神奈川県立生命の星・地球博物館

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1999年6月15日発行 年4回発行 第5巻 第2号 通巻17号 ISSN 1341-545X


自然科学のとびら


Vol.5, No.2  神奈川県立生命の星・地球博物館  June,1999


より自然なトンボ池つくりのために―トンボ池の功罪、水草にご注意―

苅部治紀(学芸員)

近年、全国各地にトンボ池つくりが広がっています。県内では各地の学校でのトンボ池つくりも盛んになっています。池の造成、維持には大変な手間がかかり、現在かかわっておられる皆さんのご苦労は大変なものでしょう。僕もかつて「トンボ池発祥の地」高知県中村市のトンボ王国で2年間に渡り日々汗を流していましたから、その苦労はよくわかるつもりです。さて、身近な場所から自然が失われている現在、トンボ池つくりは歓迎するべきことであって、きっとトンボ達も喜んでいるのではないかと僕は思っています。もっとも現状を見ますと、トンボが豊富な本来の自然環境は相変わらず日々破壊されているのはご存じの通りですし、時としてエコ・アップやビオトープという言葉を免罪符にして開発が行なわれる本末転倒の状況もありますが、このことは今回の話の主題からはずれますので置いておきましょう。

実は最近神奈川県内で、トンボ池の造成時に移植された水草に伴って、他地方から移入したと考えられるトンボが繁殖している例が確認されていますので、報告するとともに読者の皆さんの注意をお願いしたいと思います。なお、初めにお断りしておきますが、この話は特定の誰かの責任を問うためのものではありません。あくまで目的は前向きな「今後のより自然な池つくり」のためのつもりです。事例に出てくる場所に関っておられる方は気を悪くされるかもしれませんが、ご了解下さい。

事例1

横浜市金沢区の小学校の裏庭に作った池。静岡県磐田市の桶ケ谷沼などから水草を移植(タヌキモ他)。ベニイトトンボが1994年から確認されており、1996年の調査時には極めて多産していた。その後も継続して発生している。県内をはじめ周辺に確実な産地もなく、桶ケ谷沼からの移入の可能性が高い。


コバネアオイトトンボ産卵

事例2

横浜市保土ヶ谷区の丘陵地の裾野に広がる公園。1995年の秋から造成工事を行い、1996年春までに水草の植え付けを行った。クログワイ・ウキヤガラ・サンカクイ・アサザ・タヌキモなど17種4700本を兵庫県東南部(三田・丹波周辺)から移植。96年秋からコバネアオイトトンボが発生。97年秋にも多産。交尾・産卵も多数見られた。現在関東地方でも栃木県の数ヶ所しか発生地がないことと、水草を持ってきた兵庫県東南部は本種の多産地であることからも移入と考えられる。

上記の2例は、たまたま神奈川県や近隣に現在全く生息していない種であったため移入が生じたことが明らかになりましたが、例えばマルタンヤンマなど県内でも見られる種だったら、他地方からの人為的移入があってもわからないと思われます。ただし、これらの移入例は誰かが意図的にやったことではなく、いずれも環境を作っていく過程で生じた一種の「事故」なのです。

何が問題なのか?

  1. どこの地方のものだろうと、たとえベニイトトンボやコバネアオイトトンボがいてもいいじゃないか」という考えもあるかもしれません。確かにトンボ池を一種の‘動物園’として考えれば、別にそこにマレーシアのミドリカワトンボが飛んでいてもおかしくはないでしょう。しかし、トンボ池はそんな‘動物園’ではなく、我々の身近なところから失われてしまった水環境を復元していくことが目的だったはずです。だとすれば現在の地域のファウナを大切にしながら、トンボ達が自然に飛来定着してくれるのを待つのが筋ではないでしょうか?自然の回復を目的としていながら、地域の自然誌の破壊をしていては本末転倒になってしまう恐れがあります。
  2. また、今回の事例で問題なのは「誰も知らずに(意図的でなく)やってしまった」点です。このような意図的でない移入は、年月が経ってしまえばなぜそこに「県内にはいないはずの」種が生息しているのか、誰もその経緯を明らかにすることもできなくなるでしょう。つまり、誰かが注意深くそのトンボ池のトンボ相を追いかけて調査していないと、そういう事態が生じた事さえ知らないままになってしまいます。万一そこから周辺にそのような「インベーダー」が増えた場合、それが意図的でないだけに無責任な生物相の攪乱をまねく可能性が高いのです。
  3. また、これはたまたまそういう事例にあたったのかもしれませんが、「よそから自生の水草を大量に採取・移植していた」点も見過ごせません。都会に自然を呼び戻す過程で在来の自然を傷つけていたのは残念です。これも意図的に行なわれたのではなく行政からの発注を受けた業者が集めてきた結果ですが、今後は、トンボ池つくりの立案の時点で考えなくてはいけない問題だなと思っています。
  4. ところで上記の問題の原因は「専門家(アドバイザー)の不在」につきると思います。現在トンボ池事業は、初期の専門家主導から、市民団体や自治体主導の形などに裾野が広がっています。今後もこの傾向は強まるでしょう。このことは様々な形でトンボに関心を持っている一般の方が増えている事の現れですし、多様な考えの人間が集まり、力を結集するやりかたはトンボの専門家も歓迎していることと思います(当たり前ですが、トンボの専門家だけが集まっても事はうまく進まないでしょう)。しかし、今回の例を見ると、たとえ水草の移植を行うとしてもやり方を考えれば、他所からのトンボの人為的な移入は防げた可能性も高く、アドバイザーがいればと悔やまれます。

コバネアオイトトンボが発生したトンボ池

これからどうすればいいの?

もし、これまでにお話しさせて頂いたことをご理解いただけたなら、このように知らず知らずに進行している地域のトンボ相の攪乱を防ぐために、現場で活動されている皆さんにお願いしたいことは、以下のことです。

それぞれの地域で、トンボ相攪乱問題が起きている事のアピールのお手伝いをして下さい。一般には、まだこのようなファウナの攪乱の例は知られていないでしょうし(この冬各地でお話するまでトンボの専門家もほとんど知りませんでした)、なにがいったい問題なのかも説明していただければと思います。また、積極的に専門家を使って下さい。県立博物館や各地の市立博物館などの学芸員は、そういうことのためにいます。ぜひ、疑問な点はお気軽におたずね下さい。水草についても同様です。

さて、言いっぱなしでは無責任ですから、現場での具体的な解決策を提示したいと思います。

まず、なるべくなら池は造成した後は自然の遷移にまかせ、水草の移植は行わない(基本):よくモデルとされる水草の多層構造を持つ「よい沼」も最初は無植生から始まっています。時間をかけて植生の遷移やトンボの移り変わりを観察するのも、学校などで年数をかけて追って行けば、それだけで「植生遷移」の実験にもなり理科の授業の一環としてもおもしろい試みと思います。

もし、水草の移植をするのであれば

  1. 種類の選定を最初によく考える事:本やパンフに出てくるトンボ池のモデルは、あくまで理想です。県内で調達可能な種を使いましょう。沈水植物は、実際にはなかなか生息条件が厳しく、定着は難しいと思いますが、湧水に恵まれた場所でしたらエビモ・ホザキノフサモ・クロモなど(いずれも在来種)がお薦めです。よくモデル例に出てくる浮遊植物のタヌキモ類は、弱酸性の安定した沼にしか生えません。もともと分布も限られるものですし、都会のトンボ池に必要な種類とは思えません。過剰な採取も心配です。浮葉植物では、現在県内に残るのはヒシとヒルムシロ類、ヒメコウホネくらいです。アサザのような国のレッドデータブックにのるような種類は、必ず出所の確かなもの(いわゆる山採りでないもの)を使いましょう。抽水植物では、ガマ類、マコモ、サンカクイ、オモダカなどがよいでしょう。
  2. 水草は基本的にごく近い場所で調達するようにすること。県内の近い場所のものであれば、万一トンボの移入が起ってもほとんど問題になりません。他地方のものや出所の怪しい物は絶対に避ける。これが守られればかなり安心です。また、例えばヒシのような県内での絶滅が心配されている水草(ご存じかも知れませんが、県内では水草の多くは絶滅してしまっていますし、ほとんどの種が絶滅予備軍です)を移植する事で、その水草の最低限の県内産の系統保存(悲しい言葉ですね)の役にもたてるでしょう。トンボの誘致と水草の保護を兼ねる一石二鳥も狙えるかもしれません。なお、この場合もどこからいつ持ってきたかの記録と、同じ種類を複数の地点から持ってこない、などの気配りは必要です。
  3. なるべく水草の種子か殖芽の採取・散布にする。こうすれば水草の自生地への影響も少ないですし、トンボの移入も防げます。
  4. 沈水植物はよく洗い、できるだけヤゴがくっついてこないよう注意。産卵された卵での移入を防ぐには冬期の移植がよい。生息地からは直接移植を行わず、しばらく水槽でキープできればより安心。
  5. 抽水植物は、コバネアオイトトンボのような組織内卵越冬パターンをとる種の持ち込みの危険が高いのでできるだけさける。もし移植するのであれば1)を守ること。

これまで述べた、トンボの人為的な移入の問題は、実はトンボの専門家もごく最近まで注意していないことでした。しかし、実際にこのような事態が生じたことが明かになったわけですから、今後は水草の移植にも気を使って、より「自然な池」を普及させていきたいものです。


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