神奈川県立生命の星・地球博物館

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2001年6月15日発行 年4回発行 第7巻 第2号 通巻25号 ISSN 1341-545X


自然科学のとびら


Vol.7, No.2  神奈川県立生命の星・地球博物館  Jun.,2001


ライブラリー通信 ケンペル

内田 潔(司書)

先日、テレビ番組の「水戸黄門」の中で『ケンペル』という外国人が登場するシーンがありました。寸見しただけですが、時代状況からみて元禄時代に日本にやってきたオランダ商館付のドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルだと思われました。

ケンペルは北ドイツのレムゴー出身で、ドイツ国内各地の大学に遊学し様々な学問を修めた後、スウェーデンがペルシャに送る使節団の一員に加わり、更にその後オランダ東インド会社に医師として雇われたことで来日する機会を得ました。アジア各地を経てケンペルが来日したのは元禄3年(1960年)、39歳の時です。当時は年に一度オランダ商館長一行は江戸まで参府するのが慣わしで、ケンペルも二度随行し当時の五代将軍綱吉に拝謁しています。日本での滞在はわずか二年ほどでしたが、その間に日本の事情を調査研究し、多くの資料を持ち帰っています。ケンペル来日から約130年後の1823年、同じように日本にやってきたシーボルトほどには一般には知られていませんが、1990年に来日300周年の記念事業が開催されたことを契機にその業績を再評価する機運が高まりケンペル関係の書籍の出版が目立つようになりました。

そのケンペルが帰国して1712年に刊行した著作に『AMOENITATUM EXOTICARUM 1712』があります。これはアジア諸国の紀行・見聞録であり900頁を超える大冊でラテン語で書かれています。原題は「異邦の魅力」といった意味ですが、われらが先達はこれに『廻国奇観』という洒落た邦題を付けたので今でもこの書名で呼ばれています。ケンペルはこれを自費出版したとも言われていて、何部ほど刷られたのかは不明ですが、現在では日本でも所蔵している図書館は極めて限られた稀覯本となっています。ところがこの書は『廻国奇観』なる立派な邦題を持ちながら、何故かこれまで完全な邦訳本は出版されていないようです。ここはぜひ平凡社の東洋文庫に入れてもらいたいところです。

ケンペルはこの『廻国奇観』の第5部で日本産の様々な植物を紹介しています。それぞれの植物の説明に漢字名を宛てその日本語読みをローマ字で付記し、更に重要な植物には精密な図版まで付けて詳細に記述しています。ラテン語で書かれた300年も前の洋古書に漢字が刷られているのを見ると何だか不思議な感慨を覚えます。ただ歴史的にはまだリンネの以前のことですからもちろん学名は付与されていません。

ケンペルの著作にはもう一冊『日本誌』というのが知られていますが、こちらは江戸時代から何度も翻訳されて、新しいところでは1970年代に今井正訳で霞ヶ関出版から刊行されていますし、特にケンペルの江戸参府の部分はいく度も翻訳されていて1977年には平凡社の東洋文庫にも収められています。内容は当時の日本の社会、風俗、政治、経済から動植物に至るまでの緻密な観察記録で、この著作によって初めて日本の事情が正確に紹介され、その後のヨーロッパの日本観の基礎を築いたといわれています。

ところでこの『日本誌』、元原稿はケンペルがドイツ語で書いたものですが、彼の生存中には刊行されませんでした。死後十年ほどして刊行されましたが、それは本国のドイツからではなくイギリスから刊行されるという奇妙な経過をたどっています。『日本誌』が世に出るまでには様々な紆余曲折があったようです。次回はその辺の事情と、ケンペルと箱根との関わりについてもう少し御紹介したいと思います。

<参考図書>


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