神奈川県立生命の星・地球博物館

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2002年12月15日発行 年4回発行 第8巻 第4号 通巻31号 ISSN 1341-545X


自然科学のとびら


Vol.8, No.4  神奈川県立生命の星・地球博物館  Dec., 2002


神奈川県立生命の星・地球博物館における大型魚類標本の搬入と保管

瀬能 宏(学芸員)

魚類の標本は、10%の中性ホルマリン水溶液、あるいは70%エタノール水溶液中に密閉して保存されます。液体中に保存されるので、液浸標本と呼ばれています。なぜ液浸標本にされるのでしょうか。最大の理由は体の大部分を占める軟組織をもとの形のまま保存するためです。乾燥して干からびてしまうと、元の状態に戻すことは困難で、標本の資料的価値は著しく低下してしまいます。このことは全長1cmに満たない小さなハゼから全長12mを越えるジンベエザメまで基本的には同じです。つまり、大きさに関わらず魚類は液浸標本にする必要があるのです。大きなものは剥製にできるではないかという声が聞こえてきそうですね。しかし、剥製は展示には利用できますが、軟組織の大部分が製作過程で失われてしまい、体を支える基本構造である骨格も壊さずに抜き取ることが困難なので、研究資料としてはあまり役に立たないのです。

さて、液浸標本の保管には、ホルマリンやエタノールに耐える密閉容器が必要になります。ガラスやポリ塩化ビニル製の瓶が広く利用されており、当館では内容積が500cc、1リットル、2リットルの3種類のポリ瓶を使っています。実際、これらの容器は安価で便利なのですが、問題がないわけではありません。それは瓶に収まらないサイズの魚をどうするのかということ です。そこでこれらの瓶よりも大きな容器として、小は4リットルのトスロン密閉タンクから最大で400リットルのポリプロピレン製コンテナまでを使い分けているのですが、当館で魚体を曲げずに収納できる最大のサイズは全長で1.4mが限界です。ではこれを越えるような大型標本はどうすればよいのでしょうか。

トンガリサカタザメ
図1. トンガリサカタザメ, KPM-NI 10132, 雌, 全長2.7 m, 沖縄県読谷村産

1997年4月、液浸標本の保管に関して当館にひとつの転機が訪れました。沖縄県読谷村沖の定置網で漁獲された全長2.7mのトンガリサカタザメが搬入されたのです(図1)。そこでこのような大型標本を収納できる容器を特注しました。サイズは内寸で幅3m、奥行き1.5m、深さ1mの巨大なFRP製コンテナです(図2)。搬入されたトンガリサカタザメは、容器の製作や収納時の人手の確保などの問題からしばらくは冷凍庫で保管し、翌年3月に保存のための処理を無事に終えることができました。特注した容器は蓋の構造上、密閉性を完全には確保できないため、保存液として揮発性の高いエタノールではなくホルマリンを使用しました。

コンテナとハンドリフター
図2. 大型魚類標本用のコンテナと耐荷重500kgのハンドリフター

このトンガリサカタザメの搬入と保存処理を実際に経験してみてわかった重要なことは、100 kgを越えるような大型標本をどのようにして容器に収納し、また、必要に応じて取り出すのか、その方法を考案しなければならないということでした。

トンガリサカタザメの場合、最初だったこともあり、まずコンテナ内に必要量の水を張り、人海戦術で魚をコンテナの中に移し入れ、その後ホルマリンを10%になるまで追加して作業を終えたのです。このため、有毒なホルマリンの影響をほとんど受けずに作業を終えることができたのですが、もしホルマリンがすでに満たされている容器に大型標本を収納するとなると、できるだけ短時間で手際よく作業を進めなければなりません。そのためには大きな魚体を楽々と移動させて、コンテナからの出し入れも容易にできる仕組みが必要です。そこで狭い場所でも小回りがきく耐荷重500kgのハンドリフターを導入しました(図2)。

2000年10月、全長3.2m、体重は少なく見積もっても200kgを越えるオオワニザメが搬入されました。当館で2番目に収蔵された大型標本で、体重はトンガリサカタザメをはるかに上回っていました。この時の模様を少し詳しく説明しましょう。このサメは2000年1月18日、小田原市根府川沖の定置網に入網したものです。漁獲後、一旦魚市場の冷凍庫に保管され、その年の10月29日に早川漁港で開催された「小田原魚まつり」に展示されました。

オオワニザメ(凍っている)
図3. 搬入された直後のオオワニザメ まだ体内が凍っている

終了直後、博物館に搬入されましたが、まだ体内がほとんど凍ったままで、魚体を曲げたままパレットの上に載せられていました(図3)。まずは魚体を詳しく調査できるようになるまで解凍を待たねばなりませんでした。これには約3日ほどかかりました。

さて解凍後、まず体表の汚れを流水で洗い流し、体形とひれを整えて撮影を行いました。各部のアップの写真はもちろん、全身を真横からも撮影しました。これほど大きな魚になると、体形やひれの状態を正確に確認できる真横からの写真はたいへん貴重です。魚体を整えることはもちろん、魚体のほぼ中心の真上にカメラを構えることが難しいからです。図4は、20mmの広角レンズを使用し、高さ1.8mの脚立の上に立ち、前屈みになってようやく撮影したものです。

オオワニザメ
図4. オオワニザメ, KPM-NI 7347, 雌, 全長3.2 m, 小田原市根府川沖産

撮影が終わると今度は計数と計測です。大型魚類の場合、ホルマリンで防腐処理をする前に計数や計測を行うことが重要です。なぜなら、一旦、ホルマリンに浸けてしまうと、水で体表を洗ったくらいでは体内からしみ出てくるホルマリンを取り除くことができないからです。この時の計数と計測はサメを専門に研究している東海大学の田中 彰先生にお願いし、全長や吻端から各部位までの距離など、多数の項目について行いました(図5)。

オオワニザメ(計測中)

図5. オオワニザメの計測を行っているところ

また、計数と計測だけでなく、内臓の状態を調査するため、腹部を切開し、必要な臓器を取り出しました(図6)。

オオワニザメ(肝臓取り出し中)
図6. オオワニザメから肝臓を取り出しているところ. この個体の肝臓重量は55.58 kgもあった

さあ、一連の作業を終えるといよいよコンテナへの収納です。まずはコンテナの蓋を開けねばなりません。蓋と言っても50kgはある代物です。片方を持ち上げてスライドさせながら蓋を開けると、内部に充満してたホルマリンのガスが目や鼻、喉を刺激します。しばらく換気した後で魚体を収納するのですが、内臓を調査のために除去したとは言え、人の力で持ち上げるのは容易ではありません。ここでハンドリフターに登場願いましょう。魚体にスリングとロープを巻き付け、フォークに 引っかけて持ち上げるのです。実際に操作してみると、左右のバランスに多少気をつけなければなりませんが、ハンドルを回すとほとんど抵抗なくコンテナの側壁の高さまで軽々と吊り上げることができました。そのままコンテナ内部まで魚体を運び、適当な所で下ろしました(図7)。スリングとロープ は、将来標本を取り出す際に便利なようにつけたままにしました。ハンドリフターを戻し、蓋をして一連の作業は終了しました。

オオワニザメ(収納中)
図7. ハンドリフターを使ってオオワニザメをコンテナに収納していると ころ

本来、大型標本を扱うためには、施設の設計段階から様々な工夫が必要で す。高く持ち上げなくても収納可能な床下埋め込み式のホルマリンプール、作業場所とタンクの間を自由に移動できるホイスト、作業環境を維持するための強力な換気扇などの設置は常識でしょう。しかし、当館のようにそうした設備がまったくない場合でも、大型コンテナとハンドリフターを導入することで大型標本の保管が可能であることが実証されました。持ち上げて下ろすというあたりまえの作業ですが、 ホルマリンの影響を受けながら(耐えながら!?)の操作ですから、迅速かつ正確に行わないと、大きな事故になりかねません。この一連の作業を少人数で無事に行えたことは、当館にとって液浸標本の保管技術の大きな進歩と言えるのです。

2001年10月、小田原市米神沖の定置網に入網した全長3.6 mのシロカジキ(図8)を収納し、当館唯一の大型コンテナはほぼ満杯になってしまいました。コンテナそのものを設置できるスペースが当館にはもう残されていないため、これ以上の増設はできません。しかし、標本の追加がなくても、課題は山積みです。まずは標本の取り出しの際に発生するホルマリンのガスを効率よく排気し、安全に作業するための仕組みを開発する必要があります。また、ホルマリンの劣化による溶液の交換方法を考案しなければなりません。こうした取り組みが将来の大型標本の保管に際してのノウハウとなっていくものと思います。

シロカジキ
図 8. シロカジキ, KPM-NI 8274, 全長3.6 m, 小田原市米神沖産. 当館最大の液浸標本

参考文献


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