神奈川県立生命の星・地球博物館

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2003年12月15日発行 年4回発行 第9巻 第4号 通巻35号 ISSN 1341-545X

自然科学のとびら

Vol.9, No.4  神奈川県立生命の星・地球博物館  Dec, 2003


研究ノート アジアの大豆発酵食品

出川洋介(学芸員)

納豆はお好きですか?

私はちょっと苦手という方でも、味噌か醤油なら、日に一度は口になさるはずですね。これらは、いずれも菌類(カビ、酵母)や細菌(バクテリア)など微生物の助けを借りて大豆を発酵させた食品です。毎日の生活に発酵食品は欠かせません。

昨年の10月13日、元旭化成ライフサイエンス総合研究所の高田正樹先生、正木照久さん、川口みどりさんを講師に招いて「食卓を豊かにする発酵食品」という講座を催し好評でした。講座では、食生活に役立つカビのお話しを伺った後、顕微鏡で、そのカビ達の“美しい”素顔を観察しました(写真1,2)。そして、「発酵食品の夕べ」と称した懇親会では料理研究家の、友の会会員中村恭子さんによるアレンジのもと、皆さんが持ち寄って下さった発酵食品を楽しみました。地元の飲み屋さんや甘酒茶屋の若旦那までゲストでお迎えして、数々のお酒やチーズ、鰹節、漬物など、実に数十種類もの発酵食品が揃い、全種を口にするのも大変な多様性でした。つくづく、日頃お世話になっている菌類たちに感謝をした一日でした。

話を納豆に戻します。文化人類学者でもあった故中尾佐助氏は農耕植物の起源を論じる中で「納豆の大三角形」という面白い仮説を提唱されています。アジア各地に見られる大豆の発酵食品は大きく三方向に分化したのだろうというのです。最近、マスコミでも効用が注目されている日本の納豆についてはご紹介するまでもないでしょう。では、残りの二つ、東ネパールの「キネマ」とインドネシアの「テンペ」なるものをご存知でしょうか?

コウジカビ (Aspergillus flavus)のコロニー 同コウジカビの分生子柄
写真1 コウジカビ (Aspergillus flavus)のコロニー(正木照久氏撮影). 写真2 同コウジカビの分生子柄(正木照久氏撮影)

シッキム・ネパールのキネマ

2002年の秋、植物担当の木場学芸員がシッキムに調査に出向くと聞き、チャンスとばかりに、ネパール東部一帯に分布するという大豆発酵食品「キネマ」の情報収集を依頼しました。滞在中、現地で食事に招かれた木場氏は、野菜炒めに混ざった納豆の匂いがする豆のようなものに遭遇。ご主人に聞くに、それは木場さんら客人への配慮から水でよく洗い、粘りを取り除いたキネマそのもだったそうです。早速、市場に案内してもらったところ、キネマ売りのおばさんいわく「良く粘るものほどおいしい」とのこと(写真3)。次いで同地の調査に出向いた勝山学芸員は、市場で乾燥させたキネマを発見して持ち帰ってくれました。乾燥させたときの名残か、かすかに燻製のような香りがするものの味も香りも素朴な日本の納豆そのものでした。納豆とキネマはいずれも枯草菌という細菌(納豆では藁、キネマではシダの葉から得る)により大豆を無塩発酵させたもので、粘った糸を引くのが特徴です。タイからインドにかけての各国にも国ごとに類似のものがあり、更に飛んで西アフリカにはフサマメノキ(Parkia 属)の豆を細菌発酵させた「ダワダワ」と称すアフリカ版納豆があるそうです。

東シッキムの市場で売られるキネマ
写真3 東シッキムの市場で売られるキネマ
(勝山輝男氏撮影).

インドネシアのテンペ

他方、「テンペ」はやや異色です。インドネシアのボゴール植物園に滞在中、初めて賞味したテンペは、煮ても焼いてもおいしく、街角の屋台で揚げたスナック風テンペはおやつにうってつけでしたが、市場で生品を見てぎょっとしました(写真4)。まるで豆腐のように見える白い塊の実態は、表面をびっしりとカビの菌糸に覆われた、ゆで大豆です。細菌ではなくカビが発酵に用いられているのです。以前講座でお招きした椿啓介先生はテンペの起源を探るために昔ながらの製法を調査され、大豆を包む葉に着目されました。先生から送って頂いたハイビスカスの仲間の葉を洗って培養すると、面白いようにテンペに用いるクモノスカビが出てきました。このカビは生きた状態の葉の中に既に生息しているということが日大薬学部の小川吉夫先生らの研究で証明されています。テンペが生まれた背景には赤道直下の気候風土ならではの工夫があったのでしょう。「納豆の大三角」とは言っても、南下したテンペは、北上した納豆やキネマとはかなり異質なものといえそうです。昨夏、インドネシアと関連の深いオランダを訪ねた折、一般家庭でもテンペが案外普通に食べられていることに驚きました。近年、無塩納豆については国際学会も開催され、テンペについては世界的に関心が高まっているようですが 欧米に比べ日本では未だ知名度が低いですね。粘りや匂いの苦手な方にはきっと納豆よりも食べやすいはずですよ。

前述の高田先生は今年、JICAの長期指導員としてインドネシアに赴かれ、現地の大学でテンペの製作実習を視察されました。現在では予め米の粉などにクモノスカビの胞子を確保し、それを大豆に接種した後バナナの葉や袋で包んで発酵させるようです。お返しに日本の味噌・醤油について講義をされたところ、大変興味を持たれたそうです。味噌と醤油の流れはカビを用いた大豆発酵のもう一つの大きなグループといえますが、これらは製造過程に塩を用いることから、無塩発酵の納豆とは大きく区分されます。味噌や醤油の起源は、中華料理などで使われる豆[豆支](トウチ)などが、大徳寺納豆のような寺納豆として日本に伝えられ、手を加えられたことに始まるといわれます。この系列の大豆発酵には塩分に強いコウジカビが用いられていますが、これは文字通り麹を作る為のカビで、お酒を筆頭に発酵食品に広く用いられ、日本の“国菌”とでも言うべきカビだろうとの意見もあるほどです。私も昨秋、麹を分けてもらって“手前味噌”を仕込んでみましたが、同じ麹カビを用いていても仕込み方の違いで地方ごとに、あるいは一昔前なら家ごとに、あたかも種が分化するように味噌の多様性が生じ、代々受け継がれていたのでしょう。

テンペ
写真4 インドネシア ジャワ島の市場で売られるテンペ.

豆腐の加工品

麹の詳細についてはまた次回に譲るとして、もう一つ、やはり大豆発酵食品としてカビを用いた豆腐の加工を紹介しましょう。

納豆の大三角形のほぼ中央は、タイ北部から中国雲南省一帯の“東亜半月弧”と言われる地帯です。中尾氏ら京大のグループは、納豆以外にも様々な食物や作物、風習など文化についてもこの地域に源流が見出されるとする照葉樹林文化説を提唱しました。かねてから念願だった、この雲南省に2000年の秋、私は隠花植物調査隊の一員として派遣されました。調査では、なんとかして、その名もずばり「毛豆腐(マオトウフ)」という食品を見たいと探しましたが失敗。同調査の別隊に参加した森林総合研究所の宮崎和弘氏の写真をお借りします(写真5)。見ての如く、豆腐に直接ケカビ目のカビを生やし、そのまま食べるというものです。ちょっと勇気がいりそうですね。これは次第に洗練され、塩漬けしてより食べやすくしたものが「腐乳」と呼ばれ横浜中華街などでも入手できます。香港映画で中国風チーズと紹介されていましたが、濃厚な風味の調味料的な食べ物です。細菌も含む特性タレに漬けた「臭腐乳」は更に強い匂いをもち、紅い色素を出すモナスカス(紅麹)というカビを利用した「紅腐乳」は甘く、さらに、それを泡盛に漬けたものが、沖縄名物の「豆腐よう」です。

豆腐一つ、大豆一つをとっても、各地でこのように多様な発酵食品が生み出されてきたというのは、興味深いことですね。食べ物の持つ素材の味を活かすことにかけては、日本料理は優れたセンスを持つといわれますが、更に微生物の力を借りて素材を加工することにより、一層、奥行きのある複雑な風味が生じます。それは微生物が素材を分解する過程で、様々なアミノ酸など旨味成分を生じるためです。自然界には多くの微生物が存在しますが、その作用のうち人間に役立つものが「発酵」と呼ばれます。しかしよく似た作用であっても害になる場合には「腐敗」と表現されます。発酵と腐敗とは違いは紙一重なのです。

毛豆腐
写真5 中国雲南省の市場で売られる毛豆腐
(宮崎和弘氏撮影).

おわりに

学生時代、私は、自然界にひっそりと生活している名も無いカビ達に光をあてることに専念してきました。そして博物館でも折にふれて、ミクロの不思議をご紹介してきました。しかし多くの皆さんには、顕微鏡越しの遠い彼方の出来事と伝わったかもしれません。そういう私自身に、もっとずっと身近なところで活躍している菌類への興味を持たせてくれたのは、むしろ博物館を取り巻く皆さん方でした。お餅にカビを生やさぬ水餅の工夫とか、糠床や味噌樽は家の北側に置くものだとか、ボランティアや友の会の方々から教えて頂いたことは数知れません。発酵食品のように、生活の中の工夫から目に見えぬ微生物たちとうまく付き合う方法を育んできた多様な人々の知恵も、ナチュラル・ヒストリーの対象ではないかと、近頃では思っています。

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