神奈川県立生命の星・地球博物館

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1999年6月15日発行 年4回発行 第5巻 第2号 通巻17号 ISSN 1341-545X


自然科学のとびら


Vol.5, No.2  神奈川県立生命の星・地球博物館  June,1999


研究ノート 地下水の利用と保全 −有機塩素系化合物による地下水の汚染と対策−

長瀬和雄(非常勤学芸員)

人と地下水

地球は水の惑星といわれてます。地球には13.8億km3 の水が存在すると計算されています。最も多いのは海洋で13億4,993万km3、次が氷雪で2,423万km3、第3位が地下水で1,010万km3です。河川と湖沼の水は第4位でわずか24万km3にしかすぎません。これらの水は太陽のエネルギーにより絶えず相互に循環しています。氷雪の99.5%は南極とグリーンランドにあるので、地下水は身近にあって最も利用し易い水資源といえます。

私たち人間の体の2/3は水でできています。そして水は生きていくために欠くことができません。人の体重を60kgとすると40kgは水でできていることになります。水の循環系の中に人間の体も含まれているのです。毎日、飲料として直接飲むほかに、食物の中に含まれている水分を含めると1日に約2kgの水を必要とします。単純に計算すると、人間の体を作っている水分は20日で入れ替わってしまう計算になります。私たち人間の体は60兆もの細胞でできていて、人により差はありますが、一つ一つの細胞にガンの遺伝子が組み込まれていると言われます。発ガン性のある化学物質が水に溶け、人間の体の中に入って循環すれば、当然ガンの発生率は高くなります。

20世紀に入って人間は生活の豊かさを求めて、数十万種類の化学物質を作り出しました。これらの物質には発ガン性があるなど人類の生存に悪影響を与えるものも少なくありません。これまで地球上に多くの生物が栄え、絶滅したように、人間の知恵が造り出したこれらの化学物質は人類の繁栄に貢献しましたが、やがて、人類を絶滅させる危険性も持っています。

人類は、豊かに、そして少しでも長く地球上に生存するために、知恵を使って、化学物質を賢く利用していかねばなりません。

有機塩素系化合物による地下水汚染

現在、発ガン性があるとされる化学物質のトリクロロエチレン、テトラクロロエチレン等による地下水汚染が社会問題になっています。

トリクロロエチレン、テトラクロロエチレン等有機塩素化合物には、その中にただ漬けておくだけで、油類の汚れを溶かして、きれいに流し去ってしまう優れた性質があります。この性質は、1970年代に工場の電子関係部品などハイテク製品の洗浄からはじまって、町のクリーニングやさんの衣類の洗濯に至るまで大変便利な溶剤として広く使われました。しかし、1981年カリフォルニアのシリコンバレーで、これらの化学物質による地下水汚染が社会問題となりました。日本でもこれらの化学物質は、広く大量に、そして簡便に使われていたので、全国各地でこれらの化学物質による地下水汚染問題が起こってしまいました。環境庁や自治体は法律を作り、トリクロロエチレン、テトラクロロエチレンの環境基準値をそれぞれ30ppb、10ppb (ppbはppmの1/1,000の濃度)と設定し、地下水の浄化対策に取り組んでいます。しかし、地下に浸透してしまった化学物質による汚染を浄化することは大変難しい問題です。


図1 地下水涵養域の汚染機構
 1,2,3,4,5:汚染濃度の特に高くなるところ

有機塩素系化合物は工場などの貯蔵タンクや洗浄槽等の施設から大量に漏れると、土壌から更に下方のローム層、泥層、砂層、礫層などの地層へ浸透し、地下水面に達すると地下水汚染を引き起こします(図1)。

有機塩素化合物は水より重く(比重テトラクロロエチレン1.631、トリクロロエチレン1.476)、粘性(水の0.8〜0.5倍)や表面張力(水の半分)が小さいので、地表の浸透地点から下方へ、水よりスムーズに、ほぼ垂直に浸透します。この時、この化合物は土粒子の表面に付着し、空隙の狭い部分で架橋状態となり、また吸着水(死蔵水)にとけ込んだりして、通気帯に残留しながら、地層中の比較的大きな間隙を選んで、あたかも毛細血管のように樹枝状に下方へ浸透し、やがて量が多いか、あるいは通気帯が薄いと地下水面に達します。通気帯に残留する汚染物質の量はそこを構成する堆積物の粒径や粒度組成、固結度、含水比など土質によって異なります。粘土層および粘土を多く含む地層(葉層)には、砂礫層などの粗粒な地層に比べ、多量の汚染物質が含まれることになります。通気帯に残留したこの化合物は、溶解度は小さい(20℃でテトラクロロエチレン0.015、トリクロロエチレン0.110 g/100ml)が、少しずつ地下へ浸透する雨水に溶け込み、その流れに乗って下方へ移動します。また、揮発性が高いので、土粒子に付着している汚染物質は通気帯で気相中へ気化し易く、地下で空気とともに移動します(図1の1,5)。

地下水面に到達した化合物は、帯水層の土粒子の粒径が小さければ、地下水面の上に溜まります(図1の2,6)。地下水面上の化合物は、蒸発して上位の泥層等の下底を汚染しながら(図1の3,7)、地下水とともに流動し、空隙の大きいところを見つけて、地下水面下へ浸透します。地下水面下に取り込まれた同物質は粒状となり帯水層の間隙が小さければ間隙に残留し、地下水に溶け込んで地下水を汚染します。また、間隙が大きい場合は、ほぼその隙間の大きさの粒状に分散し、かなり速い速度で帯水層中を落下します。帯水層の中の大きな空隙を下方へ落下した汚染物質は、帯水層の底の難透水層の上で再び塊状となり、マウンドを形成して溜まります(図1の4,8)。この塊状の同物質は、難透水層上面に1/100の勾配(普通の扇状地)以上の傾斜があると、塊の状態で下流方向に移動し、難透水層上面が造る窪地等の中に溜まります。これまでの調査の結果から数百キログラムをこえる有機塩素系化合物が原液状で回収されたことがあります。

地下水汚染対策 

神奈川県秦野市は秦野盆地の地下に豊富に分布する地下水を市の水道水源として利用しています。


図2 弘法の清水(秦野市)

秦野市では地下水の汚染が顕在化すると、いち早く条例を設定し、地下水の浄化に取り組みました。秦野盆地は富士山の東側、偏西風の風下側に位置し、富士山の火山灰が20m以上も厚く堆積しました。特に、新富士火山の活動と呼ばれる5千年の間に数十mに達する粗い火山灰が盆地に降り積もりました。秦野盆地では盆地の北から中央にかけて降った雨は粗い火山灰の台地に浸透し、ここは地下水のかん養域となっています。この地下水は盆地の南縁でわき出して、環境庁が指定した全国名水100選の一つの“弘法の清水”(図2)等の湧泉群を形成しています。雨水が地下深くまで浸透してしまう盆地中央部の台地では水を得るためには昔から手掘りで深い井戸を掘る必要があり、水には大変苦労しました。しかし、昭和40年代以降、さく井技術が進歩し、地下数十mの深さから1日に1本の井戸で1,000〜2,000m3の地下水が簡単に利 用できるようになって、多くの工場が盆地中央の台地に進出し、開発が急激に進みました。 当然それらの工場では有機塩素系化合物が大量に使用され、地下水汚染を引き起こしました。平成元年、弘法の清水のテトラクロロエチレンの濃度が34ppbで環境基準値の3倍以上と某週刊誌で報道され、一挙に秦野盆地の地下水汚染が社会問題になりました。

秦野市では全国で初めて条例を作り、これまでに有機塩素系化合物を使用した百社を越えるすべての事業所で、工場の下などの表土の調査をおこない、汚染があればボーリングをして、さらに地下の汚染状況を調べ、事業所の協力を受けながら地下水汚染対策に取り組みました。

幸いにして、秦野盆地では粗い火山灰層が厚く分布し、有機塩素系化合物は地下水面の上の火山灰に付着して分布するところが多くありました。それらの化学物質は真空抽出法といって、地下で気化させ、地下の空気と一緒に吸い上げて除去する方法で非常に効率よく回収されました。また、帯水層の透水係数が大きく、地下水の循環が速いこともあって、帯水層の中の化合物は、地下水に溶け出すなどして、地下水と一緒に化合物を汲み上げることができました。秦野市では条例を制定して、市をあげて地下水の浄化対策に取り組んだため、秦野盆地の地下水は、浄化が進み、盆地南端の弘法の清水も、まもなく環境基準値をクリアーすると予想されています。秦野市の取り組みは日本において最も進んだ地域の一つで、地下水の浄化に成功している例といえます。

地下水の汚染対策は、多額の費用を必要とし、技術的にも難しい問題が多いとされ、全国的にみて、取り組みが立ち後れています。全国各地で地下水汚染対策にもっと積極的に取り組み、一日も早く昔の地下水環境を取り戻すことは20世紀に生きた私たちの義務といえます。


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