神奈川県立生命の星・地球博物館

[戻る]

2000年6月15日発行 年4回発行 第6巻 第2号 通巻21号 ISSN 1341-545X


自然科学のとびら


Vol.6, No.2  神奈川県立生命の星・地球博物館  June,2000


霊長類の行動と進化

長谷川眞理子(早稲田大学教授)

はじめに

人間とはどんな生き物なのでしょうか? 人間は脳が大きく、いろいろなことを考え、自分たちを取り巻く環境を自分たちに都合のよいようにどんどん改変しながら、こんなにも地上に繁栄するようになりました。かつて、自らの存在によって、これほど広範囲に地球表面を変化させた生き物はいませんでしたし、これほど多くのエネルギーをたった一つの種で使っている生き物もいません。こんな、「奇妙な」生き物である人間は、どんな背景から出現したのでしょうか?人間は動物であり、その中でも哺乳類に属しています。また、人間は、哺乳類の中では霊長類という生物群に属しています。霊長類とは、簡単に言えばサルの仲間です。

哺乳類のさまざまな分類群における、体重と脳重の関係(グラフ)
図1
哺乳類のさまざまな分類群における、体重と脳重の関係
P:霊長類 C:食肉目
D:クジラ目 S:アザラシ
U:有蹄類 E:貧歯目
L:ウサギ目 M:有袋類
R:げっ歯目 I:食虫目
B:翼手目

脳の大きさを比べる

人間は脳が大きいのが特徴ですが、この特徴は、ヒト以外の霊長類の仲間にも一般にあてはまります。哺乳類の中には、シカの仲間のような偶蹄目、ライオンのような食肉目、ネズミのようなげっ歯目など、いろいろな動物がいますが、これらの動物たちに比べて霊長類は、一般に脳が大きいのです。

脳が本当にどれほど大きいかを調べるには、からだ全体の大きさで補正しておかねばなりません。からだが大きければ、脳も当然大きくなるので、たとえば、ゾウの脳の方がネズミの脳より大きくても当たり前です。そこで、横軸に体重をとり、縦軸に脳の大きさをとって、双方を対数にしてグラフを書いてみます。すると、体重が大きいほど脳が大きくなり、このグラフがおよそ直線になることがわかります。

しかし、図1に示すように、偶蹄目、食肉目、霊長目を比べてみると、霊長目は、他の哺乳類よりも、同じ体重で比べても大きな脳を持っていることがわかります。つまり、ヒトは、自分たちと近縁な仲間たちが比較的脳が小さいにもかかわらず、ヒトだけ突然に脳が大きくなったのではなく、ヒトが属している霊長類という動物たち全体が、そもそも、他の哺乳類に比べて脳が大きい動物たちなのだということになります。したがって、霊長類の脳は、人間の脳がなぜこんなに大きいのか、人間の脳はなにを考えるために進化してきたのかということを考える鍵であると言えるでしょう。

霊長類の大きな脳

では、霊長類はなぜ脳が大きいのでしょうか? 脳が大きければいろいろな問題解決が上手にできるだろうから、当然有利なはずで、脳が大きくなるのは当たり前ではないか、と考えられるかもしれません。しかし、どんな動物もみんな脳が大きくなったわけではありません。それは、大きな脳を持つことには、それなりにコストがかかるからです。脳を維持するには、他の器官よりもたくさんのエネルギーが必要です。

それは、脳内の神経細胞を、つねに働く状態に保っておくためです。ぼーっとしていても、何かが飛んできたらすぐに頭を引っ込めるでしょう。そういうことができるためには、たとえしっかり働いていなくても、神経細胞がつねにスタンバイの状態になっていないといけません。そのため、大きな脳を持つほどに大量のエネルギーが必要となります。

そこで、うまく暮らしていくためにミニマムな脳があればそれで十分なので、それ以上のエネルギーを脳にまわすと、生活の他の面でマイナスの効果が現れます。脳が大きければ大きいほどよい、というわけではないのです。脳が大きくなるには、そのコストを上回る重要な理由がなければなりません。

大きな脳があると、いろいろな問題を解決できます。では、どんな問題を解決することが重要なのでしょうか? かつて、ヒトの脳がなぜ大きくなったのかということだけに注目し、それは、道具を使うからだ、言葉を話すからだ、などといろいろ憶測されたことがありました。しかし、霊長類の多くは道具を使いませんし、人間以外は誰も言葉を話しません。それでも霊長類は脳が大きいのですから、霊長類の生活に特有な何らかの問題解決が、脳を大きくさせる原動力であったと考えるべきでしょう。

そこで注目するべきなのは、ほとんどの霊長類は社会生活をするということです。

チンパンジーの集団
図2
チンパンジーの集団
毛づくろいを通して、互いに密接な社会関係を保っている

脳の発達は社会生活と深く関わる

群れを作る動物はたくさんいますが、霊長類の群れは、有蹄類などの集団とは少し違います。霊長類の群れは、それぞれが互いをしっかり個体識別し、誰が誰の子であるかなどの血縁の認識もあり、メンバーがかなり長期にわたって互いに関係を維持して暮らしています。ほとんどの種では、雌は、生まれた群れに一生のあいだとどまります。つまり、祖母、母、娘、姉妹、おば、姪などは、一生同じ群れに一緒に住んでつきあいを続けることになります。このような種では、雄の子どもは、性成熟前に自分の生まれた群れを去り、どこかほかの地域へ移動します。そして、最終的にはどこかの群れに加入します。

霊長類の社会には、たいていの場合、個体間に社会的な順位があります。多くの場合、個体の順位はその血縁者にまで拡張され、ある個体Aが他の個体Bよりも順位が高い場合には、Aの子どもたちもBの子どもたちよりも順位が高くなります。しかし、順位は、黙っていても保たれるわけではありません。順位が下の方の個体は、チャンスがあれば順位を上昇させようとねらっています。順位を維持したり、また上昇させたりするには、血縁者や友達との間の連合関係が重要です。

このような社会で暮らしていくためには、それぞれのメンバーの関係について、たくさんのことを知っていなければなりません。誰が誰よりも順位が上か下かばかりでなく、誰と誰は仲が良い、誰と誰は仲が悪い、ということも重要です。なぜなら、ある個体Aを攻撃したならば、それと仲の良いBが助けに応援にかけつけてくるかもしれないからです。

こんな社会生活をするためには、たくさんの情報処理をせねばならないでしょう。

それは、単独生活や、複雑な社会構造を持たない集合で暮らしているのとは大違いです。この社会生活の複雑さこそが、霊長類の脳を大きなものにした原動力ではなかったかと考えられています。このように、互いの社会関係を理解するための知能を、社会的知能と呼びます。これは、いかにして道具を作ったり使ったりするかという知能や、何が食べられるもので何が食べられないか、何は怖い動物かなどを理解する知能とは、別の種類の知能だと考えられています。前者を技術的知能、後者を博物的知能と呼びます。そうすると、私たち人間を含む霊長類の知能は、他の哺乳類に比べて格段に社会的知能が高いということになります。

社会関係を操作する

事実、霊長類は、このような複雑な社会関係を理解しているばかりでなく、社会関係を操作することもします。あるヒヒの子どもがとった行動を紹介しましょう。順位の低い、メルという名前のおとなの雌が、栄養のある根茎(こんけい)を固い地面から掘り出しています。それを見ていたポールという子どもが、突然、大声で泣き始めました。ポールの母親は、メルよりも順位が上です。子どもの泣き声を聞きつけた母親が振り向くと、ポールのそばにはメルがいます。母親は、「メルがポールをいじめたのだと思い」、怒って駆けつけ、メルを追い払います。メルは、突然、ポールの母親から攻撃され、せっかくの根茎を放り出して逃げていきます。そこでポールは、メルが掘り出した根茎をゆうゆうと食べます。

このポールという子どもは、いじめられたのでもないのに、なぜ大声で泣いたのでしょうか? それは、そうすれば、自分の母親が駆けつけるだろう、そこでメルを見れば、母親はメルが自分の子どもをいじめたのだと思うだろう、自分の母親に攻撃されれば、メルは逃げていくだろう、そうすれば、自分は根茎を食べることができるだろう、という一連の推論をしたからだと考えられます。つまり、ポールは、他者の行動を読んで母親を騙したのです。もちろん、ヒヒに言語はありませんから、言語で推論したのではないでしょうが、このような認識があるに違いないということです。

この話が一つだけでは、あまり説得力がないかもしれません。しかし、霊長類の社会行動を観察していると、このような例がいくつも見られます。とくに、ヒヒやニホンザルなど、大きな集団を作るサル類やチンパンジーなどの類人猿では、かなり複雑な社会的操作が見られます。

私が自分で経験した、チンパンジーの騙し行動を紹介しましょう。野生チンパンジーの観察をしていた、ある日のことです。CとGという仲の良い2頭の雌が私の近くにいました。私はバナナを持っていたのですが、この2頭はそれを知っていて、2頭とも、バナナを手に入れようとねらっていました。私が見ていると、Cが奇妙なことをしました。目の前に生えていた花の咲いた草をちぎって、突然、それをGの鼻の先に差し出したのです。当然ながら、Gは、差し出された花に注意を向けました。その瞬間、Cは、さっと私に近づいて、バナナを取ろうとしたのです。

Cは、Gもバナナが欲しいことをもちろん知っていました。そして、Gの鼻先に花を差し出せば、Gはそれに注意を取られるだろう、その間に自分がバナナをとれるだろう、と推論したに違いありません。

こういう「騙し」があると、今度は、どれが騙しでどれが正直な行動かと、相手の意図を見て取らねばならなくなり、問題はますます複雑になります。このような社会的な知能が、霊長類という種類全体がそもそも大きな脳を持つようになった原動力だったのでしょう。人間は、その延長線上にありますから、人間でも、社会的な知能が、知能の中でも中心的な役割を果たしていると考えられます。

たとえば、人間の脳には、「心の理論」と呼ばれる働きがあります。これは、自分自身の心の状態を参照にして、いろいろな手がかりから他人の心の状態を類推する働きをさします。他人の心は、手に取って見ることはできません。他人の心を理解するには、的確な推測が必要です。それには、人の行動を起こさせるもとには、感情があること、感情は顔面表情と一定の関係を持っていること、他人の興味はその人の視線の方向に向いていること、他人の知っていることと自分の知っていることにはギャップがあるかもしれないと知ることなど、多くの要素が含まれています。このような、考えてみれば複雑な事柄を、人間の子どもは、2歳から7歳ぐらいまでの間に急速に発達させていきます。先に述べたように、サルやチンパンジーも他人の心を類推していますが、人間と同じような「心の理論」を働かせているかどうかは、疑問です。

社会的知能の重要性

これまで、知能と言えば、数学ができたり難しい問題を解けたりすることだと考えられがちでした。しかし、人間の大きな脳は、相対性理論を考えたりするために進化してきたのではありません。進化の歴史の中で、私たちを含む霊長類という動物にとってもっとも重要だったのは、仲間の心を理解し、社会関係をうまく保つという問題だったのです。ほかの種類の問題解決ももちろん大切ですが、社会的知能こそが私たちの大きな脳の基盤であるということは、理解しておくべきでしょう。


[戻る]