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2001年3月15日発行 年4回発行 第7巻 第1号 通巻第24号 ISSN 1341-545X


自然科学のとびら


Vol.7, No.1  神奈川県立生命の星・地球博物館  Mar.,2001


今号の目次


愛川町で発見されたイトアメンボ

Hydrometra albolineata (Scott)

(体長11−14mm程度)

イトアメンボ

愛川町尾山、2000年9月

高桑正敏撮影

高桑正敏(学芸員)

水環境にすむカメムシ類の1種、イトアメンボは環境庁が昨年4月に発表した昆虫のレッドリスト改訂版の中で、絶滅危惧II類に挙げられました。かつては、関東地方以西にふつうに生息していたと考えられていましたが、いつのまにか、関東はおろか本州でもほとんど記録がない状態になっていたのです。

それがなんと昨年、自然の水環境では都道府県の中では最悪との呼び声の高い神奈川県で生息が確認されたのです。もちろん、東日本では唯一の確実な産地です。場所は愛川町の八菅山と中津川に挟まれた尾山耕地。

ところが大問題がありました。この耕地の中央に立派な町道が計画されていたのです。イトアメンボは再発見された時点で、絶滅に直面してしまったのです。けれども、関係者の努力によって道路は迂回される見通しです。生物多様性保全を尊重する波は、確実に地域にも浸透しつつあります。愛川町はその英断によって全国から賞賛されることでしょう。

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ヤマトシジミ―河川漁業を支える汽水生物の現状―

根本隆夫(茨城県内水面水産試験場)

はじめに

「味噌汁」と言えば「シジミ」と思う人が多いほど、シジミは日本人の食文化に根付いた生き物です。しかし、日本産のシジミは生息環境の変化などにより減少を続けています。関東地方のシジミ産地である茨城より、シジミの生態と産地の現状をご紹介します。

ヤマトシジミ親貝
図1 ヤマトシジミ親貝

シジミの種類

日本産シジミ属 Corbicula には、マシジミ Corbicula leana、セタシジミ C. sandai、ヤマトシジミ C. japonica図1)、の3種があります。このうちマシジミは全国の小川や農業用水路にすむ淡水種で、漁業対象になるほどまとまって生息していません。近年は河川改修や水路のコンクリート三面化、農薬などの影響で全国的に減少しています。セタシジミは琵琶湖固有の淡水種ですが、底質の悪化などにより減少し、現在は最盛期の50分の1程度の漁獲量しかありません。ヤマトシジミは唯一海水と淡水が混ざる汽水域に生息する種類で、北海道から九州まで分布し、単位面積あたりの生息量が多く食味も良いことから漁業対象種となっています。したがって、現在日本で漁獲されているシジミのほとんどがこのヤマトシジミなのです。ヤマトシジミが単位面積あたりの生息量が多い理由として、マシジミに比べ一個体あたりの産卵数が数十万から百万個と多く再生産力が高いこと、そして基礎生産力の高い汽水域の環境に適した種であることがあげられます。


図2 ヤマトシジミの生活史

ヤマトシジミの生態

図2にヤマトシジミの生活史を示しました。産卵期は地域によって若干異なりますが、水温が約23℃以上になった夏季で、関東の産地である利根川や涸沼では、7月〜9月頃です。ヤマトシジミは雌雄異体で成熟期に殻を開けてみると、灰黒色の卵巣を持った雌と乳白色の精巣を持った雄の違いが分かります。卵巣・精巣は5月頃から徐々に発達しはじめ梅雨時の6月に急激に発達し、梅雨後半には完熟状態になります。しかし、汽水性のヤマトシジミは海水の1/5〜1/50くらいの塩分濃度がないと正常に卵の発生ができないため、川の塩分が低い梅雨の間はほとんど産卵しません。通常年では梅雨が明け塩分濃度が上昇すると産卵が始まります。ヤマトシジミ卵(約0.1mm)は水中で受精し、約1日でローマ字のDの形に似たD型幼生(図3)に変態し、6〜10日間水中を浮遊します。この期間は適度な塩分が必要で、海水と淡水の潮目付近に濃密に分布し、潮の満ち引きにのって上流側と下流側を行き来します。もし、この間に海へ流されると高塩分によりへい死してしまいます。そのため、ヤマトシジミが毎年安定して発生するには、ある程度の汽水域の距離が必要です。


図3 ヤマトシジミD型幼生

浮遊期を終えて殻長0.2mm程の着底稚貝となると真水に近い塩分濃度でも生息が可能となりますが、海水に近い高塩分下では生きていけません。殻長7mm位までの稚貝期にはクモの糸のような足糸を出し、物に付着する性質があります。これは流速の早い河川において海へ流されなくするのに役立つものと考えられます。ヤマトシジミ稚貝は成長の個体差が大きく、その年の冬までに殻長10mm位に成長するものもあれば、1mm以下のものも見られます。冬は水温が低いため川底の砂に深く潜って過ごしほとんど成長せず、春になり水温が上がると川底表面まで出てきて夏までに急成長します。成熟サイズは殻長15mmほどで、利根川や涸沼では早いもので約1年でこの大きさになり、遅くても2年で成熟すると見られます。

汽水域の環境は?

ヤマトシジミが生息する汽水域は川の河口や河口付近の湖に存在します。この水域の特徴として、<1>潮汐や降雨の影響を受けて塩分の変化が激しいこと。<2>栄養が溜まりやすく水質が汚濁しやすいこと。<3>水深が浅く植物プランクトンの発生が多いことがあげられます。魚類に比べ貝類は移動能力が低いため不適な水質環境になったときに回避することが困難です。しかし、ヤマトシジミは生息に支障のない塩分が0〜約2/3海水濃度であり他の二枚貝類に比べ広範囲に対応でき、低酸素水に対する耐性も高いことから、植物プランクトンなどの豊富な餌を利用して汽水域に優占的に生息できるのです。

しかし、ヤマトシジミの生息に適した日本の汽水域は、様々な人間の行為により減少してきています。<1>水深が浅く埋め立てや干拓がしやすいことから開発の対象となる。<2>洪水防止のために河床を深く掘り、良好な浅場が減少する。<3>農作物の塩害防止や水利用のため水門や河口堰を建設し淡水化する。<4>生活排水、産業廃水により水質が汚濁し底質も悪化する。このような原因により、全国のヤマトシジミ分布域は縮小し、資源量も減少しているのが現状です。


図4 利根川水系におけるシジミ漁獲量の経年変化

関東のシジミ産地の現状

関東地方のヤマトシジミの主産地は那珂川水系の涸沼・涸沼川(茨城県)が3,122トン、利根川(茨城県・千葉県)が1,731トンです。その他、水質の改善により資源の回復が見られる東京都の荒川、中川、江戸川で合計309トンの漁獲があります(1998,農林統計)。

かつて全国生産量の7割近くを占め日本一の産地であった利根川の現状をご紹介します。江戸時代から昭和初期にかけて江戸(東京)周辺の水害防止と新田開発、船運などのために、幕府(政府)により“利根川東遷工事”が行われました。これは江戸川経由で東京湾に注ぐ利根川本流のルートを、鬼怒川・小貝川とつなげ太平洋に注ぐ現在のルートに変えるという大規模な工事でした。これにより、逆に利根川下流域から霞ヶ浦周辺地域で洪水が頻繁に起きるようになりました。この対策として戦後間もない1949年から利根川下流部と霞ヶ浦につながる常陸利根川で川底を掘り下げる浚渫工事が行われました。その結果1955年頃からこの地域の水田で大規模な塩害が発生しました。そして、塩害防止と首都圏などの新たなる水需要を目的に利根川河口堰と常陸川水門が建設されました(以下河口堰、水門と略す)。河口堰、水門は河口から約18km上流側にあります。この河口堰は日本初の河口堰であり、後の全国河川のモデルとなりました。

利根川本流のヤマトシジミは河口堰の運用開始直後に大量へい死し、漁獲量は激減しました(図4)。また、霞ヶ浦・北浦のヤマトシジミは水門による淡水化で消滅していきます。その後、漁業者が宍道湖や涸沼から種苗を購入し移殖放流を続けたことで一時的に漁獲量は回復しますが、長く続かず現在も減少を続けています。これは河口堰、水門の下流部も高塩分の水塊が滞留し低酸素状態になるようになったこと、河川改修により水草帯が減少し静穏域が減少したこと、生活排水の増加により水質が悪化したことなどが原因として考えられます。

輸入シジミの問題

1971年以降、利根川の減少分を補うように宍道湖(島根県)が増産し、日本一となりました。しかし、宍道湖も徐々に漁場環境が悪化し、現在では漁獲量が減少しています。他の全国産地も同様の問題を抱えており、1998年の全国のシジミ総漁獲量は19,932トンで、ピーク時の3分の1ほどになっています。これを補うように、中国を中心に韓国、ロシアなどからのシジミ輸入量が年々増加し、1998年は国産量とほぼ同等の18,655トンに上っています。昨年、改正JAS法が施行され産地表示が義務化されましたが、皆さんは外国産シジミの表示を見たことがありますか…?

輸入シジミは流通の問題以上に日本の水域に放流した場合の生態系に与える影響が懸念されます。その可能性として、<1>日本のシジミが競争に負けて減ること。<2>日本のシジミと混血が起こること。<3>思わぬ混在生物が増えること。<4>外国から持ち込んだ病気が日本のシジミに感染することなどが考えられます。既にこれと同様の現象が魚の世界で起こってることはお分かりかと思います。輸入シジミは安易に日本の川に放流しないことです。

おいしいシジミ汁を残すために

日本のヤマトシジミは、輸入物の中心である中国産の淡水シジミより旨味成分が多くて人気があり、価格が安定しているので、ヤマトシジミの産地では今でも河川漁業が成立しています。漁業者は残された資源を大切に管理しながら私たちにシジミを提供してくれます。また、シジミは私たちが河川に排出した栄養分をプランクトンを経由して吸収します。ですから漁業者が採ったシジミを私たちが食べることは、物質循環がうまく行き、水質の浄化にもつながることなのです。安易に輸入品に頼ることなく、シジミが生息できる環境を維持しながら川の恵みを利用していくことは、飲み水を利用する上でも安心材料なのです。おいしい日本のシジミ文化を残すためにも河川が抱える環境問題を漁業者だけに抱えさせるのではなく、彼らを支援し少しでも力になることが必要だと思います。

主な参考文献

中村幹雄編著(2000):日本のシジミ漁業,たたら書房.

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展示シリーズ5 大空を舞う種子、ハネフクベ

田中徳久(学芸員)

当館1Fに展示されている板根(マメ科のKoompassia excelsa)は、生命展示室の目玉とも言える巨大な展示物です。そして、その下には、熱帯雨林の植物の多様性を示すため、12種のラン科植物の精巧な模型が展示ケースに収められています。このどれもが、その収集にあたり、このコーナーで紹介する話題に事欠かない興味深い展示物です。しかし、このラン科植物と同じ展示ケースのひとつには、まったく様相の異なる展示物が収められています(図1)。それが今回紹介する「大空を舞う種子、ハネフクベ」なのです。 植物は、動物のように自分で移動することはできません。そのため、多くの植物は、分布を広げられるように、自分の子孫をより遠くへ飛ばし、より広範囲に散布されるしくみを発達させています。動物によるもの、水によるもの、風によるものなどが代表的な散布方法です。秋、子供たちが服につけて遊ぶオナモミやセンダングサなどの類の“くっつきむし”は、動物の体に付着し散布される動物散布の一例です。カンアオイやスミレの類のように、エライオソームと呼ばれるアリを誘引する物質を含む付属体を種子に持っていて、アリにより散布される例も有名です。

熱帯雨林を構成する植物たちも、その種子散布のため、さまざまなしくみを発達させています。ウリ科のハネフクベ Macrozanonia macrocarpa やノウゼンカズラ科のソリザヤノキ Oroxylum indicum の種子は、大きな翼を持っていて、種子を滑空させることで、散布距離を広げています。種子を散布する高さが高い熱帯雨林の植物では、これらの翼は種子の散布に有効に機能していると考えられます。

ハネフクベは大型のつる植物で、ニューギニアやインドネシア、フィリピンなどの河畔林に生育しています。その種子は、世界最大の翼を持つ種子として知られていて、さまざまな本に紹介されています。日本では、三好学や本田正次、金平亮三らが紹介しているほか、最近では、中西弘樹氏が詳しく紹介しています。その呼び名にはいくつかあり、マクロザノニア(Macrozanonia)やアルソミテラ(Alsomitra)などの属名をそのまま読んだ名のほか、オオツルダマ(三好学による)、ヒョウタンカズラ(金平亮三による)などの名もあります。ハネフクベの種子が入っている果実は、直径20cmを超える楕円形(図2)で、中に世界最大の翼を持つといわれる種子が整然と並んでいます。種子の本体は、長径30mm、短径20mmほどの平べったい楕円形で、その周囲に少し湾曲した薄い膜状の長さ15cmにもなる翼がついています(図3)。

ハネフクベの種子は、手に持った高さからでも、10m近くを滑空することもありますが、中西氏によると、らせん状に落下することもあるようです。その滑空する姿は、ふわふわとしていて、実に優雅で、その飛行する姿は航空力学の立場からも記述されています。また、グライダーを開発したドイツのエトリッヒと友人のウエルズは、ハネフクベの種子を入手し、その飛行原理を研究し、グライダーを開発する参考にしました。多少上下しながら、ゆっくり落下していくその滑空の様子は、まさに天然のグライダーと呼べるものです。

また、ハネフクベと同じケースの中には、ソリザヤノキの種子も展示されています。ソリザヤノキの種子は、ハネフクベに比べると小さく、5〜6cmほどです。しかし、違う科に属する植物であるにも関わらず、その翼の形状はハネフクベとそっくりです。それぞれの植物が進化の過程で同じような翼を発達させてきたことから、この翼が、有効な散布能力を発揮していることが想像されます。

なお、ハネフクベと同じ展示ケースには、ラワン材として広く輸入されているフタバガキ科の果実も展示されています。フタバガキ科の植物の果実の多くは、5枚の萼片の何枚かを羽根状に発達させていますが、この羽根は、種子を遠くへ飛ばすことよりも、樹上から落下した際の衝撃を和らげたりする役目を果たしているようです。

日本にも、ハネフクベやソリザヤノキほどではありませんが、これに似た翼を持つ種子を持つ植物があります。シナノキやハルニレ、カエデ類などの樹木だけでなく、ウバユリやヤマノイモなどの草本にも知られています。残念ながら、これらの種子の翼はずっと小さくて、ハネフクベほど優雅に滑空することはなく、風に吹かれて舞い散る程度ですが…。

板根下のハネフクベほかの展示ケース
図1 板根下のハネフクベほかの展示ケース
(1階生命展示室)

図2 (上)ハネフクベの果実

図3 (下)翼をもつハネフクベの種子

図4 グライダーのように滑空する種子

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神奈川の自然シリーズ15 半原越え地学ハイキング


図1 経ヶ岳周辺の地質(神奈川県1997より作成)
田口公則(学芸員)

厚木から半原、津久井にかけて細長く連なる丹沢山地の前山があります。ちょうど国道412号線と県道64号伊勢原津久井線にはさまれた南から順礼峠、白山、経ヶ岳、仏果山(ぶっかさん)、さらには石老山に連なる山々です。この帯状の山地は、2つの構造線に境された愛川層群とよばれる地層からなり(図1)、かつてより伊豆・小笠原弧が本州へ衝突したことを記録しています。

今回は、この2つの構造線を横断するハイキングコースをたどり地学的視点から興味深いポイントを紹介しましょう。

煤ヶ谷から半原越え

起点の煤ヶ谷、坂尻バス停から半原越えまでは、法論堂(おろんど)林道を歩きます。歩きはじめの法論堂川わきの林道では、凝灰質砂岩があり、ときに玉ねぎ状の風化構造が観察されます。この付近の地層は、丹沢層群の寺家層(860―560万年前)です。主に泥岩からなる地層で、宮ヶ瀬からは貝化石が産出しています。寺家層は、丹沢山地が本州へ衝突する前の深海底に堆積したものです。

法論堂川を渡りヘアピンカーブをすぎ少し上ったあたりに宮ヶ瀬からのびる牧馬(まきめ)―煤ヶ谷構造線が通っています。丹沢層群寺家層と愛川層群(860―560万年前)を境する構造線です。

愛川層群は、下位から宮ヶ瀬層、舟沢層、中津峡層の3つの地層に分かれます。主に火山角礫岩や火砕砂岩からなる地層です。半原越えまでの間にそれぞれ現れますが、現在では露頭の状態が悪く岩層を比較できるには至りません。

法華林道から田代平山へ



図2,3 カネハラニシキの産状

図4 相模湖層群からの生痕化石

半原越えからは、経ヶ岳を巻くように延びる法華林道に入ります。林道沿いは、凝灰質の砂岩、礫岩などからなる中津峡層がずっと露出しています。

中津峡層の中部層からは、下位には見当たらなかった貝化石が産出するようになります(図23)。目立つ化石は、ほとんどカネハラニシキ (Chlamys kaneharai) の貝化石で、ほかには石灰藻球が僅かにあるくらいです。カネハラニシキは、主に東北地方の地層から見つかり、丹沢での産出はその南限となっています。火山礫凝灰岩の限られた層準から集中して産出することも特徴です。

経ヶ岳からの登山道と交差したら、登山道に入り田代へと下ります。急な下り坂の尾根道が続きますが、やがて谷沿いの緩やかな下りとなります。露頭は観察できませんがこのあたりで、つぎの構造線をまたぎます。これまでの愛川層群と四万十帯の相模湖層群を境している藤野木―愛川構造線です。沢沿いに黒色頁岩などがみられますが、これが相模湖層群瀬戸層です。この付近では、転石から生痕化石も見つかっています(図4)。国道に抜けたら半僧坊前のバス停はもうすぐです。

塩川の滝

馬力のある人は、西方にある塩川滝までさらに足をのばしましょう。あるいは、塩川の滝付近は整備されていますので、別の日にドライブで立ち寄ることも可能です。



図5 塩川滝に見られる石老山礫岩

朱塗りの橋から望むのが塩川滝です(図5)。滝周辺の露頭は、小さい円礫からなる礫岩です。これは愛川層群中津峡層の最上部にみられる石老山礫岩です。上ってきた下流の道沿いには相模湖層群の黒色頁岩や石灰岩がありましたので、やはりこの付近を藤野木‐愛川構造線が通っていることになります。上流の触光の滝では断層が観察できましたが、現在は堰堤がその道をさえぎっています。

今回のコースで横断した藤野木―愛川構造線と牧馬―煤ヶ谷構造線は、かつてのプレート境界で本州弧と伊豆・小笠原弧が衝突した証拠です。また、寺家層や愛川層群は、衝突前の狭い海を埋めた地層です。プレートに乗った南の島が次々と本州へと衝突し大地を形作っています。地質図や地形図を手に、大地の成り立ちの歴史に思いをはせながらのハイキングもまた一興でしょう。
(今回のコースは、友の会による平成13年1月21日実施の地学観察会をもとに作成しました)

図6 愛川町日比良野からみた半原山系

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博物館は知識の百貨店―菌類班でのボランティア活動―

沢田芙美子(博物館ボランティア)

私は3年ほど前から博物館に来ていますが、一昨年の博物館ボランティア講座を受講して菌類班に入りました。菌類班の活動には大きく二つの仕事があります。一つは毎週木曜日の標本整理作業、もう一つは毎月一回の菌類相調査です。標本整理作業は次のような手順で行われます。


図1 乾燥機による標本作成

図2 真空凍結乾燥機による標本作成

図3 標本整理作業

 <1> 標本の作成:データを書き込んだメモと共に、採集された生のキノコを乾燥器にかけて標本を作ります(図1)。状態の良いキノコは冷凍し真空凍結乾燥機でフリーズドライ標本にします(図2)。でき上がった標本を、規定の大きさに折って作った標本袋に入れ替えます(図3)。

 <2> 登録作業:完成した標本のデータを博物館のデータベースに登録します。コンピュータに打ち込んだ内容はラベルに打ち出します。

 <3> 配架作業:ラベルを標本袋に貼り、再乾燥した後に番号順に収蔵庫の棚に並べます。こう説明してきますと、なんだかとても大変そうですが、慣れると簡単な事の繰り返しで、おしゃべりしながら楽しく作業をしています。

毎月一回行われる菌類相調査では、博物館近くの森をフィールドにして(図4)、一年を通してそこにどのようなキノコ、変形菌、カビが棲んでいるかを調べます。調査した菌類は標本にして保管しますが、これらの名前を調べるのは一苦労です。図鑑や顕微鏡を使ったり、専門家に教えてもらったりしながら同定作業に携わりますが、菌類には未だ名前のついていないものも多く、種が不明なものも将来に備えて大切に保存します。この他にも展示(図5)や観察会のお手伝いなど様々な仕事があります。



図4 博物館のすく脇に位置する月例菌類調査のフィールド、長興山紹太寺・丸山

図5 展示作業(ジャンボブック展示)

私達は何故、手弁当で交通費までかけて博物館に集まるのでしょうか?それは、博物館ボランティアには3つの楽しみがあるからだと思います。一つは博物館が知識の百貨店だという事です。ここには、多くの専門の学芸員がおられ、知る事、学ぶ事の楽しさを実感できます。ある時、菌類の調査中に毛の生えたでんでん虫を見つけた人がいました。早速、貝類担当の佐藤学芸員にお聞きして、これが「オオケマイマイ」という種だと教わりました。この他にも木や花の名前を教えて頂いたり、本や図鑑のアドバイスを受ける事もあります。顕微鏡など触った事が無い人でも学芸員や先輩に教えてもらうことができますし、時には専門的なお話を伺う事もできます。私の場合、特に興味を持っているキノコについて専門知識を得られる事は何より楽しいです。

二つめは同じ興味を持つ友人に出会えることです。お茶を飲みながら、化石の年代測定とか、蜘蛛の目玉とか、キノコの胞子の形についての話ができる友人は滅多にいません。しかし、ここには興味を持った人々が集まります。ですから、朝から夕方まで飽きずに好きなことばかり話していられるのです。これは本当に楽しい事です。夕飯のおかずとか不景気とか、日常生活を忘れて、まるで学生のように興味のままに話す相手がいるのです。

三つめは、楽しみと言うより喜びと言ったほうが良いかも知れません。時には黙々と単純作業をして一日が終る事もあります。この仕事に対してすぐに笑顔で応えてくれる相手はいません。しかし私達の手で作った標本は時を超えて博物館というタイムカプセルの中で生き続け、興味を持ち、学ぼうとする人々や、さらには世界中の研究者にも情報提供をし続けるのです。もしかすると100年後の大発見のきっかけになるかも知れません。他にこれほどロマンに満ちた意義深い仕事があるでしょうか。このように博物館でのボランティア活動は私たちに多くの楽しみ、喜びを与えてくれます。それが私達に手弁当で博物館通いを続けさせてくれる理由だと思います。

ぜひみなさんも博物館ボランティアに参加して、この楽しさを味わって下さい。


図6 収蔵庫に保管された標本

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ライブラリー通信 「ウミウシ」本

内田 潔(司書)

ここ数年、「ウミウシ」本が相次いで刊行され、ちょっとした「ウミウシ」ブームになっています。このブームの契機となったのは1999年に東海大学出版会から刊行された『海洋生物ガイドブック』で、この種のガイドブックとしては異例なほどページを割いて230種ほどの「ウミウシ」がカラーで紹介されています。同年少し遅れてTBSブリタニカから『ウミウシガイドブック』<沖縄・慶良間諸島の海から>が、さらに翌年同タイトルで<伊豆半島の海から>が刊行されるに及んで、俄然「ウミウシ」人気に火がつきました。

「ウミウシ」をこれらのガイドブックで初めて見たという人も多いのではないでしょうか。もちろんそれまでにも海洋生物図鑑には「ウミウシ」を取り上げたものもありましたが、単に海洋生物の一種としか見なされずあまり人々の注目を浴びることはありませんでした。刊行した出版社もこれほど売れるとは思わずびっくりしたでしょうが、一番驚いたのは「ウミウシ」自身だったかもしれません。なにせそれまで海洋生物の図鑑といえば多くは魚類が主役で、「ウミウシ」などは端役扱いでしたから。それがいきなり、「ウミウシ」だけのガイドブックが刊行されたのです。

ところで、この「ウミウシ」は軟体動物の巻貝の仲間に分類されていますが、殻を脱ぎ捨てた巻貝とよく説明されるように、そのほとんどは殻を持っていません。詳しくは図鑑やガイドブックを参照してもらうしかありませんが、その形態や色彩は実に多様で見ていて飽きることがありません。海の宝石とも例えられるほどですが、人によってはグロテスクに感じるかもしれません。でも大多数の人はその優美な美しさに魅了されることでしょう。さらに詳しく知りたいという人には、ブームの契機を作った東海大学出版会から昨年刊行された『ウミウシ学』が参考になります。

「ウミウシ」の研究書としては1949年に岩波書店から『相模湾産後鰓類(こうさいるい)図譜』(生物学御研究所編)、さらに1955年にその『補遺』編が刊行されています。ここでいう後鰓類とは「ウミウシ」のことで、これらの著作は1990年に学名の修正表と文献表を追加してから復刊されていますが、今日にあっても「ウミウシ」、後鰓類に関する最も詳細な著作となっています。

この「ウミウシ」ブームの到来は、近年スキューバ・ダイビングの愛好者が増加したことと関連しているようです。これまであまり注目されてこなかった海洋生物に目を向けるダイバーが増えたことが、一連の「ウミウシ」本を生み出した一因かもしれません。そしてまた、こうした「ウミウシ」本が人々に広く受け入れられる底流には、昨今の癒しを求める社会状況と何か通じるものがありそうです。そのうち「ウミウシ」をメインにした水族館ができるかもしれませんね。

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資料紹介 グリーンランドの岩石

山下浩之(学芸員)

堆積岩(garnet bearing conglomerate)

堆積岩の露頭堆積岩の偏光顕微鏡写真
堆積岩の露頭と偏光顕微鏡写真(クロスニコル)

グリーンランドのイスア地域で見つかる堆積岩は約38億年前のものです。地球で一番古い、最古の堆積岩です。堆積岩とは、大地を造っている石が川の流れにけずられて、海に流れこんでたまったものが、固まったものです。最古の堆積岩は、38億年前にすでに、固い石からできた大地があり、雨が降り、川が大地をけずり、海で土砂がたまったことを物語っています。

枕状溶岩(basalt (pillow lava))

枕状溶岩の露頭枕状溶岩の偏光顕微鏡写真
枕状溶岩の露頭と偏光顕微鏡写真(オープンニコル)

玄武岩のマグマが、海の中で流れだすと、固まるときに枕が積み重なった形の溶岩になります。このような形の溶岩を枕状溶岩といいます。現在のすべての海の底は、中央海嶺でふき出した玄武岩マグマの枕状溶岩からできています。このような中央海嶺の営みは、プレートテクトニクスで説明されています。グリーンランドの枕状溶岩は、38億年前にプレートテクトニクスが営まれていた証拠なのです。

超塩基性岩(ultramafic rock)

超塩基性岩の露頭超塩基性岩の顕微鏡写真
超塩基性岩の露頭と偏光顕微鏡写真(クロスニコル)

超塩基性岩は、かんらん石と輝石からできている、比重の大きい岩石です。超塩基性岩は、一番最初にマグマからできる結晶がマグマの中で沈んでできた岩石です。グリーンランドに枕状溶岩や超塩基性岩があるということは、38億年前に現在と同じような海嶺の営み、プレートテクトニクスがあったことを物語っています。

縞状鉄鉱層(banded iron formation)

縞状鉄鉱層の露頭縞状鉄鉱層の偏光顕微鏡写真
縞状鉄鉱層の露頭と偏光顕微鏡写真(クロスニコル)

しましまの模様は、鉄さび(酸化鉄)と石英のくり返しでできています。縞状鉄鉱層は、20億年前ころのものがたくさん見つかっていますが、グリーンランドの縞状鉄鉱層は38億年前にできた、地球最古のものです。20億年前の縞状鉄鉱層は生物が出した酸素によって、鉄が酸化してできました。しかし、38億年前の地球にはまだ酸素を出す生物は誕生していなかったので、海の中でおこった化学反応によって、鉄が酸化したと考えられています。


グリーンランドの表面は、何万年も前にふった雪が、後から降った雪によって長い年月をかけて圧し固められた氷でできています。しかし、氷の下には、できたばかり地球の歴史を記録している石があります。

グリーンランドの大部分は、原生代(25億〜6億年前)の岩石や地層からできています。南部は太古代(38億〜25億年前)の岩石や地層からできています。東部には造山帯(カレドニア造山帯)があります。太古代の地質のうち、イスア地域から、地球最古の岩石類がみつかっています。イスア地域は、大陸の氷床の縁に顔を出している地層です。人跡未踏のようなこの地に、毎夏、調査をするため多くの地質学者がイスアに集まり、テント村ができます。当館の小出・平田両学芸員は、2000年7月にイスアに地質調査に出かけました。上に紹介した写真と石はその調査によるものです。なお、この石は現在ジャンボブックのトピックスのコーナーに展示してあります。この機会にぜひご覧ください。

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