神奈川県立生命の星・地球博物館

[戻る]

2001年12月15日発行 年4回発行 第7巻 第4号 通巻27号 ISSN 1341-545X


自然科学のとびら


Vol.7, No.4  神奈川県立生命の星・地球博物館  Dec.,2001


ライブラリー通信 図鑑の元祖

内田 潔(司書)

様々な事物について調べものをする時に不可欠なのが各種の図鑑類ですが、この図鑑という言葉はいつ頃から書名の中に用いられるようになったのでしょうか。また最初に図鑑として刊行された図書とは何だったんでしょうか。

明治以前に刊行された図書で、書名に図鑑と付いたものはないようです。もちろん今日でいう図鑑の類いがなかったわけではありません。今でも時々書名に用いられていますが、江戸期までは一般に図鑑の類いは『図譜』とか『図説』と呼ばれていました。また魚類の図鑑であれば『魚譜』、花の図鑑であれば『花譜』というふうに『譜』を付けた場合も多くみられます。この他に『図会』とか『図集』というのも内容的には現在の図鑑に相当するものかもしれません。『図説』や『図譜』の全体の構成、レイアウトが現在の図鑑とかなり違っているのは当然ですが、決定的な相違は今日では当然だと思われる索引、インデックスがほとんど付いていない事です。索引は必要とする内容、事項を効率よく検索するために図鑑類にあっては不可欠なものですが、なぜか日本では索引が発達せず一般化するのは大正年代に入ってからだと言われています。(『平凡社世界大百科』 索引の項)

さて、これまで最初に刊行された『図鑑』は『近代日本生物学者小伝』(1988 平河出版)等によれば明治40年(1907)に牧野富太郎が北隆館から刊行した『植物図鑑』で、これが本邦における最初の精密な植物図鑑だと言われていました。ところが、全国の公共図書館や大学図書館等の蔵書を検索してもこの図鑑の所蔵館はどこもありません。検索の結果、最も最初に刊行されたと思われるのは、明治41年(1908)に北隆館から東京博物学研究会編纂で刊行された『植物図鑑』です。不思議に思っていたところへ、俵浩三著『牧野植物図鑑の謎』(1999 平凡社)が刊行され、一読するなりそれまでの疑問が氷解しました。

『牧野植物図鑑の謎』によれば、明治40年(1907)に刊行されたとされる牧野の『植物鑑』は幻に過ぎず、前述の東京博物学研究会編纂で刊行された『植物図鑑』が確認できる最初の植物図鑑であり、牧野は校訂者として関わったに過ぎなかったことが明らかにされています。編纂者の東京博物学研究会というのは村越三千男という人物が中心となって作った研究会といわれていますが、彼の伝記についてはほとんど伝わっていません。村越の名は牧野という偉大な植物学者の盛名の背後に隠れてほとんど忘れ去られていましたが、『牧野植物図鑑の謎』で紹介された事により多くの人が知るところとなりました。この本では、その村越と牧野が当初は協力関係にありながら、その後次第に互いの植物図鑑の刊行をめぐって確執を深めていった経緯が詳しく描かれていて、人間ドラマとしても面白く読めますので、ご一読をお勧めします。

ところで、前述の明治41年刊行の『植物図鑑』が図鑑と付けられた最初のものかというとそうではないようです。俵氏の調査によれば明治24年(1891)年に刊行された『工芸図鑑』(京都 田中治兵衛)が目下のところ最初に図鑑と名付けられた図書ではないかということです。もちろん、それ以前に刊行された図鑑が今後見つかる可能性もあります。明治24年以前に刊行された図鑑の存在についてご存知の方がおられましたら、是非ライブラリーまでご連絡ください。


[戻る]

[地球博トップページへ]