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ユニバーサル・ミュージアムをめざして―視覚障害者と博物館― ―生命の星・地球博物館開館三周年記念論集―』55-63ページ

誰でも楽しめるユニバーサルな博物館〜視覚障害者の立場から

青松 利明
筑波大学附属盲学校

はじめに

あおまつ・としあき生涯学習という言葉がよく聞かれるようになり、ユニバーサル・デザインやバリアフリーという言葉も日本語の中でかなり使われるようになってきている。その中で、生涯学習空間としての博物館が誰にとっても楽しめる場所であるために、ユニバーサル・ミュージアムという考え方がでてきている。

しかし、ユニバーサルという言葉は簡単に使えるが、その実現はどのように可能であろうか。車椅子を利用して生活している友人は、車椅子利用者にとっては公共施設に設置されるトイレはできるだけスペースが広い方がよいと言う。一方、視覚障害者の立場から言えば、トイレの広さはなるべく狭い方が便利である。この違いは、車椅子利用者は車椅子を伴ってトイレを利用するため、物理的な意味でスペースが重要になるが、視覚障害者は狭い所の方がいろいろなものを見つけるのに便利だということである。したがって、ユニバーサル=誰にとっても使い易いというものはなかなか存在しにくいことになる。

上のトイレの例は、一種類のトイレでユニバーサル化を実現しようとすることに問題があることを示している。ユニバーサル化というのは当然誰にでも使い易いということを目指していくべきであるが、その結果だれにでも使いにくいものができてしまっては意味がない。それぞれの部分がユニバーサルでなくても、全体としてユニバーサルなものを実現していく視点も大切である。

この文章では、まず今までの博物館について視覚障害者の立場でどのように感じているかについて述べる。次に、視覚障害者の多様性について紹介する。そして、視覚障害者の利用しやすい博物館を考える上でのハードやソフトについて説明する。また、視覚障害者が物を触るということについてふれ、最後に今後の課題について述べる。

視覚障害者の博物館利用

写真1 ハリス・ミュージアム(英国)私は元来旅行好きである。国内・国外を問わず訪問した土地では博物館に立ち寄ることも多い。しかし、十分満足できる所は少ない。ともすれば、手に触れられる展示物が一つも無く、案内の方が説明をしてくれるということも無い。結局入口近くにあるミュージアムショップで展示物に関わる物やミニチュアを触って見て、その博物館を感じることになってしまう時も多々ある。その意味でミュージアムショップの充実は視覚障害者にとっては重要なことである。

しかし、本来は、ミュージアムショップではなく、展示物そのものを楽しみたいものである。最近配慮が少しずつされるようになり、視覚障害者専用の展示室を設けてくださる博物館がある。このような展示室は、それまでの状況に比べると進歩であるようであるが、二つの問題点がある。一つは、視覚障害者専用の展示室にはその博物館に展示してあるもののほんの一部しか集められておらず、情報がきわめて制限されているということである。二つ目は、この部屋に健常者が入ることができない雰囲気があり、手に触れて観察するという行為が健常者にとっても有益であるにも関わらず、そのことが視覚障害者だけに限定されてしまうということである。

地方に行くと、まだまだ未整備の民族資料館などがある。いろいろなものが雑多に列べられている。そのような所では、自由に展示物(展示物というよりは集めた物としか言えないが)に触れてよいと言われることがある。この場合、少々壊れてもよいものなのでそのようなことができるのであろうが、視覚障害者にとってはたいへんありがたいことである。ただ、一つの難点は無秩序に並んでいるため、系統だった理解が難しいということである。

視覚障害者が博物館を利用するということは、やはり展示物に触れられるということが直接的に感じられるという意味で大切なことである。また、館内をどのように移動するかということも重要な問題である。ユニバーサルなミュージアムは、できる限り健常者と同じように視覚障害者も博物館を楽しめるような工夫がされる必要がある。

多様な視覚障害者

視覚障害者に利用しやすい博物館を考える時に、まず重要なことは視覚障害者とはいったいどんな人たちであるかということである。一般に点字を読める人とか白杖を持って歩いている人ということが想像されるであろう。しかし、視覚障害者は多様であり、点字や白杖だけでは説明が着かない。

はっきりとしたデータではないが、視覚障害者の中で、点字を利用している数は、全体の10%に満たないと言われている。また、少し視力がある弱視の人たちは白杖を持たずに歩いていることが多い。このような弱視の人たちはそれぞれ見え方が異なる。暗いところが苦手な人もいれば、その逆の人もいる。視野が極端に狭い人もいる。

白杖を持たない人たちとしては、盲導犬を利用する人たちも増えてきている。盲導犬はできる限り利用者といっしょにいることが望まれているが、生き物であるため、ケイス バイ ケイスの対応が必要になることであろう。

それに加え、最近では大人に成ってから視力が低下したり、失明したりする人たちが多くなってきている。このような人たちは生まれつきの視覚障害者に比べると、見えていた経験があるため、視覚的な説明を好み、手に触れて観察することがあまり得意ではないことが多い。

したがって、視覚障害者と言っても多様性があることを認識する必要がある。そしてその上で博物館をどのように視覚障害者に利用し易いものにしていくかを検討していかねばならない。

ハードの充実

博物館の規模がどの程度であるかということが視覚障害者の利用を考える場合重要になる。小規模の博物館であれば視覚障害者の単独の利用も可能であろうが、大規模な場合は単独の利用は難しくなる。単独の利用を前提にしているか、そうでないかによって、博物館の設計も大きく変わってくる。どちらにしても単独利用ができない場合は案内人の必要性が出てくるが、そうでなければ以下のようなハードの整備が必要である。

「オルタナティブ(代替)な形式での館内案内のパンフレット」

入口で館内の案内を点字化したものや音声化したもの、また、地図を手で触ってわかるようにした立体地図などの配布があると、どこにどのようなものがあるかということが把握できてよい。また、弱視者に配慮した拡大文字での案内パンフレットもあると便利である。訪れた視覚障害者がニーズに応じた案内パンフレットを受け取れればひじょうによい。このパンフレットは、ただ一般に配られているものを別の形式で用意するだけではなく、例えば地図などはかなり簡略化して書くなど、視覚障害者に対する配慮が必要となってくる。

また、最近はカセットテープの代わりにMDが普及しているが、MDやCDのようにデジタル・アクセスができる機械を利用することで、シーケンシャル(連続した)にしか情報を得ることができなかったカセットテープに比べ、自由に聞きたいところにジャンプでき、フラストレーションがたまらなくてよい。このような最新の技術が利用されることはたいへんありがたいことである。

米国にニュージアムというニュースについてのミュージアムがある。ここでは、ポータブルなCDプレイヤーを希望者に貸し出してくれる。利用者はこのCDを聞きながら展示物を順番に見ていくことができるが、かならずしも順番通りに見なくても、展示物についている番号をCDプレイヤーについている番号入力用のボタンからインプットすることで、自由にその展示物についての説明を聞くことができる。英語だけではなく、日本語を含めいくつかの言語が用意されていたが、視覚障害者だけではなく、一般の人はもちろんのこと、英語が話せない人や学習障害の人たちも含めて利用できるという意味で、ユニバーサルなサービスと言える。番号入力用のボタンの横には点字で数字が付けられていたことも重要なことである。

「展示物のある位置までの誘導路と展示物があることを示すサイン」

視覚障害者が単独で博物館を利用する場合、どのように館内を進んでいけばよいのかがわかりにくいことがある。そのような場合に、進む順路を手すりや足下の誘導路で示してあるとたいへん便利である。また、展示物が在るところで、足下にサインがあったり、手すりに点字やボタンを押すと音声の出る案内があるとわかりやすい。

米国にあるナショナル・ビルディングミュージアムでは、視覚障害者の単独利用を前提に、足下に視覚障害者のためのサインを用意し、カセットテープで展示物の解説が聞けるプレイヤーを貸し出している。また、すべてではないが、点字物には点字のラベルが張ってあり、触れられるようにもなっている。やや専門的な興味を必要とするが、視覚障害者がじっくりと自分のペースで博物館を見学できるよい例である。

「読みやすい点字案内板」

最近では点字の案内板を設置しているところも増えてきているが、この設置のしかたが問題である。常識的には案内板は上から下に読むが、手で読む場合、手を高い位置に持ち上げて点字を読むというのはたいへん疲れることである。したがって、点字の案内板は、上下を逆さにし、点字を読む人の側ではなく、その人の体の逆側に点字があるように設置されていると読みやすい。この場合、晴眼者が読む案内板の裏に点字を付けることになり、あまり好まれないが、点字の読み手から言えば、読む時の手の動きがスムーズで疲れにくいことになる。

「杖の置場所」

細かいことになるが、視覚障害者が杖を持って博物館を利用している場合、なにかを触ろうとする度に杖の置き場に困ることがある。簡単なフックや杖を立てかけられるような工夫がデザインに含められるものであれば、たいへん便利であると思われる。

「ビニル手袋等の準備」

博物館の展示物によっては、手で触ることで、手の油が染み込み、展示物に悪影響を与えてしまうというものもある。そのような場合、きわめて薄いビニルの手袋などが用意されていると素手で触るのとあまり変わらない感触で観察することができる。オクスフォード大学の歴史博物館では、そのようにして重要な古代エジプトの展示物を手に触れさせてくれた。

「インターネットのホームページでの情報提供」

最近ではインターネットをりようして情報発信をしている博物館も増えてきているが、これが案外視覚障害者に便利である。現地に行ってからではなかなか点字や音声化された案内を手にいれることができないが、インターネットを利用すれば事前にその博物館についてのいろいろな情報を入手しておくことができる。ただし、インターネットのホームページを作成する場合、そのホームページが視覚障害者にとってアクセスしやすいものになっているかどうかを確認する必要がある。多くのホームページが視覚的なイメージを重要視するため、視覚障害者にはアクセスしにくい状況になっているからである。

ソフトの充実

写真2 スミソニアン航空宇宙博物館(アメリカ合衆国)ハードの充実は重要なことであるが、ハードだけでは補い切れない場合もある。また、ソフトの充実が博物館をより開かれたものにしていく上での大きな課題となる。ここでは特にものの考え方や人材の開発という意味でソフトについて述べる。

まず、専門知識を持ったボランティアの育成が必要である。アメリカの有名な博物館であるスミソニアンでは多くのボランティアの館内ガイドがいて、視覚障害者であるなしに関わらず、申し込みをすれば、展示物の説明をしてくれる。その説明はたいへんわかりやすく、ボランティアの専門性も高い。このようなシステムが日本でも普及していくことを期待したい。また、ボランティアではなく職員であっても、予約をすればその博物館の説明をしてくれるサービスがあるとよい。これらのサービスは視覚障害者にとっては特にありがたいものであるが、視覚障害以外の人々にも必要なサービスではないかと思われる。

米国のホロコースト・ミュージアムでは、視覚障害者が触れられる展示物は一つもないが、予約をしていくとひじょうに説明の上手なガイドがついてくれ、4時間にわたって展示物の説明をしてくれた。専門性がひじょうに高く、触るものがなくても十分に楽しむことができた。触るということだけに固執するのではなく、触れる物がない場合にでも視覚障害を補う方法はあるのである。

視覚障害者に対するガイドという意味では、どのようなものに触れると良いかということについての研究やそのことについての関心を持ったガイドを増やしていくことが重要である。そのためには利用者とのコミュニケーションを通じて、よりよいものを生み出していくことが必要になる。多くの視覚障害者が博物館に行っていろいろなものを手にとって見ることができる環境が求められる。博物館も積極的にこのようなことに関心を示してくれるといろいろなノウハウがあちらこちらで生まれてくるのではないだろうか。

ある博物館で、レプリカでよいので触らせてほしいと言ったところ、レプリカと言えども、たいへん高価であるから、触らせる訳にはいかないと言われたことがある。確かに、その通りかも知れないが、高価なものであってもそれを大切に扱いながら触れさせていただけるような状況が徐々に生まれてきてほしいものである。

視覚障害者が物を触るということ

写真3 英国ロンドンタワーにて視覚障害者が物を触るということを考える場合、それはたいへん複雑なプロセスである。晴眼者が人目で見ておよそのイメージを作るのとは異なり、部分をちょっとずつ触りながら全体像を頭の中で作り上げていくのである。この部分から全体像の認識というプロセスは時間もかかるし、たいへん疲れやすく、トレーニングも必要となる。したがって、ただなんでも触れるということよりも、重要なものをある程度選んで触っていくということも大切である。

触ることができないものについては言葉での説明が必要になる訳であるが、この説明がなるべく事実に即した具体的なものである必要がある。視覚障害者は言葉で説明されることに慣れているため、その説明が的確であれば、ただ物を触らされてよい説明を受けられないよりは意味がある場合もある。数は少なくても、重要なものを触りつつ、言葉での説明で補っていくということが視覚障害者にとっては有効的である。

視覚障害者はできるだけものに触れた方がよいということでどんなものでも触らせてくださるところがあるが、時によっては触りたくない物もある。晴眼者が見たくない物があるのと同じで視覚障害者が触りたくないものまでを触らせるということはない。その意味で、触る前にはそれがどのようなものであるかはある程度わかっていた方がよいであろう。

おわりに

視覚障害者が利用しやすい博物館が増えていくためには、博物館の関係者と視覚障害者や視覚障害者の教育機関との協力が大切である。そして、どのようなものをどのように視覚障害者に触れさせ、どの程度言葉での説明をするかについての研究をしていく必要がある。点字の案内板やパンフレットも重要ではあるが、それがあるということよりも、むしろ視覚障害者以外の人にとっても大切な、展示物の説明ができるガイドの育成やその利用が柔軟にできることがより重要である。

また、それを実現するためには、博物館にアドバイスができる専門家グループが必要である。博物館の担当者が考えた方法が視覚障害者にとってはあまり意味がないことがある。それを無くするには博物館の設計や改築の時、あるいはガイドの育成段階で視覚障害者との議論が必要である。そのことでお互いにとって満足できるような展示ができていくのではないだろうか。そしてそのような議論は一度ではなく継続的におこなっていく必要がある。時代と共に興味や関心、ニーズや要求レベルも変化してくるはずである。

さらに、視覚障害者にたいしては学校教育などで、触ることのトレーニングが必要である。博物館で自由にいろいろなものを触ることができたとしても、触ることについての力が身についていなかったり、触るエチケットが備わっていないと、せっかくのチャンスを無駄にしてしまったり、展示物を破壊してしまったりということに繋がる。そのようなことがないように触り方についてはトレーニングをしていくことが大切である。

欧米で博物館に電話をして、視覚障害者の利用のためにどのようなサービスがあるかを聞いてみると、必ずと言っていいほど、障害者サービス担当の部署に電話を回される。実際のサービスの程度は別としても、そのような意識が日本でも育って行ってほしいものである。障害者のために実施した館内ガイドのサービスが引いては一般の利用者にとっても便利なものになっていくことこそユニバーサル・ミュージアムの実現になっていくのではないだろうか。

※青松利明、1998.視覚障害者の利用に配慮した博物館.生涯学習空間 (11)69〜73頁より転載

[目次]博物館のより良きバリアフリー施策を目指して

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