神奈川県立生命の星・地球博物館

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2002年12月15日発行 年4回発行 第8巻 第4号 通巻31号 ISSN 1341-


545X

自然科学のとびら


Vol.8, No.4  神奈川県立生命の星・地球博物館  Dec., 2002


謎の菌類の「謎」を解明!
―箱根から再発見された謎の菌類、エニグマトミケス―

出川洋介(学芸員)

今、私は北欧ノルウェーの首都オスロに来ています。この街の大学で4年に一度の菌類の国際会議が催され、世界各国 から2千人以上もの菌類学者が集まって、一週間にわたり菌類学研究の最新の成 果発表が続けられています。私も自分の研究成果を携えて8月上旬より、このフィヨルドの奥に位置する美しい港町にやってきました。

話は1999年の夏に遡ります。箱根の神山で植物観察会があった折、私はある菌類を探す目的で土壌を持ち帰り、カップに入れてしばらく培養しました。このカップの中には土壌やリターのほか、藻類とともに小さな土壌動物も多数混入していましたが、互いにバランスを保って安定して生活しているようでした。培養を始めてから一ヶ月ほどたったある日、実体顕微鏡の下で高さ1mmに満たない見慣れぬ菌が発生しているのに気づきました。プレパラートを作って観察してみると、細い針のような小枝の先端に特徴的な「!」マークを逆さにしたような型の胞子が確認され、どこかで見かけたことがあるような気がします。さて、何だろうか?と、かすかな記憶を頼りに論文の山を掘り起こしたところ、まさにこれと一致するものがみつかりました。1993年に、カナダ・オンタリオ州の森林のリターから二度だけ発見された、学名をエニグマトミケス・アンプリスポルス(Aenigmatomyces ampullisporus R. F. Castaneda & W. B. Kendr.)という奇妙な菌類です。

早速、カナダの農務省に保管されているタイプ標本を取り寄せて照合したところ、間違いなくこの種類と一致しました。これを発見した学者は、「この生物は確かに菌類ではあるようだが、菌類のどの属、科、目、綱はおろか、どの門におくべきものかも判定できない」と述べ、新属新種としてこの菌に“謎の菌類”(ギリシア語で、aenigmato=謎に満ちた、myces=菌、の意)という名前を与えて発表し、その謎解きを後の学者に委ねたのです。そして十年弱を経て、カナダより遥か離れた日本の箱根の山中より再発見されたことになります。

この菌は小さな樹木のような形をしており、リターなどの上に直立して発生していました。しかし、プレパラートにして観察したところ、私は妙なことに気づきました(図5)。樹木のような体をささえている主軸は、菌糸そのものではなく何かほかの固い柄のような構造であり、菌糸はただ、その柄に絡み付いているだけなのです。菌糸をたどっていくと、下端は途中で途切れて終わっています。一体、エニグマトミケスはどこから栄養を得ているのでしょうか?

そこで、あらためて培養カップ内を注意深く探してみたところ、菌糸を伴わないよく似た柄のような構造がみつかりました(図2)。この柄の頭部にはゼリー状の塊があり、その中に非常に細かいミミズのような細胞が入っています(図3)。一体これは何なのか? しばらく悩んだ末に、この正体は“精包”という、トビムシなどの土壌動物が作る構造だということがわかりました。トビムシの仲間にはおくゆかしい”恋”をするものがおり、雄と雌とは直接出会って交尾をすることはなく“間接受精”という方法で受精をします。雄のトビムシは枯れ葉などの上に自分で柄を作りあげ、その上に精子を産み付けます(これを精包と称します)。この精包を雌のトビムシがみつけて、もし気に入ると、自ら取り込んで受精をします。しかし、運悪く雌のトビムシにみつけてもらえない、あるいは気に入ってもらえない?精包もあるはずですね。エニグマトミケスは、どうやらそのような置き去りにされたトビムシの精包にとりついて、頭部のゼリー質中の精子を分解しながら栄養を摂取して育っているようなのです(図4)。培養カップ中には精包の主、アヤトビムシ科の一種(図1)の成体も認められました。そこで、今度は予め野外でトビムシがたくさん生息しているところの土壌を選んで持ち帰り、培養するように心がけました。その結果、箱根以外にも博物館周辺の入生田の森林のほか、丹沢、鎌倉など県内各地からも、更には樽学芸員が持ち帰ってくれた関西地方の土壌からもエニグマトミケスを確認することができました。微小な生物では生活場所の解明は重要です。生活場所さえ把握できれば珍しい種でも案外身近なところからもみつかるようになるものです。

こうして、たくさんの材料を確保できる ようになり、多くの菌体を観察することが可能となりましたが、その結果、今度は「!」マーク型の胞子とは別に、ときおり菌体の上に、より大型の丸い胞子が少数形成されることに気づきました。この丸い胞子が確認されるときには必ず精包の中に二つ以上の菌体が混在しています。他の生物同様、菌類にも「性」があり、同種の異なる性の菌体が出会うと、そこで有性生殖をして特別な胞子を作ることが知られています。トビムシの精包にエニグマトミケスの胞子が入り込む可能性は一回限りではないはずです。エニグマトミケスにも雄と雌の菌体があって(雌雄異体)、それらが同じ精包上で出会うと、この丸い胞子が作られるのだと考えられます。この丸い胞子は成熟に伴い、薄く褐色に着色し多角体状になりました(図6)。この特徴はトリモチ カビ目(接合菌類)の有性生殖による接合胞子に認められるものです。中でも、アメーバなど微小生物に寄生する同目のゼンマイカビ科の接合胞子には大変類似したものがみつかりました。以上の観察内容に加え、更に細かな形態比較に基づき、エニグマトミケスはアメーバ寄生性の接合菌類ゼンマイカビ科の親戚であろうという結論に至りました。

私は、これらの研究内容に「謎の菌の “謎”を解明: Elucidation of the "enigma" of Aenigmatomyces」と題したポスターを作り、国際学会にやってきました。オスロの学会では連日朝9時から夕方19時までシンポジウムやポスター発表が続きます。外国人と一対一で話す分にはいいのですが、シンポジウムの発表や複数での議論となると彼らはとても早口の英語でまくしたてるので、なかなか聞き取れません。語学力の不足を感じた私は世界の桧舞台に出てきて少々意気消沈していたの ですが、いよいよ今日の午後、ポスター発表の時間になりました。周囲には、流行の遺伝子解析による系統樹などを掲載した華々しいポスターが目立ち、自分のは地味ではないか、テーマに興味を持ってもらえるだろうか等々、不安になります。しかし、いざ始まってみるとアメリカ、イギリス、チェコ…など各国の若い研究者が次々に訪れては、とても興味深い!と興奮気味に議論に乗ってくれました。大学構内や食堂ですれ違ったドイツやカナダの大先生からも、「お前のポスターを見た。面白かった!」など、激励の言葉を受けて勇気百倍です。次はこれを論文にして発表せねばなりません。

私の研究は大掛かりな機械を要するものでもなく、難解な数式を解くものでもありません。ただひたすら顕微鏡をのぞいて、菌類が生きている姿をあるがままに観察し続け、それを解釈した結果です。地味な内容であっても、率直に不思議だ、面白い、と感じられることを追い詰めて粘り強く研究を続けていけば、驚くような新事実に出会うことができるのです。そして、神奈川から発信されたこの研究内容を世界の菌類学者達にも伝えることができ、その面白さを理解してもらうことができて私はとても嬉しく感じました。私達の足元には、まだどれほど多くの未知の生き物や不思議な現象が埋もれていることでしょうか。一人でも多くのみなさんに、この不思議なミクロの世界の存在を知っていただき、願わくばその中から、未だ多くの謎に包まれている菌類の研究を志そうという人が現れることを期待します。

(この原稿は2002年8月オスロにて執筆し、電子メールで「自然科学のとびら」編集担当の苅部学芸員宛てに送った内容に加筆したものです。)

エニグマトミケス・アンプリスポルス(Aenigmatomyces ampullisporus)とその宿主

図1-6.エニグマトミケス・アンプリスポルス(Aenigmatomyces ampullisporus)とその宿主


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