神奈川県立生命の星・地球博物館

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2001年9月15日発行 年4回発行 第7巻 第3号 通巻26号 ISSN 1341-545X


自然科学のとびら


Vol.7, No.3  神奈川県立生命の星・地球博物館  Sept.,2001


ライブラリー通信 ケンペルとバーニー

内田 潔(司書)

毎年11月23日の勤労感謝の日に箱根芦ノ湖畔で「ケンペル・バーニー祭」という催しが行われているのを御存じですか。ケンペルは前号で紹介したようにドイツのレムゴー出身の博物学者で、元禄3年(1690年)に来日してオランダ商館長一行の江戸参府に二度に渡って加わり日本やアジアの事情をつぶさに調査して、本国に帰国後アジア諸国や日本に関する著作を発表した人です。

ケンペルの主著には『廻国奇観』と『日本誌』がありますが、このうち『日本誌』は前号でもお話ししたように彼の生存中には刊行されずに没後十年ほどしてから、それも母国のドイツではなくイギリスから1727年に刊行されました。実はケンペルの死後、彼の遺品は甥に相続されたのですが、経済的な理由からその遺品のほとんどはイギリス人のサー・ハンス・スローンの手に渡ります。スローン卿というのは大英博物館の父といわれていて彼の膨大なコレクションの遺贈が大英博物館設立の契機になったといわれている人物です。スローンはただちにドイツ語で書かれた『日本誌』の元原稿を英訳して1727年に『The History of Japan』というタイトルで刊行しました。このあと二年後には早くも蘭訳本、仏訳本が刊行されています。この『日本誌』は当時のヨーロッパに日本の姿を初めてほぼ正確に伝えたものとして高く評価され、その後の日本観をリードし続けることになります。その後、ケンペルの『日本誌』は日本を訪れる西洋人にとってはいわば必読の書となり、江戸末期来航したペリー提督も携行していたといわれています。

一方バーニー氏というのはオーストラリア生まれのイギリス人貿易商で明治20年前後に来日して以来日本の自然を愛し、とりわけ箱根の自然や人々をこよなく愛した人で大正七年には芦ノ湖畔に別荘まで構えています。そのバーニー氏が大正11年(1922年)に彼の別荘地の一隅に建立した碑に引用しているのがケンペルの『日本誌』の序文なのです。碑文にはケンペルの『日本誌』の序文と共にバーニー氏の「…此の光栄ある祖国をば更に美しく尊くして郷等の子孫に伝えられよ」と刻されています。この碑は長い間地元の人々でさえ特別関心を寄せることもなく路傍にまるで忘れられたように立ち続けていました。それが昭和34年に神奈川県で全国レクリエーション大会が開かれ、その最終日の会場となった箱根において日本山岳協会会長を務めた槙有恒氏が「日本の自然保護の原点ともいうべき碑だ」との指摘や、翌年の『自然保護』(日本自然保護協会刊)の創刊号でのバーニーの碑の紹介記事などを経て少しずつ知られるようになっていったようです。

ところで、バーニーの碑が広く知れ渡るようになった別の要因として昭和50年にエリザベス女王が来日した際にケンペルの『日本誌』に言及した晩餐会でのスピーチにあります。これらのことを契機としてバーニー氏とケンペルを顕彰しようという機運が地元箱根町を中心に高まり、昭和61年「ケンペル祭 ―バーニーの碑を讃えて―」という名称でこの催しが始まりました。その後第十回からは現行の「ケンペル・バーニー祭」となって現在に至っています。

『ケンペル・バーニー祭』ではケンペルも歩いたであろう箱根の径を辿る企画が例年行われているようです。どなたでも参加できますので、今年の勤労感謝の日は箱根まで足を運んでみてはいかがでしょうか。平成13年11月からライブラリー横でケンペルに関するミニ展示を予定しています。箱根来訪の際は当館にもぜひお立ち寄りください。

<参考図書>


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