2001年9月15日発行 年4回発行 第7巻 第3号 通巻第26号 ISSN 1341-545X
Vol.7, No.3 神奈川県立生命の星・地球博物館 Sept.,2001
ハチそっくりの昆虫がいかに多いか、私がそれを改めて実感したのは北ベトナムに採集に行ったときでした。今からちょうど10年前のことです。
もちろん、私はいちおうは昆虫担当の学芸員です。ハチに擬態していると考えられている昆虫が、甲虫からガ、ハエ、ガガンボ、カマキリモドキなど多くの分類群に見られること、とくに熱帯や亜熱帯に多いことは知っていました。しかし北ベトナムの山は特別でした。おおげさに言うと、飛んでいる昆虫の大部分がハチみたいなのです。じっさいにハチも混じっていましたが、これこそハチだろう、と思ってネットに入れてみても、それがカミキリムシやガ、アブなどに化けてしまうのです。
この時から私は、‘ハチ’を信用しなくなりました。『ハチを見たらハチでないと思え』と言い聞かせるようにしたのです。するとふしぎなことに、日本でもハチにそっくりだけれど、刺すハチでない昆虫がいかに多いかを思い知らされたのです。そこで最近は、『だまされるもんか』と思ってハチを追いかけるようにしています。ただ、偽物だと思ってつかんだら刺され、その痛さに初めて本物のハチだとわかったこともありました。いい気になりすぎて、バチが当たったのでしょう。
下手なダジャレはともかく、こうしたハチもどき(擬蜂虫)のいくつかを紹介してみましょう。じつは、この仲間には昆虫界ではちょっとしたブームとなっている人気者もいるのです。
‘アブ’と聞くと、刺すから危険な昆虫だと思っている人は多いでしょう。けれども、人を刺す(口で吸う)アブはごく限られた種だけですし、刺されてもしばらく痛いだけです。それにハチと違うので、素手でつかんでも大丈夫です(ちっともアブなくない!)。
それなのに、アブが恐ろしいように感ずるのはなぜでしょう? まず、その顔つきのせいかもしれません。オオイシアブ(ムシヒキアブ科)はクマバチのように毛むくじゃらの、いかにも強面です。加えて、ハチを連想させるからでしょう。とくにアカウシアブ(アブ科)が体の周りを飛んでいるさいは、よほどこの仲間にくわしい人ならともかく、誰もがスズメバチと思ってビビるはずです。観察会でこのアブを網で捕らえ、手づかみして見せるとほとんど英雄ですが、つかんでも大丈夫だよと言ってもまず誰もさわってくれません。
いわゆるアブとは違いますが、私が博物館内の廊下でオオハチモドキバエ(デガシラバエ科)を見つけたときもそうでした。そのいかにもキイロスズメバチそっくりな飛び方に、居合わせた人たちはただ恐れおののくばかりで、私が網の中に手を入れるのが信じられなかったようです。もっとも、私自身もこの仲間を見たのは初めてでした。つかむのもこわごわというのが本音だったのです。
アブは双翅目(ハエ目)というグループに分類されます。簡単には、ハエやカの仲間と思ってください。双翅目は、漢字のように2つの翅(はね)をもつことと、吸うための口をしていることが大きな特徴です。ただし念のために断っておくと、正確には翅のある(有翅)ほかの昆虫と同じように4つ(2対)の翅をもっています。後ろの1対が非常に小さくなっているため、前翅の1対だけのように見えてしまうにすぎません。
双翅目は非常に大きなグループで、世界に10万種未満、日本に5300種が知られているようです。しかし、これだけではありません。じつは目レベルでの種多様性(どれくらいの種類がいるのか)がもっとも判明していない昆虫の1つで、じっさいには既知の何倍もの種類が生息していると考えられるほどなのです。分布・生態面の研究も、衛生害虫など一部を除けばとても立ち遅れているのです。
日本の昆虫がここまで解明されてきたのは、趣味で昆虫研究を支えてきたアマチュアの力があったからこそです。しかしアマチュアだからこそ、好きな分野にのめり込む反面、興味の湧かない分野には目もくれなくて当然です。ちょっと前までは、圧倒的にチョウ愛好家が多く、次いでカミキリムシ類やオサムシ類などの一部の甲虫類が好まれていました。このおかげで、チョウなどの分野はかなりよく調べられてきましたが、アマチュアに人気がない分野は分布状態ですら不明のままでした。ところが最近の好みは、明らかに違ってきています。
その第1はクワガタ愛好家、というかペットとしてクワガタを飼育する人たちの激増です。かつては子供たちのいっときの楽しみの1つだったと思うのですが、いまは完全に大人たちにもブームとなっていて、ペット産業の重要な部分を占めています。大人の昆虫趣味の世界ではこれまでになかった層と言えるでしょう。もう1つが、昔からの昆虫趣味の中での興味対象の多様化です。いままでは見向きもされなかった分類群にも、アマチュアたちが目を向け始めたのです。その典型的な例がハナアブ類を筆頭とした双翅目です。
双翅目は一般に色彩も存在も地味なうえ、適当な手引き書もなくてアマチュア受けしません。しかしその中にあって、ハナアブ類だけは例外的存在です。黄、赤、黒、白などのさまざまな色彩で飾られ、そのあざやかさは大変に目につくものです。また、ほとんどの種類はいろいろな花を訪れ、花粉媒介者として自然界で重要な位置にあります。まさに双翅目の「花」です。なお、ハナアブとは漢字で「花虻」と書きますが、むしろ「花蝿」といった方が適格です。正確にはアブの仲間ではなく、ハエの仲間なのですから。
ハナアブブームは突然にやってきました。そのきっかけは1996年の「双翅目談話会」の設立でした。京都や大阪のアマチュアたちが中心となって、ハナアブ類をはじめとした双翅目にこだわった会が誕生したのです。当初は会員は70名にすぎなかったのですが、5年たった今年3月には166名に倍増するとともに、会誌「はなあぶ」も創刊号の30頁から最近は100頁を超えるようになりました。双翅目昆虫のいままでわからなかった部分が次々と解明されつつあります。
このブームを支えているのが、分類・分布・生態を解明しようという気運ではないでしょうか。まだまだ未知の領域が多く残されているだけに、新種を発見できるかもという期待、ある種類を未知だった地域で発見することの喜び、初めてその種類の習性や生活史を明らかにするという満足感を得ることができるのです。さらにその成果を発表することによって学問への貢献につながります。
私の目から見たハナアブの魅力は、何と言っても‘擬蜂’にあります。
実体はハエなのですから恐ろしいはずはなく、飛び回っていてもウルサイ(五月蝿)くらいにしか感じないはずです。それなのに、私たち人間をしばしば恐れさせてしまうのです。もちろんそれは、ハナアブがハチそっくりなためです。止まったときはハエそのものの姿であっても、飛んでいるときはハチを連想させてしまうのです。
刺すハチの方にもいろいろな仲間があります。ハナアブはそのいくつにも姿を似せてしまったように思えます。たとえば、ナミハナアブやシマハナアブなどはミツバチに、ベッコウハナアブやオオハナアブなどはマルハナバチに、ナガハナアブ類はスズメバチに、ハチモドキハナアブ類はドロバチに、といった具合です。ただ実際には、ある特定のハチに似ていると言えるものはそれほど多くありません。特定のハチに、ではないけれども、何となくハチに似ているものが多いのです。
何となくハチに似ている、というのは重要な意味があると私は思います。それは、ハチが自然界の中でたいへんに恐れられている存在ではないか、と考えられるからです。怖い存在であればあるほど、それに一目置くでしょう。ハエを食べるものの中には、ハチを恐れるあまり、それらしいものも攻撃しようとはしない可能性があります。つまりハチに姿も行動も似ることは、生存していくうえでとても有利と思えるのです。
私はある観察会のときに、子供たちにハチ擬態のすばらしさを紹介しようと、得意になって‘ハチモドキハナアブ’をつかんで見せました。その瞬間、指先のチクッという痛みに、思わず手を離してしまいました。こともあろうに、その個体はハナアブではなく、ドロバチそのものだったのです。『ほらっ、まちがえるほど似ているんだよ』ととっさにつくろったものの、大笑いされてしまいました。賢明なみなさんは素直に、『ハチを見たらハチと思え』と用心してください。