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ユニバーサル・ミュージアムをめざして―視覚障害者と博物館― ―生命の星・地球博物館開館三周年記念論集―』87-91ページ

シンポジウムの感動

大塚昭二
長野県・一般参加

「視覚障害者と博物館」というテーマのシンポジウムが、神奈川県の生命の星・地球博物館で開催されると聞いて、まずもってこの大胆な企画に驚きを覚えました。それというのも、視覚障害者と博物館との関わり方が課題となってから久しいのに、なかなか具体的な施策に結びつかずに、また、社会の無関心という障壁を越えられずに頓挫しているテーマだったからです。もうひとつは、発足3年という若々しい博物館が、「視覚障害者と博物館」をユニバーサル・ミュージアムを目指す博物館の緊急な課題として改めて位置付けられたことです。新しい博物館がとても難しい問題に背水の陣を敷かれたのですから、その潔さに感動してしまいました。

しかし、このテーマは唐突に取り上げられたものではなく、笹川科学研究費の助成を受けられて「視覚障害者のための展示・学習支援の方法・教材の開発などの研究」を進めておられたのですから、その研究の中で今回のシンポジウムは組み込まれていたと言えるかも知れません。これがいま博物館学の求めている重要な課題であることに違いありません。この「生命の星・地球博物館の研究」は、博物館を訪れる人達が展示と対面し

  1. その資料に直接触れることができる
  2. 人の持っているセンサーとしての色々な感覚を使うことができる
  3. 体験・体感のできる展示がひとつでも多く取り入れられている

ことが達成されることを目的とされているのです。これが総ての来館者に新しい発見と感動をもたらすための、魅力を持っている博物館となるための必須条件として博物館学による研究が急がれる所以だと思います。北海道から沖縄までの全国から馳せ参じた人たちの参加で開かれたことは、このシンポジュウムが、いかに全国的な強い注視のなかにあるかを示しているのだと思いました。

この時宜を得たシンポジウムが、「ミニ地球」と愛称で呼ばれる濱田館長さんの基調講演で「今年をユニバーサル・ミュージアム元年にしよう」という呼びかけで始められ、博物館を本当の意味でバリアフリーの場にすべきことを主張されました。現場へ行って自分で体験することが、博物館の原点と捉えておられるからでありましょう。館の行事お知らせチラシに見られるように、展示室から飛び出していく野外観察にも他に例を見ない密度の濃いスケジュールが組み込まれて、原点の補完を意図され、後は自分で考えていくように誘い込むアクティビティなものになっています。そこで必要なものが「人とプログラムのソフト」であると、館長さんは主張されます。そのソフトが、見るだけで終わる展示から「観る」ことのできる展示に置き換え、いちばん熱心に観てくれる視覚障害という個性を持つ方にも、有効に利用されるものでなければならない。それが無ければ開かれた博物館とは言えないという訳です。淘汰の時代は産業や経済界ばかりではありません。ハードもソフトも、これからの社会のコンセプトに合致した博物館として成長するために、すべてが改革の時期を迎えていると警鐘を鳴らしておられるのだと思います。同時に、日本で博物館の社会的地位が低いのは、博物館自体の文化レベルの低さにも起因していると嘆かれ、広範な問題提起もなされました。このようなアクティブな館長さんがいらっしゃるから、「生命の星・地球博物館」が日々新たに生きて輝くことができるのだと納得しました。

生命の星・地球博物館の奥野さんの基調報告では、338館のアンケート調査結果と、実際の博物館の現場に出向かれて調べられた内容のスライド上映によって、現状とその欠陥とを浮き彫りにされました。開かれた博物館になるためには、現状は余りにも掛け離れていて、これ程とは思っていなかった私には大きなショックでした。日暮れて道遠しの感を深くしました。また、私を含めての市民の意識の未熟さに直面させられて、これは市民の怠慢であると反省しています。スライドに現れた欠陥の生々しさは、これが現実なのかと目からうろこの落ちる思いでした。博物館から、市民としての自分がこの社会で何をなすべきかを教えられたのです。「障害者への配慮はすべての人への配慮となるもの」というお言葉は、博物館展示の本質を語るものと深く脳裏に刻みました。

シンポジュウム講演の中で博物館に求められた共通の課題は、

  1. 触わる展示の充実
  2. 言葉のやり取りを含めての観察の補助ができる人材養成
  3. 視覚障害者の側からみる設備の補完

であったように思います。

それから、新たな瑞々しい感動を覚えたのは視覚障害を持つ先生方の、博物館見学の時のエピソードでした。

生井先生が見学された時に、「博物館の前庭で館長さんから、背景は箱根の山々が博物館の借景になっていると聞いて、目の先がパーッと広がりました。見えないからといっても一言の説明があれば全然違ってくるのです。その場に立った皮膚感覚というものもあります。それから触わることは大きな情報源です。さらにイメージが深まります。NHKの地球大紀行というのがありましたが、この博物館で実際にそれに手で触ることができるなんて夢にも思っていませんでした。隕石には鉄の匂いがありました。その種類は多く、自分で触って見て関心が強く刺激されました。アンモナイトは初めてでした。あんなに大きいものとは思ってもみなかったことです。奥野先生はそれを実物の化石ですと言われました。新鮮な感動を味わいました。触わるという行為は非常に刺激の大きいものです。」というお話は参加者にも強い感動を呼び起こしました。

青松先生は、「博物館では、見える人にも見えない人にもわかるユニバーサル・デザインとバリアフリーが、来館者に展示をどのように理解し共有してもらえるかということに繋がってる。何を展示するのか。どのように展示するのか。ユニバーサル・ミュージアムの展示に当たっては、障害者との関わりを専門的にアドバイス出来るスタッフが必要です。また何でもかんでも触るのではなく効率的に触りたい。どういうものに触るかは入館者の側に選択させてもらいたい。ガイド・テクニックは一般の人にも必要なことだから、もっと研究してもらいたい。」と、深く共感するお話でした。

「バリアフリー」を論題とされた山本先生のお話では、行政の考え方に古色蒼然とした縦割り区分と、歪んだ福祉の考え方が存在することを知らされました。「手で見る展示室」を別に区分けして設置したと説明する博物館意識へのご直言や、さらには博物館内外の誘導手段や展示室設計での基準の読み方などを含めて、山本先生のお話は「博物館指針」として、ぜひ纏めて頂きたいことと思いました。

鳥山先生のお話では、筑波大学付属盲学校の教育レベルの高さや周到な準備をされる教育環境が、お話やスライドをとおして受けとれて感嘆してしまいました。その先生から人材育成の必要性を説かれると心底から納得してしまいます。「ふれる」ではなく「さわる」ことをテーマにされてのお話でした。長野オリンピックの、スピードスケートをテレビ放映で見た時に思った事前指導の重要性も再認識しました。松本市盲学校生徒たちが日本選手を応援し、歓声を上げて満面の喜びの表情をいっぱいに見せていたのですから。

シンポジウムの講演を担当して下さった館園の先生方のお話には、それぞれに積み上げられた工夫や強い意欲が示されていました。その館園を、ぜひ見学したいと思いました。

今回のシンポジウムで具体的な施策として示された事柄は、例えば洗面所には、立てかけた白杖が倒れないようにフックを設けるなど、利用しやすい博物館のためにリストアップされたことを、「設備ガイドブック」として細大漏らさず収録し、現状のチェックリストとしても使えるようにして、ぜひ出してほしいものと思いました。

会場となったミュージアムシアターの椅子は座り心地が良く、内部が空調設備のスペースかもしれない演壇は、その高さが通常の半分ぐらいで、聴衆の視線は見上げるような苦労もなく快適でした。

館長さんは「おわりに」のなかで、このシンポジウムの主旨を全国発信なさると言われました。かなり刺激的な鋭い内容で構成されたシンポジウムでしたから、博物館が担う課題とその重要性がはっきりと浮き彫りされて、時代替わりのターニングポイントにある全博物館の、今日的要請に合致したものになるに違いないと思っています。

入生田の駅で、子ども達の「今度は〇〇ちゃんたちを誘って一緒にこようよ」という声がいつまでも耳に残りました。ありがとうございました。

[目次]北海道開拓記念館における視覚障害者への対応

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