神奈川県立生命の星・地球博物館

[戻る]

2000年6月15日発行 年4回発行 第6巻 第2号 通巻21号 ISSN 1341-545X


自然科学のとびら


Vol.6, No.2  神奈川県立生命の星・地球博物館  June,2000


神奈川の自然シリーズ14 今、小田原のメダカが危ない―善意?の放流と遺伝子汚染

瀬能 宏(学芸員)
図1
酒匂川水系および近隣河川におけるメダカの自然分布地点(○)と放流地点(☆)

1999年2月に環境庁が公表したレッドリストにおいて、メダカは絶滅危惧II類(絶滅の危険が増大している種)にランクされたことは記憶に新しいことでしょう。しかし、神奈川県では、すでに神奈川県レッドデータ生物調査報告書(1995年)によって危惧種F(現在の生息条件または生息環境の悪化が継続して作用すれば、近い将来絶滅種に移行する恐れがある種)にランクされており、たいへん厳しい状況におかれています。事実、県内のメダカの自生地は酒匂川水系のごく一部に限られ、正に風前の灯火です。

メダカがこんなにまで減ってしまった原因は、生息環境の消失あるいは破壊に他なりません。従って、最後に残された自生地の環境保全は当然最優先で行われる必要があります。しかし一方で、今、小田原のメダカは目に見えない深刻な危機に直面しています。長い時間の中で培われてきた地域個体群の特性が、遺伝子汚染によって損なわれる可能性が増大しているのです。

淡水魚は陸上や海を移動することができないので、例え同一種であっても水系ごとに遺伝的分化が進んでいることが普通です。メダカについても例外ではなく、国内だけでも北日本集団と南日本集団に大別され、後者はさらに9地域集団に細分されています。小田原のメダカは南日本集団の中の東日本型に分類され、さらに関東地方の中でもあまり一般的ではない遺伝子組成を持つことがこれまでの研究からわかっています。

もし、ある地域のメダカの自生地に、その地域とはまったく異なる遺伝子を持つメダカを放流するとどうなるでしょう。遺伝的分化が進んでいるとは言っても生殖的に隔離されるほどではないので、お互いに自由に交配し、その地域の独自性は失われてしまいます。これが遺伝子汚染と呼ばれる現象です。洪水のような自然現象によってふたつの地域間の個体が交配する場合は遺伝子汚染とは言いません。あくまで人為的な要因によて引き起こされる場合に限られます。遺伝子汚染が恐いのは、それ自体が目に見えないこと、そして一度汚染されたものを元に戻すことはまず不可能であることです。

筆者が知る限り、これまでに酒匂川水系と隣接する河川でメダカが放流された場所は7箇所あります(図1、A〜G)。これらの中には、遺伝子汚染を引き起こす可能性のあるヒメダカ(図2)や素性のはっきりしないメダカが放流された場所が4箇所含まれています(図1、A、C、E、G)。特に問題となるのは自生地のある酒匂川に直接流入する水域に放流されたケースです(図1、A)。幸いなことに、現時点では遺伝子汚染が起こったという事実は確認されていません。しかし、汚染源となるヒメダカや素性不明のメダカが完全に取り除かれたわけではありません。例え汚染源を取り除いたとしても、なぜそのようなメダカを放流してはいけないのかということが理解されない限り、再び放流される可能性が非常に大きいのです。もし、現実に遺伝子汚染が起こってしまったらどうなるでしょうか?市民が中心になって盛り上がりを見せている保護・保全活動に水を差すだけでなく、希少性や固有性を重視する保護行政にも深刻な影響を与えることは間違いありません。

遺伝子汚染の問題で特に重要なことは、放流が人の善意によって行われているという事実です。善意による放流は正当化され、美談としてマスコミ等で取り上げられることが多く、それがさらに放流を助長させるという悪循環を生んでいるのです。遺伝的背景を考慮しない放流は生命倫理に反する犯罪的行為であるという認識を持つ必要があるでしょう。善意が結果的に悪行になってしまっては何もなりません。

また、これは遺伝子汚染以前の問題ですが、放流の際には放流地の生息環境をよく調べて、メダカが生息できる状態に環境を復元する必要があります。メダカがいない所にはいないなりの理由があるのであって、それを取り除かない限り放流は無駄になります。よく何年にもわたって放流し続ける行為がやはり美談として紹介されていますが、科学的な裏付けもなく放流しているのであれば、それはメダカの大量虐殺に他なりません。放流するにしろ、環境復元をするにしろ、メダカ以外の生物への影響も十分に配慮する必要があるのは当然です。

メダカの地域特性を尊重することは、純血主義などでは決してなく、「ありのままの自然=長い時間の中で培われてきた進化の産物」を大切にする考え方を深め、ひいては人と自然の真の共生の実現につながることを知って欲しいと思います。

図2
遺伝子汚染源となるヒメダカ.KPM-NI 6673.南足柄市産

[戻る]

[地球博TopPageへ]