが、これが前兆に頼らない地震予知の実力の現状です。このような長期地震予知は他の断層についてもつぎつぎに発表されようとしています。そこに、この程度の情報でも国民に報せておくべきであったという、阪神大震災後の為政者の反省と防災に対する積極的な意図を汲み取ることができます。

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ライブラリー通信 雑草を知るための本

内田 潔(当館司書)

 絶滅が危惧されている植物がある一方で、雑草のように人々から敬遠され、絶えず防除され続けている植物が隆盛を誇っているのはなぜでしょうか。単に私たちの生活にとって有用でないばかりか、他の有用作物にとって有害とされて邪魔者扱いされている雑草ですが、それは人間の身勝手な価値観に基づくもので見方を変えれば雑草ほど繁殖戦略に成功した植物はないのかもしれません。

 ところで、雑草と呼ばれている草にはどんなものがあるのでしょうか。私たちは庭先や空き地に我物顔に生えている草が雑草とは知っていますが、それが何と言う名前の雑草であるのか実は案外知らないのです。もちろん、植物図鑑で検索すればよいのですが、ある程度の知識のある人はともかく一度経験された方はお分かりでしょうが、一般的に植物図鑑は「科」別に分類してあるので、知りたい雑草が何という科に属するのか分からないと、めあての雑草を図鑑のなかに探し当てるのはそう簡単なことではありません。さらに、掲載されている写真やイラストは開花期のものが多いため、生育段階の初期や中期の姿から検索するのは一層困難です。

 そんな時役に立ちそうな図鑑に『ミニ雑草図鑑』(全国農村教育協会)があります。副題に「雑草の見分け方」とありますが、一般的な植物図鑑と違い雑草だけを480種取り上げ、まず比較的生育しやすい環境別(水田・畑地・樹園地・非農耕地等)に大きく分類し、しかも生育段階に応じて写真が3〜5枚掲載されていて検索しやすいように工夫がなされています。また、当館の学芸員による『足柄平野の雑草』(オールプランナー)は箱根のふもとから足柄平野にかけてみられる代表的な雑草170種を、調べやすいように、花の色別に並べて掲載してあります。小冊子の造りなので散策時の携行には便利です。

 いくらか難解ですが『雑草の自然史』(北海道大学図書刊行会)は、雑草の起源、適応力、その生活史戦略はどのようなものなのかを人間との関わりのなかで考察したものです。敬遠され、邪魔者扱いされる雑草ですが、それぞれの名前やその生活史、たくましさの秘密を知るようになれば、これまでの雑草に対する思いも変容して、あるいは億劫な庭の草むしりも別の感慨をもってできるようになるかもしれません。

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資料紹介 ニホンジカの頭骨標本の収集と利用

広谷 彰(外来研究員)

 神奈川県立生命の星・地球博物館(以下、博物館と呼びます)には、「国内で唯一」「最古」などの形容詞のついためずらしく貴重な標本がたくさんありますが、ひとつひとつはめずらしくなくても、複数集まって価値を持ってくる標本もあります。今回紹介するニホンジカの頭骨はそのような標本です。ここでは、これらの標本が博物館に集まるようになった経緯と、この標本を使って現在進行している研究について紹介したいと思います。

ニホンジカ骨格標本(14KB)
博物館に収蔵されるニホンジカの骨格標本.

これまでの収集の経緯と今後の方針

 博物館のニホンジカの頭骨標本はほとんどが丹沢山地のものです。丹沢のシカは狩猟や有害駆除のターゲットとなり、保護区では生息環境が悪化しているため、その生息状況は厳しいものです。また、シカが森林に与える被害も深刻です。総個体数や性年齢構成が不明のまま、有害鳥獣駆除や狩猟が許可され、しかも捕獲個体の年齢や体格、栄養状態等の情報を把握するシステムさえ不完全です。このような状況は、一刻も早く改善されなければなりません。そのため、適正な保護管理計画がたてられ、早急に実行されることが望まれます。しかし、具体的な計画をたてる基礎となるデータが不足しています。

 そこで、主として県立自然保護センターに収容された救護個体を中心に、野生動物の捕獲地や体格・臓器重量・脂肪蓄積等に関する情報を共有化していくプロジェクトが始まりました(野生動物に関する情報交換会)。1997年より始まったこの交換会は、県立自然保護センターを中心に組織されています。自然保護センターに収容された救護個体は死亡後センターで解剖され、各サンプルが担当各機関へ送られます。そして、解析後のデータは再び自然保護センターに集められ管理されます。集められたデータは研究や保護管理計画の立案が今後スムーズになされるように、定期的に公表されます。このプロジェクトの一環として博物館では、頭骨標本をつくり、保管する作業をしています。現在、約150頭分の頭骨があります。

標本の利用

 これらの標本を利用しておこなった研究をひとつ紹介したいと思います。私は雄シカの体の大きさとそれに対する角の大きさを調べてみることにしました。生息環境の変化にともなって、昔と今のシカの体格や角の大きさになんらかの相違があるかもしれません。ここでは研究の内容については詳しく述べませんが、環境条件や角の進化とからめていくつかの仮説をたてて頭骨や角の測定をしています。予測通りの結果が得られるかはまだわかりませんが、測定をしながら思ったのは、昔の標本がもっとたくさんあればということでした。そうすれば現在と過去で、より正確な比較ができます。しかし、以前のものはそのときどきの経緯で集めたものであり、また研究分野によってどのような標本がどの程度必要かは異なるので、これはやむをえません。これらの経験は今後どのような方針で資料を収集するかを判断する手がかりになります。また、現存する資料をいかにうまく活用するかは、研究をする側の工夫にかかってきます。

 一般的に標本数が多いほど研究のテーマが広がり、結論の信頼性が増すとはいえ、収蔵スペースには限りがあります。しかも、昔のものほど希少ですから、古くなったから処分するというわけにはいきません。現在、情報はますます圧縮され、小さな電子メディアに百科事典がおさまってしまう時代ですが、博物館の資料はなんといっても現物が価値をもちます。そこで、将来を視野に入れた効率的な収集方針と有効な利用にむけての情報の公開がぜひ必要になります。


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