神奈川県立生命の星・地球博物館

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1999年3月30日発行 年4回発行 第5巻 第1号 通巻16号 ISSN 1341-545X


自然科学のとびら


Vol.5, No.1  神奈川県立生命の星・地球博物館  Mar.,1999


素晴らしい箱根の自然

蛯子貞二(環境庁富士箱根伊豆国立公園箱根地区ボランティア解説員・博物館友の会会員)

自然保護運動の原点「ケンペル・バーニー碑」

バーニー碑
図1(碑文拓本).元箱根旧東海道の杉並木にある自然保護活動の原点「バーニー碑」.

箱根町元箱根の興福院の裏、旧街道に面した所にバーニー碑があります。この碑には、元禄3年(1690)に来日し、日本の美しい自然と絢爛たる文化を世界に紹介したケンペルの「日本誌」序文、「本書は隆盛にして強大なる帝国の歴史なり、本書は勇敢にして不屈なる国民の記録なり、其人民は謙譲勤勉敦厚にして其拠れる地は最も天恵に富めり」を引用し、バーニー自らの言葉「新旧両街道の会合するこの地点に立つ人よ、この光栄ある祖国をば更に美しく尊くして、卿等の子孫に伝えられよ」と刻まれています。オーストラリア生まれのイギリス人バーニーは、明治20年(1887)頃来日、叔父ブラウンの貿易商をつぎ、戦時中強制送還など不幸な出来事はあったものの、戦後も横浜に住み、昭和33年(1958)に天に召されましたが、箱根をこよなく愛し、地元の人たちからも慕われ、その人たちの世話で大正7年(1918)に現在の御殿公園に別荘を建てました。その地元への恩返しにこの稗を建てたと当時の刷り物にありますが、何故このような碑文を残したのでしょう。明治40年(1907)、ここの杉並木が国道1号の建設工事の資金づくりに沢山切られたそうです。そんな悲しみがバーニーさんの深層にあったのでしょう。大正11年(1922)に建てられたこの碑はその後 40年の間人知れずして眠り続けましたが、昭和34年(1959)に開かれた全国レクリエーション大会の際に、日本山岳界の重鎮槙有恒が特別講演で「箱根の杉並木の中に、日本の自然保護の原点ともいうべき碑があることを知っているか?」と問い、翌年日本自然保護協会機関誌「自然保護」創刊号に日本山岳会副会長松方三郎が「御存知ですか」と題して紹介したことから、その存在が知られるようになりました。地元箱根町ではこの碑文を尊び、勤労感謝の日(11月23日)に「ケンペル・バーニー祭」を行って、箱根の自然環境の保全を誓い合うのを毎年の習わしとしています。

ケンペルが驚嘆し、バーニーが愛した箱根の景観

箱根は日本列島のほぼ中央、伊豆半島の付け根にありますが、その生業(なりわい)はロマンに満ちています。約100万年前に日本列島に付加した新しい地塊、それが伊豆箱根の土台です。この土台には新第三紀中新世(23.0〜5.3百万年)の頃に南の海のフィリピン海プレート上に出来た海底火山やその周辺に出来たサンゴ礁、日本列島にやってくるまでの長い間に海底に積もった深海生物の遺骸、列島に接触する前の浅くなった海に生息した軟体動物の生活史など様々な時代の歴史が隠されています。箱根火山はこの秘めた歴史の上に数十万年かけて出来上がった三重式火山です。火山活動は大涌谷の噴煙や温泉の湧出を見るように今も局部的に続いていますが、主要な活載は2,900年前の冠ヶ岳溶岩塔の生成で止み、今はブナやヤマボウシなど日本の冷温帯を代表する夏禄広葉樹林に覆われた美しい景観を造り上げました。箱根にはコイワザクラやハコネコメツツジなど箱根を特徴づける数多くの植物(フォッサマグナ要素)や、ハコネサンショウウオなどこの地方を代表する貴重な動物たちがいます。一方、この地は中世以来街道交通の要衝として重視され、近世には湯治場としても繁栄し、現在では世界的に著名な観光地となった歴史もあります。

溶岩尖
写真1.箱根の景観:冠ヶ岳溶岩尖:烏帽子の形をした溶岩塔は箱根火山の最後のマグマ活動の産物.
フクロウの雛
写真2.ブナ林の動物:ブナ樹の洞で育つフクロウの雛(清水平).
ヤマボウシ―ブナ群集
写真3.箱根の景観:冷温帯の指標ヤマボウシ―ブナ群集の林(二子山).
ハコネコメツツジ
写真4.箱根の景観:風衝地のハコネコメツツジ(二子山).
箱根の植物ハコネトリカブト
写真5.箱根ブナ林の脇役(いや主役かな?)たち.箱根を特徴づける植物.左から順に,ヒメイワカガミ(大湧谷),コイワザクラ(駒ヶ岳),コキクザキイチリンソウ(駒ヶ岳),ハコネトリカブト(駒ヶ岳).


箱根の地形と地質

美しく整った三重式火山箱根、それは火山地形の壮年期と言えましょう。北西にある富士山は青年期、西の愛鷹山は老年期、ここはまた火山地形の変遷を見る絶好の場でもあります。

箱根火山は地質年代で言う新生代新第三紀中新世(23.0〜5.3百万年)から鮮新世(5.3〜1.75百万年)の海底火山の噴出物を土台に、新旧2つのカルデラと7つの中央火口丘を持つ三重式火山からなると言われています。これは箱根火山の成り立ちを地形発達史的・地質学および岩石学的に研究された東京大学教授故久野久博士が昭和12年(1937)に完成され、昭和25年(1950)に発表された論文によるもので、今日においても若干の修正はあるものの、この成果が踏襲されています。しかしながら、広く分布する箱根火山岩の生成時代や火山降下物(テフラ)の地質時計を使っての新しい研究が発表されており、画期的な成果の発表が期待される段階にあるといえましょう。

今日、箱根の火山活動はプレートの沈み込みに関わる地質現象として捕らえ直されています。伊豆・小笠原島孤の最北端にある箱根火山の土台、すなわち基盤岩類は、一つは新第三紀中新世頃に始まる海底火山の噴出物で湯ヶ島層群と呼ばれ、ナトリウム温泉を伴って早川渓谷沿いの宮ノ下から堂ヶ島にかけての限られた地域と湯河原町の千歳川・藤木川に分布していますが、これは元々はフィリピン海プレートの上に出来た海底火山の噴出物でありました。もう一つは潟本駅裏にある白石地蔵の彫られた「早川角礫凝灰岩(久野 1950)」で、湯ヶ島層群の上に堆積した中部鮮新統時代の貝類などが沢山住んでいた浅い暖かい海に堆積した凝灰岩と奥湯本から湯本にかけての須雲川沿いにある「須雲川安山岩(久野 1950)」と呼ばれる溶岩流などです。これらは箱根火山が出来る前の百万年前頃に伊豆・小笠原島孤の一部として日本列島に付加した最も新しい衝突体といわれています。また、衝突前の丹沢山地との間の海に堆積した足柄層群も基盤の一つとなっています。

このような土台の上に出来上がった箱根火山ですが、その先駆的な活動はどうやら65万年ほど前に始まった湯河原町天照山付近に分布する玄武岩火山がそれのようです。火山活動はそれ以後、5〜15万年の活動期、2〜4万年休止期間のサイクルで4回線り返し今日の地形を造り上げました(平田 1996)。

久野:地質図
箱根火山地質図(久野 1950 一部改変).
平田:箱根岩石層序図
K-Ar 年代による箱根岩石層序図(平田 1996)

二つの地質図、久野(1950)、平田(1996)を掲げました。大きな違いは古期外輪山についての解釈です。久野は高さ2,700mの頂上を持つ一つの成層火山が出来たとしていますが、平田は少なくとも5つ以上の複生火山として出来、またその時期もこつに分け、特に須雲川南西部のものは生成の時代が若く、岩質的にも違うとしている点です。

大涌各や湯ノ花沢の噴煙は今もこの火山が生きていることを示していますが、顕著な火山活動は3,100年前に起きた大涌谷の水蒸気爆発とその200年後に冷えかかって粘性を増したマグマが火口に入した溶岩塔(冠ヶ岳)以後は静穏を保ち、豊かな、そして固有な植生に覆われるようになりました。特異な地質の生業と固有な生物群、素晴らしい景観の中に秘められたこの自然を、バーニーの願いに重ね、更に美しくして私たちの子孫に伝えていきたい、そんな願いを込めて、私の箱根通いが続いています。

参考文献:


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