神奈川県立生命の星・地球博物館

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2003年3月15日発行 年4回発行 第9巻 第1号 通巻32号 ISSN 1341-545X


自然科学のとびら


Vol.9, No.1  神奈川県立生命の星・地球博物館  Mar., 2003


細胞性粘菌という不思議な生き物

川上新一(日本変形菌研究会)

粘菌って何?

もし、「ネンキンのことを知っていますか?」と唐突に尋ねたとすると、一般の人は国民年金や厚生年金などを思い浮かべるのではないでしょうか。

「知っていますよ。南方熊楠が研究した生き物ですよね。」などと答える人には一目置くことでしょう。私は「年金」には詳しくないですが、「粘菌」の研究をしています。今回、粘菌、特に細胞性粘菌という仲間について紹介させていただきます。

「粘菌」とは一体何者でしょう? この名前は、「粘質物を分泌してネバネバする菌様の生き物」という意味で付けられたようです。19世紀後半から、原生動物ではないかとか、菌類ではないかとか、粘菌の所属に関して研究者の間で意見が対立してきました。最近の分子系統解析による研究でもまだはっきりとはその系統的位置がわかっていません。粘菌には、原生粘菌類、真性(正)粘菌類そして細胞性粘菌類という3つのグループが知られています。細胞性粘菌では、2科4属70種以上が記載されています。南方熊楠が研究していたのは真性粘菌類です。


図1. ムラサキカビモドキ属 Polysphondylium の生活サイクル

図2. 粘菌アメーバの集合過程

ユニークな生き様

細胞性粘菌は、とても不思議な生活スタイルを持っています(図1)。大きさが10μm程度の単細胞の粘菌アメーバは土壌中で自由生活を営み、おもにバクテリアを捕食し、二分裂で増殖します。しかし、餌がなくなると、行動が一変します。ある一つの細胞がアクラシンと呼ばれる物質を分泌して、それに誘導されて周囲の細胞が集合してきます(図2)。

集合した細胞は塊(集合体)をなし、種類によっては這い回ります。その時期の集合体を特に、移動体と呼びます。そして、基本的に柄細胞と胞子細胞に分化して子実体を形成します。柄細胞は柄を形成する過程で死んでいきます。この現象は、自分を犠牲にして子孫を残そうとする行為なのでしょうか? 子実体の大きさは種類により異なりますが、1mmから数cmです。タマホコリカビ科ムラサキカビモドキ属 Polysphondylium では規則正しい輪生状の枝を形成します(図3)。

大きさ数μmの胞子(図4)は雨に流されたり、小動物や鳥によって運ばれたりします。環境が良ければ発芽して再び粘菌アメーバになります。このような生活サイクルは無性生殖と呼ばれるサイクルです。

それとは別に、有性生殖と呼ばれる生活サイクルも知られています。これは、人間が子孫を残すサイクルと同じです。ただし、細胞性粘菌の場合、異なる性をいくつも有する種が知られています。まず、性の異なる細胞が融合します。飢餓状態、多量の水分、暗条件が融合を促進します。その融合細胞は、融合していない細胞に比べてやや大きくなります。

ここからが興味深いのですが、周りの 未融合細胞を食べてしまうのです。これをカンニバリズム(共食い)とも言いますが、自分と同じ遺伝子を受け継ぐ粘菌アメーバを食べてしまうのも、無性生殖と同様に、自己犠牲になるのかもしれません。融合細胞は数層の細胞壁に覆われたマクロシストと呼ばれる構造体(直径50μm前後)を形成し、休眠状態に入ります。ある期間を経て、減数分裂が行われた後に、多数の粘菌アメーバが誕生します。

アメーバの動きや子実体形成についてはすばらしい映像(参考資料1,2)が撮られています。その生き様には、ある種の感動を覚えるのではないでしょうか。


図3. ムラサキカビモドキ属Polysphondylium の子実体. 透過光による観察のため、子実体が黒く見える


図4. 胞子

図5. マクロシスト

細胞性粘菌の活躍ぶり

細胞性粘菌は細胞生物学や分子生物学といった分野で、盛んに研究されています(参考資料3)。子実体形成の過程で柄細胞と胞子細胞の二つのタイプにしか分化しない点で、細胞分化のモデル生物になるからです。また、アメーバ運動の仕組みが動物の筋肉運動とほとんど同じなので、そのモデル生物になっています。 生命の神秘を解き明かすのに一役買っているわけです。細胞性粘菌は自然界では、バクテリアを食べることにより、有機物を分解する速度を調節しているのではないかと考えられます。バクテリアが増え過ぎるのは困りますよね。

私の研究

細胞性粘菌はモデル生物としていくつかの生物学の分野で研究が進んでいますが、その分類や生態については研究が遅れています。

今までに、神奈川県下では丹沢山地や川崎市などから、細胞性粘菌6種 Dictyostelium delicatumD.firmibasisD. implicatumD.minutumD. purpureumPolysphondylium violaceum が分離されています(参考資料4)。私は昨年から、神奈川県内の細胞性粘菌フロラの解明に取り組んでいます。昨年、入生田(小田原市)、高麗山(中郡大磯町)、江ノ島(藤沢市)、二子山(逗子市)、そして神武寺(逗子市)の5地点の照葉樹林から計45個の土壌を採取しました。稲わらの煮出し液を含む寒天培地に土壌試料をパラパラとまき、一週間後に観察をしました。形成された子実体の胞子の塊を無栄養寒天培地にバクテリアとともに接種しました。その結果、計89菌株の細胞性粘菌が分離されました。それらは以下の7種に同定されました。

(1) Dictyostelium brefeldianum Hagiwara:子実体の大きさが6mm以下で、柄の先端が球頭状です。5地点全てから計37株が得られました。そのうち、高麗山から分離された1株は子実体とともに 寒天培地上にマクロシストを形成しました。この種は神奈川県内で初めて確認されました。

(2) D. crassicaule Hagiwara:子実体の大きさが2mm以下で、柄の先端が複数の細胞からなる球頭状です。神武寺から1株得られました。神奈川県新産です。この種は今まで、北海道、秋田、および長野の亜高山帯でしか分離されていませんでした。暖温帯で見つけられたことには驚かされました。

(3) D. delicatum Hagiwara:子実体の大きさが6mm以下で、柄の先端が棍棒状ですが、幾分尖ります。江ノ島、二子山、および神武寺から1株ずつ、計3株得られました。

(4) D. minutum Raper:子実体の大きさが2mm以下で、柄の先端が棍棒状で尖りません。高麗山および二子山から各々1株ずつ得られましたがそれぞれの間で胞子の大きさに違いが認められました。

(5) D. purpureum Olive:子実体が紫色を呈しています。神武寺から1株得られました。

(6) Polysphondylium pallidum Olive:子実体は白色を呈しています。5地点全てから分離され、計32株得られました。P. pallidumと同定された菌株の中には、形態的に異なるタイプが少なくとも二つ存在するようです。現在、その分類学的研究を進めています。この種は神奈川県内で初めて確認されました。

(7) P. violaceum Brefeld:子実体は紫色を呈しています。高麗山以外の4地点から、計13株得られました。

おわりに

細胞性粘菌は意外と身近にいます。都会の植え込みやあなたの植木鉢の土にも住んでいるかもしれません。足で踏みつけているかもしれません。でもケセラセラ。靴の裏にへばりついて、新天地に運んでもらえるかもしれません。

参考資料

1. 細胞性粘菌の生活史、樋口生物科学研究所企画、(株)シネ・ドキュメント製作 (1982)

2. 細胞性粘菌の行動と文化、樋口生物科学研究所企画、(株)シネ・ドキュメント 製作(1992)

3. モデル生物:細胞性粘菌、前田靖男編著、アイピーシー(2000)

4. The taxonomic study of Japanese Dictyostelid cellular slime molds, Hagiwara, H., National Science Museum, Tokyo(1989)


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