神奈川県立生命の星・地球博物館

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2002年3月15日発行 年4回発行 第8巻 第1号 通巻28号 ISSN 1341-545X


自然科学のとびら


Vol.8, No.1  神奈川県立生命の星・地球博物館  Nar.,2002


ライブラリー通信 モースの『臨海実験所』跡地を巡る謎

司書 内田 潔

江の島弁天橋を渡りきってすぐ左手の緑地の奥、目の前の土産物店に気を取られているとそのまま通り過ぎてしまいそうな場所にエドワード・S・モース[1838〜1925]の記念碑が建立されていて、碑面には日本近代動物学発祥の地と刻されています。モースといえば大森貝塚を発見したことでよく知られていますが、そのモースが江の島にわが国初と言われる『臨海実験所』を開設したという史実は意外と知られていないかもしれません。

モースが来日したのは1877年(明治10年)の 6月で、目的は長年研究対象としていた海産動物の腕足類が、日本の沿岸で多産すると聞き、その採集のためでした。たまたま、当時開学したばかりの東京大学理学部の教授に招聘されて動物学を講じ、ダーウィンの進化論を最初に紹介したともいわれています。そのモースが江の島を訪れ、海産動物の採集のために島の東側にあった漁師小屋を借り上げて『臨海実験所』を開設したところから、日本近代動物学発祥の地とされているのです。

モースが『臨海実験所』を開設したとされる跡地には冒頭の記念碑とは別に記念のプレートが藤沢市によって設置されていますが、現在駐車場の奥にあってこちらも注意深く見て歩かないと見落としてしまうかもしれません。現在プレートが設置されている場所は、郷土史家の服部清道氏が、『藤沢市史資料第24集』(1980)で主張したのを根拠にしているようです。しかし、実際は『臨海実験所』の跡地の位置については、これまでに諸説あって決して定まってはいなかったのが現状です。残された記録に地番の記載がない事や、その後の関東大震災や埋め立て、道路の付け替えなどで周辺が当時と様変わりした事が跡地の特定を困難にしてきた大きな理由のようです。そこでモースが臨海実験所内から描いたスケッチ画や、当時の江の島の古写真や古地図をもとに位置を推定するのですが、研究者の見方によってすこしづつ場所が違ってしまったという訳です。

ところが一昨年、地元藤沢のモース研究会発行の『モース研究第12号』(2000)にモースの『臨海実験所』の跡地の位置が確認されたとする報告が掲載され、昨年には日本動物分類学雑誌『タクサ』第11号(2001)においても同内容が発表されました。

その報告によれば、これまでの諸説やモースのスケッチを再検討し、更にその後新たに得られた資料を加味して総合的に判断した結果、現在の「恵比寿屋旅館」の駐車場と前の通路部分に当たるのではないかとしています。この結論は、実は藤沢の郷土史家であった内田輝彦氏がかつて『藤沢の歴史』(1966)で推定した位置、「恵比寿屋旅館」の敷地付近とほぼ同じです。そしてその内田輝彦氏の説は、昭和29年の 2月 3日に藤沢市がモースの「Japan Day by Day」の翻訳者である石川欣一氏を招いて現地調査を行い、跡地は「恵比寿屋旅館」中庭の旧弁天祠付近であるとした結論に基づくものです。結果的には、最初にここだとされた場所がやはり実験所跡だったと再確認された形になった訳です。

今回の発表で、『臨海実験所』の跡地の位置に関する謎には一応の終止符が打たれたと見られているようです。残された謎は、かつて藤沢市が一旦結論を出した位置、それは内田輝彦氏の説であり、今回の調査の結果結論付けられた位置でもありますが、その位置ではなく、何故服部清道氏の説を採ったのかという事です。距離にして数十メートルしか離れてはいませんが、今後あの記念のプレートがどうなるのか、その動きに注目しているところです。

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