神奈川県立生命の星・地球博物館

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1999年12月15日発行 年4回発行 第5巻 第4号 通巻19号 ISSN 1341-545X


自然科学のとびら


Vol.5, No.4  神奈川県立生命の星・地球博物館  Dec.,1999


昭和天皇の自己実現と生物学研究〜支えた知的探求心と旺盛な気力〜

影山 昇(東京水産大学名誉教授)

はじめに

昭和天皇は明治34年(1901)4月29日に御降誕、父君の大正天皇が大正15年(1926)12月25日崩御の直後、歴代124代の天皇として即位。その後、昭和64年(1989)1月7日午前6時33分、皇居内・吹上御所で崩御された。歴代天皇中で最長62年有余の在位期間であり、かつ最長寿の87歳であった。

昭和天皇の生き切られた明治・大正・昭和の三代は日本のまさに激動の時代で終始し、その間に不幸な戦争も体験する。

そこで本稿では、昭和天皇が天皇としての公務を最優先されつつも、動植物の採集や、吹上御所の書庫にある生物学関係の書物を繙かれたり、皇居内の生物学御研究所で海洋生物や植物の分類の御研究に専念されたりといった日常生活を大切にされておられた生物学徒としての一面を紹介する。

学問修行と生物学研究への取り組み

父君の嘉仁(よしひと)親王が大正天皇に即位後、迪宮裕仁(みちのみやひろひと)親王(昭和天皇)が皇太子となり、大正3年(1914)4月2日、学習院初等科を御卒業。ついで同年4月1日に設置された東宮御学問所(総裁は東郷平八郎)で、同年5月4日より同所で裕仁親王の本格的な帝王学の勉学が始まった。

学ばれた教育内容は、倫理・歴史・地理・国語・漢文・理科・数学・仏語・馬術・武課と多岐にわたっており、東宮御学問所での学業は大正10年(1921)2月18日をもって修了され、役割を果たした同学問所は同月27日に廃所される。

特に裕仁親王が関心と興味を抱かれたのは服部広太郎(理博)から受けた理科(生物学)の授業で、やがて昭和4年(1929)から本格的な生物学研究を開始された。昭和天皇のライフワークとなる研究テーマのヒドロゾアの分類の研究も服部のすすめを受け入れたもので、その経緯を自ら以下のように語っておられる。

「ヒドロゾアの研究は服部広太郎(東宮御学問所時代から皇太子に生物学を教授した)のすすめによってしたことです。その当時は研究する学者が日本では少ないことですから、競り合うことのないように思われましたから始めました。」
(昭和61年4月15日・在位60年式典を前にした記者会見での御発言)

こうして昭和天皇の研究活動は、皇太子時代から昭和初期までは赤坂離宮(現在・迎賓館)の生物学御研究所ですすめられた。

この御研究所は大正14年(1925)8月に建設されており、その建坪は45坪、内部は実験室・図書及び器機室・飼育培養室等に分かれ、付属施設としては貯蔵室・格納室が設けられていた。また前面には実験圃場もあった。

その後、昭和3年(1928)9月には宮城内に240坪の研究室が新設されており、同年1月28日付の『読売新聞』には次のような見出しの記事が掲載されている。

「聖上親しく鏡下に、変形菌を発見遊さる、―赤坂離宮内苑のムクエノキから採取され、―御指導の服部博士も御熱心な研究に恐躍、―日本の学界へ偉大な御寄与。」

そして、本紙面には生物学研究に取り組まれる一生物学徒としての昭和天皇の一面も紹介されている。

研究活動の展開

昭和天皇の御研究は動物や植物を対象に広範にわたっているが、中心となるものは海洋生物・ヒドロゾアの分類であった。

腔腸(こうちょう)動物(クラゲやイソギンチャクはその代表的な海洋生物)中、もっとも生物進化が原始的である生物群のヒドロゾアについては、専門とする研究者は、当時の日本ではきわめて少数であった。

採集先は主として神奈川県にある葉山御用邸の前に拡がる相模湾で、ほかに沼津御用邸や伊豆の須崎御用邸に接した駿河湾や相模灘も採集先としては重要で、半世紀にわたる研究活動の結果、採集された標本は実に5,000点・400種にも及び、昭和天皇の終生の願いは、採集した数多くの標本の分類の仕事とその集大成であった。

あわせ植物研究についても深い関心を寄せておられた。

大正15年(1926)に栃木県の那須にできた御用邸では、那須高原の植物に親しみをもたれ、御用邸付近の植物を採集され、標本にして牧野富太郎(理博)に属や種の決定の件で指導を受け、かつ、変形菌(腐った木やキノコ類に発生する下等植物)の研究も始めており、昭和天皇の研究主題は“海のヒドロゾア”と“陸の変形菌”の二つとなっていく。

なお植物に関連しては、戦後の昭和23、4年頃からシダ植物以上の高等植物にまで研究対象を拡げられており、他の研究者と協力して出版された『那須の植物』(三省堂・昭和37年)は植物関係の第一作となっている。

戦前・戦中の昭和天皇の研究活動は、毎週土曜日、戦後は毎週土曜日のほか月曜日と木曜日の午後、公務に支障のない限り持続されていたが、戦争中は軍関係者からは「どうも陛下は軍事に熱心でない。そんな生物の研究よりも帝王の学をもっと考究されればよいのに、けしからん」との声が出る程で、決して研究活動を中断させることはなかった。

当時の昭和天皇にとっては研究に没頭できる生物学御研究所での生活だけが、文字通り「現人神(あらひとがみ)」から「人間」天皇にかえることができる、かけがえのない大切なひとときであったのだろう。

事実、戦後に侍従次長を勤めた鈴木一の昭和天皇の御研究に関する回想をみると、研究に従事する当日の生き生きした昭和天皇の御姿が浮かび上がってくる。(『朝日新聞』平成元年1月8日付)

「お足の運びがほかの日と違う。いとも軽やかでしかも早い。さっそうとした青年の足どりだった。」

さらに同一紙面には、納得のいくまで調べ続けるという研究者に不可欠な資質が、少年時代からすでに培われていたことも紹介されている。

皇居内の生物学御研究所には、学習院初等科六年の大正二年夏、栃木県那須で採集された植物の標本までが大切に保管されている。(中略)「僕(秩父宮)などは最初のうちこそ熱心に一々名を検(しら)べもしますが、数が多くなると面倒になり、いい加減にしてしまいます。ところが、陛下(筆者注・昭和天皇)は決してそんなことはなく、小さな虫でも一々名をお検べにならないとお気がすまない。標本を整理するにも僕などが多少図案的に見た目にきれいなように配置するのに、陛下は必ず一々種類によって分類してお並べになるものですから容易なことではありません」(秩父宮『御殿場講話』)といわれるように、陛下は小さいときから納得のいくまでお調べになっていた。

さればこそ、昭和天皇が御生涯をかけて採集・分類された動植物研究の御労作が26冊にも達し、学界に大きく寄与して現在に及んでいるのである。([表]参照

研究者としてのエピソード

昭和天皇は昭和7年(1932)からリンネ協会(在ロンドン)の名誉会員であった。 リンネ協会は動植物の科学的命名法の確立者かつ現行の分類学の近代的体系の創始者で、生物学者のカール・フォン・リンネ(Karl von Linne, 1707〜1778)の名前にちなみ名付けられた分類学の学術団体である。

名誉会員に推挙された経緯は、昭和天皇御採集の変形菌の標本の同定を英国のリスター女史に依頼。女史はそこから2つの新種を発見し自らの業績として世界に発表した。そこで種蒔く人として貢献された昭和天皇は、リンネ協会より名誉会員に推され、さらには長年の地道な研究活動も評価されてロンドンの王立協会<ロイヤル・ソサエティ>の会員にも推挙されたのである。

また、最晩年の生物学徒としてのエピソードはきわめて強烈である。

すなわち、生前には残念ながら刊行をみなかった『皇居の植物』の書物のことで、昭和63年(1988)9月、十二指腸通過障害を取り除くためのバイパス手術を受けられた直後にあっても、本書に昭和天皇はもっとも力をそそがれていた。吐血が続き病床に伏されながらも、侍従に原稿の記述の追加をしばしば指示されるなど、息を引き取る直前まで、書物の内容を吟味し続けておられたというのである。

昭和天皇の気迫と一途なまでの御執念には、同じく研究者の道を歩む筆者自身、厳粛な思いと感動と共感、加えて大いなる励ましを覚えるばかりである。

むすび

昭和天皇の生物学研究、特にライフワークの「ヒドロゾア」研究の総体としての評価については、山田真弓(北海道大学名誉教授)が次のように語っている。(『朝日新聞』平成元年1月8日付)

「陛下のヒドロゾア研究は、相模湾という限られた海域で、非常に長い年月にわたって従事し、観察された精緻<せいち>なもので、こうした例は国際的にもあまりなく、学問的な意義は大きいと思います。 ご研究の態度も、世界の文献に広くあたられ、慎重で、奥が深かった。生物学御研究所に蓄積された標本の豊富さは、むろん日本一でしょうし、国際的にも価値あるものと信じます。
またヒドロゾアの研究の過程で採集されたバラエティに富んだ相模湾の生物の標本を、専門の学者に提供されたことも、学界にかけがえのない貢献だと思います。」

ここでいえることは、継続は力と金(ゴールド)であることを身をもって実践された昭和天皇の研究に取り組む執念と真摯かつ誠実さとは、後進の者への大きな励ましと勇気づけとなることである。

なお昭和天皇の生物学研究の諸成果はそのまま今上陛下の魚類学、常陸宮正仁親王殿下の下等動物の腫瘍(しゅよう)研究(金魚の赤色腫(せきしょくしゅ)は特に著名)、さらには秋篠宮文仁親王殿下の東南アジアでの淡水魚の系統分類学及びナマズ類の御研究に引き継がれてきていることを、最後に付記しておきたい。

主要参考文献

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 昭和天皇御研究書一覧

(1)動物

1.ヒドロゾア研究(単独)

 書 名 著者 発行年月 出版社
日本産1新属1新種の記載をともなうカゴメウミヒドラ科Clathrozonidaeのヒドロ虫類の検討 昭和天皇 昭42.2 保育社(非売品)
天草諸島のヒドロ虫類 同上 昭44.9 同上
カゴメウミヒドラ科Clathrozoon Wilsoni Spencerに関する追補 同上 昭46.9 同上
小笠原諸島のヒドロゾア類 同上 昭49.11 同上
紅海アカバ湾産ヒドロ虫類5種 同上 昭52.11 同上
伊豆大島および新島のヒドロ虫類 同上 昭58.6 同上
パナマ湾産の新ヒドロ虫類ベイヤーウミヒドラ 同上 昭59.6 同上
相模湾産ヒドロ虫類 同上 昭63.8 丸善(同)

2.共同研究

相模湾産後鰓(こうさい)類図譜 昭和天皇のご採集の資料を基に、馬場菊太郎大阪学芸大教授が取りまとめ 昭24.9 岩波書店
同 補遺 昭30.4 同上
相模湾産海鞘(ほや)類図譜 同、時岡隆京大教授 昭28.6 同上
増訂那須産変形菌図説 同、服部広太郎理博 昭39.10 三省堂
相模湾産蟹(かに)類図譜 同、酒井恒横浜国大教授 昭40.4 丸善
相模湾産ヒドロ珊瑚(さんご)類および石珊瑚類 同、江口元起東北大教授 昭43.4 同上
相模湾産貝類 同、黒田徳米、海部忠重、大山桂各理博 昭46.9 同上
相模湾産海星類 同、林良二富山大教授 昭48.12 保育社(非売品)
相模湾産甲殻類異尾類 同、三宅貞祥九州産業大教授 昭53.10 同上
伊豆半島沿岸および新島の吸管虫エフェロタ属 同、柳生亮三広島大名誉教授 昭55.10 同上
相模湾産蛇尾類 同、入村精一横浜市立戸塚高教諭 昭57.3 丸善
相模湾産海胆類 同、重井睦夫理博 昭61.4 同上
相模湾産海蜘蛛類 同、中村光一郎東大海洋研究所研究生 昭62.3 同上

(2)植物

那須の植物 昭和天皇と植物学者たち(本田正次・木村有香・北村四郎・原寛・伊藤洋・佐藤達夫) 昭37.4 三省堂
同 補遺 昭38.8 同上(非売品)
那須の植物誌 昭47.3 保育社
伊豆須崎の植物 昭55.11 同上
那須の植物誌続編 昭60.11 同上

<備考>26冊すべて「生物学御研究所編」となっている。

出所:『朝日新聞』(平成元年1月8日付け)の記事を中心に作成。


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