2005年3月15日発行 年4回発行 第11巻 第1号 通巻第40号 ISSN 1341-545X

自然科学のとびら

Vol.11, No.1  神奈川県立生命の星・地球博物館  Mar., 2005


今号の目次


蔵王の樹氷(地蔵山から朝日連峰を望む)

大島光春(学芸員)

ヒラアシキバチ

2005年1月23日
撮影者:佐藤武宏
左下:日本古生物学会第154回例会講演予稿集
樹氷の絵:井上 望(山形大学理学部3年生)

蔵王で樹氷ができる理由は、(1)オオシラビソ(アオモリトドマツ)からなる常緑針葉樹林であること、(2)日本海の対馬暖流によって水蒸気を多く含んだ北東風が、朝日連峰でたくさんの雪を降らせるため、蔵王では雪が多すぎず、少なすぎないこと、(3)一度雪を降らせた雲が山形盆地へ下ってから蔵王に達するのですが、この雲が過冷却水滴を蔵王に吹き付けることです。

山形市で開催された古生物学会のシンポジウムでは、古環境復元の指標として海底コアの有孔虫や放散虫化石の有用性が発表されていました。それによれば有孔虫では6000年くらい前から、放散虫でも3000年くらい前から下北沖の海洋環境が現在とほぼ同じように暖かくなったと考えられるそうです。

1万年前には樹氷なく、千年前には樹氷まで行けず、千年後には地球温暖化で樹氷ができなくなっているかもしれません。私たちは今、新幹線を降りて、ハイヒールでも(推奨しませんが)樹氷を見ることができます。幸せな時期に生まれた感謝しつつ、樹氷のある景観を堪能しましょう。

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博物館と大学

青木 淳一(館長)

博物館と大学、行ったり来たり


ビショップ博物館のキュレイター(左).
標本管理の責任者で強大な権限を持つ.

私の経歴を振り返ってみると、博物館と大学という二つの職場を行ったり来たりしてきたことが分かる。東京大学(学生・研究生、20-27才)−ビショップ博物館(29-30才)−国立科学博物館(30-39才)−横浜国立大学(39-65才)−生命の星・地球博物館(64才-)となる。

大学院の生物系研究科を修了したけれど、ダニなどを研究テーマにしていたので雇ってくれるところがなく、窃盗や殺人未遂をやらかした少年達を更生させる非行少年の保護施設で私が働いていたことは、ご存知の方は少ないだろう。その時のことを思い出すのも辛いので、ここでは書かない。しかし、なんでも我慢してやっていれば、いつかは芽がでるもので、ハワイのビショップ博物館に勤務しないかとの誘いがあって、喜び勇んで船底の一番安い船室で8日間かかってホノルルに到着した。初めての研究勤務が外国の博物館とあって緊張はしたが、朝から夕方まで存分に顕微鏡にかじりついていられたので幸せであった。もうハワイに骨を埋めるつもりでいたが、1年経ったら国立科学博物館からのお呼びがかかったので帰国した。そこでダニの新種を記載しまくることになる。ところが片手間に「土壌動物学」という少し厚ぼったい本を書いたことがきっかけとなったのか、10年目に大学へ来いという誘いがきた。5つの大学から選り取り見取りで選ぶ。今では夢みたいな話。迷った末に横浜国立大学へ行き、そこで26年過ごす。そして、まだ停年まで1年あるというのに、 勘違いした神奈川県が私を博物館へ引き抜いてくれたのである。

どちらが幸せ?


30才−39才を過ごした
国立科学博物館の正面玄関.

大学と博物館と、どちらで働くのが幸せか?その答えはなかなか難しい。博物館から大学へ移ったときに、まず感じたのは事務官が親切だということ。今では違うのだろうが、当時の国立の博物館の事務官は怖かった。出張するにも、物を買うにも、便宜を図るどころか、がんじがらめの規則をたてに苛められた。職務に忠実な優秀な事務官が揃っていたのだろう。大学へ来たら、「わたしどもの事務屋は先生方が研究しやすいように、お手伝いするのが仕事ですから」などと涙が出そうなことを言ってくれる。表向き敬意を払ってくれているらしい。学者の研究活動はなかば芸術活動に通ずるところがあって自由が必要なのだが、国立大学での身分は国家公務員である。その辺りの二重性格の調整は難しかったが、世間の評価は博物館職員よりははるか上である。講演しても、書物を執筆しても、大学教授の肩書きは正直言って具合がいい。だから、博物館を退職して大学へ移っていく研究者も多い。

しかし、しばらく経つと、「博物館はよかったなあ」と嘆息するようになる。私も、そうだった。現在の当館の学芸員は物凄く多忙であるのは知っているが、それでも自分の専門の研究に打ち込める大義名分がある。自然史科学、とくに分類学の研究を、これほど堂々と大手を振ってやれるところはない。わが国ではあまり認識されていないが、欧米では博物館が自然史や分類学研究の中心的な機能を果たしている。研究者仲間ではそのことは充分わかっていて、学会の大会に出てみれば、大学の研究者が敬意のこもったまなざしで博物館の研究者に接しているのではないか。ある時、国立科博の研究者を大学教授が訪ねてきて、丁寧に頭を下げているのを見て、行政職の館長が「うちにはそんな偉い学者がいたのかね」とびっくりしていたのを思い出す。当館の事務官の方々も、それほど学芸員を尊敬しているとは思われないが、研究者の立場をかなりよく理解してくれている。ヘンな人たちだなあと思いながらも、親しい関係を築いて力を貸してくれているのは、まことにありがたい。

市民との接点


39才−65才の間,最も長く勤めた
横浜国立大の正門.

ヘンなものを見つけたら、だれでもまず、博物館へ電話するか、持ってくる。大学へいく人は少ない。市民一般から見れば、博物館はそれだけで身近で頼りになるところなのである。「もしかして、これは珍しいものではなかろうか?」と手にしたお宝を鑑定してもらう。大抵は期待外れでも、その楽しみと好奇心を大切にしてあげたい。
大学に子供がくるのは大学祭の時だけだし、大学には友の会なんて、ありゃしない。自然科学者の卵を大切に育て、老後の楽しみにも手を貸してあげる博物館でありたい。当博物館ももうすぐ10才の誕生日を迎える。世界を、宇宙を見据え、なお神奈川の博物館として地元との繋がりを大切にする博物館として評価してくれる人が多い。
世界的に認められる立派な研究をしている学芸員、だれにも気安く親切にしてくれる学芸員、そんな学芸員のいる博物館を、わたしは誇りに思う。

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丹沢の異変と再生

勝山輝男(学芸員,丹沢大山総合調査 生きもの再生調査 チームリーダー)

写真1.植生保護柵の内部は林床植物が繁茂している。

私が丹沢に本格的に登り始めたのは1970年頃,高校の山岳部に入ってからです。高校の頃は尾根歩きが主体でしたが,大学の山岳部に所属してからは,主に西丹沢の沢登りが目的になりました。当時,沢のつめはどこもスズダケの密林でした。スズダケが枯れればいいのになんて冗談をいいながら藪をこいでいました。まさか,そのスズダケが本当に消えてしまうとは思いもよりませんでした。

1990年頃,当時まだ横浜にあった県立博物館の学芸員になってすぐの頃だったと思いますが,丹沢のスズダケが枯れているという電話がありました。神奈川県植物誌の調査で丹沢にはよく登っていたのですが,西丹沢に入ることが多く,札掛や堂平には行きませんでした。そのため,スズダケが枯れ始めたのには気がつきませんでした。この頃には主稜線のブナにも立ち枯れが目立ち始めていました。また,ニホンジカが分布域を拡大し,それまでの林業被害から自然林の林床植生の衰退に被害が広がっていました 。

首都圏にありながら,丹沢にはブナの深い森があり,ツキノワグマやカモシカなどの大型の野生動物が生息する,豊かな自然が残されていました。その豊かな丹沢の自然に何やら異変が起きている。これは大変だということで,1993年から3ヶ年計画で丹沢大山自然環境総合調査が行われました。

林業被害防止のため植林地に防鹿柵がはりめぐらされ,オスジカの狩猟が解禁されたことから,ニホンジカが標高の高い特別保護地区に追い上げられ,その採食によりスズダケが枯れ,林床植生が急速に衰退したことが明らかにされました。また,ブナの衰退は稜線の南斜面で顕著なことから,酸性霧やオゾンなどの大気汚染物質との関連が指摘され,夏の太平洋高気圧下では首都圏の大気汚染物質が夜間の陸風で相模湾へ運ばれ,日中の海風により丹沢の南斜面に到達するモデルが示されました。


写真2.丹沢山と竜ヶ馬場の間付近。
ブナの立ち枯れにツキヨタケが生えていた。

現在,丹沢の標高1000m以上の主稜線上にはたくさんの植生保護柵が作られています。一つの大きさは大きいもので40m×40m,傾斜地などではそれよりも小さいものが作られています。植生保護柵は景観上は好ましいものではありませんが,希少植物の保護などに一定の成果が見られます。柵の内側は林床植生が回復し,絶滅したと思われていたクガイソウが生えてきた柵もあります。柵の外はほとんど無植生か,生えていてもマルバダケブキやバイケイソウなどのシカの嫌いな植物,小さくてシカに食べられない植物ばかりです。写真1を見ると,柵の内側60cmまで植物が刈り込まれたようになっていますが,これは歩きやすいように刈ったのではなく,食料に困ったシカが柵に頭を入れて食べたと思われます。植生保護柵は林床植物を絶やさないための緊急避難で,林床植生のためにも,ニホンジカのためにも,ニホンジカの個体数管理が必要です。最近,やっとニホンジカの保護管理計画が作られ,シカの個体数コントロールが始まりました。

前回の総合調査から10年がたちました。その間にスズダケの枯死や林床植生の衰退は大室山など西丹沢にまで広がり,稜線のブナ枯れも拡大しています。かつて樹木に被われていた稜線は笹原に変わってしまった(写真2)。長い間林床が無植生になっていた東丹沢の堂平周辺では土壌浸食により樹木の根が露出しています(写真3)


写真3.堂平付近の林床。
林床植物がなくなったところでは土壌が浸食して根が
露出している。

丹沢の自然を再生するにはどうしたら良いのか。その答えを得るために再び丹沢大山総合調査が始まりました。この調査には博物館も関わっています。調査団長には当館の青木館長があたり,動物や植物担当の学芸員もグループリーダーや調査員に加わっています。また,ボランティアや友の会会員の中にも調査員がいます。前回の調査では扱うことのできなかった菌類や藻類を加えて,丹沢の生物目録を見直すこと,林床植生の衰退や森林の衰退が生物相にどのような影響を及ぼしているのか,人工林の多い中低標高地の生態系管理をどうすれば生物の多様性を再生できるのか,課題はたくさんあります。

 

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博物館にまつわる数字

大島 光春(学芸員)


表:当館の事業費とその推移(金額は千円単位)

はじめに

博物館の職員は、一般に入館者数だけで博物館の価値や活動を評価されるのをいやがります。理由はいろいろありますが、その根底にあるのは「博物館の役割は、利益を追求するレジャー施設とは違い、人を呼べれば良いというものではない」という思いだと私は考えています。とはいえ、たとえ“親方日の丸”でも、国公立博物館の立場は、昨今の行政改革の動きや厳しい経済情勢の中にあって、存在意義がアピールできないと縮小・閉鎖などということになりかねません。そのようなことにならないように、博物館の立場を、何にも知らない人に対してでも、わかりやすく説明でき、説得もしやすいのは数字に違いありません。

そこで、開館10周年を迎えるにあたり、小文では年報などで公表されている数字を使って、当博物館の7年(年報が刊行されている分)を振り返ってみることにしました。また、ほぼ同じ時期にオープンした県立の他館と比較することによって、当館のポジションを概観します。  この作業に当たっては各博物館が年報などに掲載している予算の事業名や区切り方が一様ではないので、私の整理が適切でない場合があるかもしれません。そうした場合にはご容赦いただき、ご指導いただければ幸いです。また、私がこのような内容を考えたきっかけは、福井県立恐竜博物館の学芸員の方々からいただきました。記して感謝いたします。  また、当館が設置されたのは平成7 (1995)年1月1日で、開館は3月20日です。予算は四半期分、入館者は10日足らずであるため、ここでは平成6 (1994)年度のことは取り上げません。


図1:当館の■総事業費と◆維持運営費.

当館の予算推移

さて、表をみていきましょう(県民アカデミーは県立機関活用講座に変わっています)。上から合計までが年報に記載されているデータです。最高額を記録した平成8 (1996)年を100として以降の減り方をみてみましょう。平成11 (1999)年に前年比84%となっています。さらに、翌年度には前年比78%という記録的な削減が敢行されました。その後も毎年減り続け、平成15 (2003)年度に平成8 (1996)年度比52%まで落ち込んだ予算は翌年度、当然50%を割り込みました。

削減の著しい予算項目

ではどのような減り方(削減のされ方)をしたのでしょうか? 予算の大部分を占める維持運営費(図1)は、平成15 (2003)年度では平成8 (1996)年度比55%ですし、額は小さいですが、情報システム事業費は同77%ですので、どこかにしわ寄せが行きます。削減額が大きいのは展示事業費で平成8 (1996)年度比44%(3100万円減)、割合が大きいのは学習支援事業費同28%、調査研究費同30%、資料整備費同33%です(図2)。私はこの部分こそ博物館のもっとも重要な部分だと思うのですが…。
  平成13 (2001)年度の調査研究費が翌年の5倍もあります。調査研究費には「研究報告」や「神奈川自然誌資料」などの印刷費も含まれるのですが、この年は「神奈川県植物誌2001」(\9,800当館ミュージアムショップで販売中)が刊行された年です。同誌の売り上げは、博物館ではなく、県の収入となるため、研究費は実質的には全く増えていません。


図2:維持運営費を除いた当館の事業費.

入館者数の推移

景気が悪くなり、事業費が減る中で、入館数はどのように推移したのかをみてみましょう。ここからは必要に応じて他館のデータと比較してみたいと思います。 冒頭にも述べたとおり、比較に選んだのは当館と同じ時期に設立した県立の自然史(一部に人文系や水族館を含む)博物館です。具体的には茨城県自然博物館、千葉県立中央博物館、群馬県立自然史博物館、福井県立恐竜博物館、滋賀県立琵琶湖博物館、兵庫県立人と自然の博物館です(以下○○県博と略します)。 図3では滋賀県博と茨城県博が、開館の翌年に大きなピークを迎え、激減した後、徐々に減少するという、典型的なプロファイルを示しています。兵庫県博は平成11 (1999)年度まで微増を続け、翌年、翌々年と入館者が急に増加しています。これはまれなケースです。入館者の増加を目指す場合には、このとき兵庫県博で何が行われたのかを調べる必要がありそうです。データの得られた中でもっとも最近の平成14(2002)年度を見ると、17万人前後が2館、25万人前後が3館、40万人以上が2館ということで当館は、“普通”といったところでしょうか?

事業費と入館者


図3:各館の年間入館者数の推移.

事業費と入館者数がわかったところで、事業費を入館者数で割ってみましょう。そうすると入館者一人あたりにどれくらいの費用がかかっているかがわかります。当館の場合は図4で、平成8(1996)年度から平成11 (1999)年度まで1,300〜1,400円/人だったのが翌年から下がりはじめ、平成15 (2003)年度には1,000円/人まで下がっています。事業費が減額されていても、何とか入館者数を保ち続けている結果でしょう。ちなみに当館の大人の入館料は510円です。

では次に他館を見てみましょう。図5は平成14 (2002)年度のデータです。福井県博、滋賀県博、茨城県博の1,700円/人前後から群馬県博の3,000円/人超までありますが、兵庫県博の2,000円/人が平均的なところでしょう。

事業費と床面積

図6の床面積をみていきましょう。これは、事業費を展示室やバックヤード(駐車場などを除く)など、博物館の床面積で割った値です。つまり博物館の床1uにいくらお金をかけているかということです。当館が2万円/uを切って最安、2万円/u代が福井県博、兵庫県博、千葉県博の3館。もっとも高いのが茨城県博で6万円/uを超えています。平均では3.5万円/uというところで、滋賀県博がちょうどそれくらいです。 茨城県博は、群馬県博と並んで12,000uと狭いのに、年間42万人もの入館者を集められるのは、それなりにお金をかけているといえそうです。群馬県博も当館の2倍以上です。

入館者数と学芸員数


図4 当館の事業費/入館者数の推移.

博物館の専門職員として勤めているのは学芸員ですから、博物館のマンパワーの源として、学芸員数を見ていきましょう。 学芸員数が圧倒的に多いのは千葉県博の58人です。海の分館などが含まれていることを考慮しても多いのは確かです。2位が兵庫県博で37人、次が滋賀県博の32人です。その他の4館は20人未満です。

図7は年間入館者数を学芸員数で割ったものです。学芸員1人あたり何人の入館者を背負っているかということです。実際に入館者と接する機会は案内員や解説員の方が多いのですが、博物館の姿勢の問題です。茨城県博と福井県博が2万人入館者/学芸員を超えています。滋賀県博と群馬県博、当館が13,000〜15,000人入館者/学芸員で中庸、兵庫県博が7千人入館者/学芸員、千葉県博が3千人入館者/学芸員です。

おわりに

今回取り上げた他館との比較において、当館のポジションは、事業費は最低レベル、そのほかは平均的レベルといえそうです。その最低レベルの事業費の中で特に削減が著しい項目は、学習支援、調査研究、資料整備のための費用です。 当館に限らず、自然史博物館には元々の役割に加え、学校5日制への対応や理科離れ対策など学校教育との連携、いわゆる“環境問題”の研究や教育などが期待されています。その状況で「私たちは少ない予算で良くやっているので、ご褒美に予算を増やしてください」というのが私の本音ですが、世の中そんなに甘くはないようです。

小文を読んでいただいて、これから当館がどのような方向へ進むべきなのか、どうすれば良いのかを皆で議論するきっかけや、根拠になったら良いと考えています。


図5.各館の事業費/入場者数(H14)

図6.各館の事業費/床面積(H14)

図7.各館の入場者数/学芸員(H14).

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展示シリーズ15 ジャンボブック展示トピックスコーナー

山下浩之(学芸員)

写真:ジャンボブック展示トピックスコーナー最新展示(第26回).
この写真は、全展示の1/4面のみで、資料が取り付けてありません。
ここには大磯丘陵で見られる火山灰のうち、 代表的なものが並べら
れています。これらの火山灰には、「タマゴサンド」や「赤鬼黒鬼」など
といった奇妙な愛称がついています。 白や黄色の火山灰をはじめ、
赤、青、黒など、色合いが大変きれいです。カラーでないのが残念!

1. はじめに

当館の3階にあるジャンボブック(JBと略します)展示は、巨大な百科事典の形をしたケースの中に実物標本(一部複製)を展示したものです。全部で27タイトルが設けられており、分類ごと、あるいはコレクションごとに展示されています。この展示は、開館当初から数年ごとに展示替えを行なう予定でいました。展示室の奥にあるJB編集室はそのための部屋です。しかし、諸般の事情から展示替えが行なわれている(行なわれた)ものは数少ないのが現状です。その中で、第27巻にあたるトピックスコーナーは、開館以来24回も展示替えが行なわれてきました。ここでは、トピックスコーナーの展示替えと最新の展示の紹介をします。

2. JB展示トピックスコーナーとは

JB展示トピックスコーナーは、JB展示室の出口にあります。開館当初から、年に数回の地球科学系の展示替えを行なうことを 目的に作られました。そのため、どんな展示にも対応できるように、ケースの右上の写真が地球になっています。他のJB展示と見比べると、 展示台や資料ラベル等、明らかに素人が作ったことがわかります。特に資料の取り付けには釣り糸やワイヤーを使っているために、 美しさに劣ります。逆に言えば、凝らずに次々と展示替えができることがメリットでしょうか。

3. 展示ができるまで

トピックスコーナーの展示ができるまでの流れを紹介します。 1立案(最近はネタに乏しくなってきました) 2資料収集(神奈川県近隣で資料収集ができる場合は採集に出かけます。そのため一番時間を費やします。でもやりがいがあります) 3資料加工(石洗いや磨き、岩石薄片つくりなど。手間がかかります) 4展示レイアウト(何をどこに配置するか?下の絵はどうするか検討します) 5解説文作成 6キャッチコピー募集(一番悩みます) 7資料取り付け(板に資料を釣り糸やワイヤーで取り付けます) 8パネル貼り(情報コーナー(下面)やラベルをパネルに貼ります) 9展示替え 開館当初から第13回くらいまでは、学芸員が上記の作業のほとんどを行い、展示替えだけを地学ボランティアにお願いしていました。その後、年に3回行なわれる展示替えのうち1回を夏に行なわれる博物館実習の実習内容にあてるようにしました。22回以降は地学ボランティアに企画から入ってもらい、資料収集や資料加工を含め、1年間をかけて展示を作成しています。なお、1〜21回までは下記のHPで紹介しています。 http://www1.cominitei.com/pacgeo/jumbobook/index0.htm

4. 悩ましい、キャッチコピー決め

さて、展示準備の過程の中で、一番悩ましいのはキャッチコピーを考えることなのです。過去に展示されたものの中から、ユニークなキャッチコピーを紹介します。中には解説しないと、なんのことだかわからないものもあるかと思います。 第4回 <海底から蛇々―ン 1996.4.21〜1996.7.15> これはオフィオライトと呼ばれる海洋プレートを構成する岩石を紹介したものです。これらの岩石は、玄武岩や斑レイ岩、カンラン岩などがありますが、このうちのカンラン岩は、変質によって蛇紋岩という岩石に変わっています。蛇紋岩とはその名のとおり、「へび」に見られるような模様が岩石に見られることからその名がつきました。かつては海底にあり、現在は地上で見られる蛇紋岩を多数展示したことから、このタイトルになりました。 第9回 <温「最古」知「地球」 1997.12.23〜1998.4.28> これは冥王代にできた最古の岩石を展示した時のキャッチコピーです。よいアイデアが浮かばず悩んでいたとき、元国立科学博物館の加藤昭先生が、「温故知新」にちなんでヒントをくれたものです。 第18回 <名前の由来はチリにアンデス 2001.8.10〜2001.11.30> これはチリおよびアルゼンチンの安山岩を展示したものです。安山岩の名前の由来が南米のアンデス山脈にあるため、このキャッチコピーになりました。 第21回 <3Dプロジェクト 2002.8.20〜2003.2.21> キャッチコピーだけだとなんのことだかわかりませんが、展示を見ればわかります。標本の形を数値化して、立体的に表現しました。その手法とCGを展示したものです。 第24回 <箱根火山合衆国 2004.3.12〜2004.8.12> 箱根火山はもともと2,700mくらいの巨大な成層火山で、巨大噴火によりカルデラを形成したことにより現在の古期外輪山ができたという説が1950年頃から主流になってきました。しかし、最近は、1つの成層火山ではなく、いくつかの成層火山の寄せ集めであった可能性が示唆されています。 箱根火山の外輪山より集めた見かけが異なる安山岩を展示したために、このようなキャッチコピーになりました。

5. 最新情報

現在、第26回の展示替えを計画しています。おそらく本号が発行される前には新しい展示に変わっているはずです。第26回のタイトルは、箱根火山のテフラです。地学ボランティアの協力で、1年をかけて大磯丘陵をはじめ、神奈川県内より箱根起源の火山灰の大部分を集めました。火山灰の入ったビンを並べてみると、色や粒の大きさ、構成する鉱物の種類が様々で、色合いがたいへんきれいです。箱根火山の生い立ちを知る上でも重要な展示です。是非ご覧になってください。ちなみにキャッチコピーは思案中です。


ライブラリー通信 子どもの本 

篠崎淑子(司書)

 ライブラリーには子どもの本コーナーがあります。子ども向きの図鑑類や漢字にふりがなが振ってある本を、テーマごとにシールで色分けして、一ヶ所にまとめて置いてあります。最近受入れた本のなかから、見て楽しめる絵本を中心に少し紹介しましょう。

 『地球がもし100cmの球だったら』(永井智哉・文、木野鳥乎・絵、世界文化社)はタイトルのとおり地球を100cmの球に見立てて、海は体積にしてビール大ビン1本分ほど、その内飲める淡水は17ccなど、地球についてわかりやすく説明しています。

 農山漁村文化協会で出版された『なっとうの絵本』と『みその絵本』は、『つくってあそぼう』のシリーズで、納豆や味噌の歴史から作り方までを丁寧に解説しています。『ぶくぶく発酵するふしぎ』は、納豆や味噌を含むさまざまな発酵食品の作り方を写真で説明しています。巻末に食品の詳しい解説がついています。

 『土のコレクション』(栗田宏一著、フレーベル館)は表紙にいろいろな色の小さな土の山。これは著者が日本全国から集めた土です。全国の地域別の土、温泉や鉱山の珍しい色の土など、ページを開くと驚くほど美しい色の土が並んでいます。

 『ミミズのふしぎ』(皆越ようせい著、ポプラ社)はミミズの産卵や食事、越冬などを写真で追った珍しいミミズの写真絵本です。最後のページでは、当館所蔵の4億年前のミミズの仲間の化石が紹介されています。

 『暖かい地球と寒い地球』は犀川で化石を見つけた古生物学者の著者が、氷河期と間氷期が繰り返す地球の歴史を、犀川の貝の化石などを用いてわかりやすく解説した絵本です。

 『やさしい地図入門』(ポプラ社)は1巻から5巻まであります。企画展『+2℃の世界』で床に縄文時代の海岸線を復元した地図が貼ってあり、拡大鏡で見えるようになっていましたが、この機会に地図に親しんでもらおうと担当の学芸員が子ども向きの地図の入門書を選んでくれました。

 これらはほんの一部です。子どもの本コーナーには絵本や入門書だけでなく簡単な実験の本や調べもの学習に適した本もあります。博物館のなかを歩き回って疲れたときは、ライブラリーの子どもの本コーナーのベンチでちょっとくつろいでみてはいかがでしょうか。  (司書 篠崎淑子)

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資料紹介 オオタカ

加藤 ゆき(学芸員)

図1 自然形の本剥製(KPM-NF2000103)

今回は酉年にちなみ、数ある日本産の鳥類の中で、何かと話題に上ることが多いオオタカAccipiter gentilisを紹介します。当館には、オオタカの資料は6点あり、そのうち5点が本剥製、1点が骨格標本です。本剥製は主に展示に使用し、用途に応じて姿勢を決め、業者に依頼して作ってもらいます。大抵の場合は木に止まっている自然な姿勢(図1)にしますが、飛んでいる時の翼や体の形を見せるために飛翔形(図2)にするときもあります。これらは、講座や特別展で使用、展示をしてきました。骨格標本(図3)は講座や展示で使用することもありますが、主に研究のために使います。

オオタカは、主に北海道と本州の平地から低山の林で繁殖し、冬は全国の低山から平地の林にすみ、周囲の農耕地や干拓地、河原、湖岸などにも姿を現します。エサは主にハト類やカモ類、キジ類、ウサギ類といった中・大型の鳥類や小型の哺乳類で、林の中やその周辺、干潟、河原などで捕食します。昔から鷹狩によく使われた種で、屏風や掛け軸などにも「鷹」として描かれてきたタカ類の代表格です。

神奈川県内では、ほぼ全域で年間を通して見ることができます。繁殖は春から夏にかけて行い、平地から丘陵地の雑木林やスギ林で子育てをします。秋から春にかけては、平地から低山の林や農耕地、河原などで見かけます。

調査に出かけたときには、必ずといってよいほど見かける身近な鳥ですが、いままで、食事風景を見たことはありませんでした。しかし、昨年冬に、ついにオオタカが捕獲直後のヒドリガモを押さえ込んでいる場面に出くわしました(図4)。一番の興味は、どこからどのように食べ始めるのか? ということでした。


図2 飛翔形の本剥製(KPM-NF2000627)

じっと観察していると、オオタカはヒドリガモの羽をくちばしでむしり取り、内臓から食べ始めました。猛然と食べ進むにつれて、喉もとの?嚢が膨らんでいくのがはっきりと分かりました(図5)。しばらくすると、満足したらしく飛び去り、後からトビとハシボソガラスが残りを食べてきていました(図6)。人間からすれば残酷なように思いますが、自然界ではごくあたりまえのことです。



図3 骨格標本:左から上腕骨2点,頭蓋骨,複合仙骨,
胸骨,癒合鎖骨(KPM-NF2000878).

近年、ゴルフ場や道路、大型施設の建設にともなう環境アセスメント調査などにより、オオタカが思った以上に人間の生活圏に隣接して生息していることが明らかになってきました。しかし、開発行為による営巣木の減失や生息環境の悪化、剥製目的の密猟などにより、生息数の減少が心配されるため、環境省編の「改訂・日本の絶滅のおそれのある野生生物−レッドデータブック−」では絶滅危惧U類に指定されています。タカ類の代表選手ともいえるこの鳥が、いつまでも身近にいてほしいと思います。

?嚢(そのう):食道の一部が拡大してできたもので、硬い木の実や穀類をたくさん食べたり多量の生肉を貪食したりするような鳥類でよく発達している。食べものをやわらかくし、また一時的に貯蔵する役割を果たしている。



図4 ヒドリガモを捕獲し,脚で押さえ込んでいるオオタカ。
この時点でヒドリガモはまだ生きている(重永明生撮影).

図5 羽をむしり内臓から食べ始めた.
図4とくらべ,喉元が膨らんでいる(重永明生撮影).

図6 オオタカが飛び去った後には,トビとハシボソガラスがきて
残りを食べた。かれらは自然界の「お掃除屋さん」である(重永明生撮影).
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