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ユニバーサル・ミュージアムをめざして―視覚障害者と博物館― ―生命の星・地球博物館開館三周年記念論集―』157-163ページ

人にやさしい博物館をめざして
―沖縄県立博物館のこれから

前田真之
沖縄県立博物館

はじめに―沖縄県立博物館教育普及活動のあゆみ

激しい戦闘が終り、これから復興に向けて新しいくらしが始まろうとした1946年4月24日、この日は沖縄県立博物館にとって意義のある年になりました。というのはこの年に沖縄県立博物館の前身である沖縄民政府立東恩納博物館が設立されたからです。多くの文化財が戦災に会い灰燼に帰したその中で、文化の復興を目指して始まった博物館の活動も、そのときから数えて今年(1998年)で52年目を迎えます。この50年余を教育普及活動をとおして振り返ってみたとき、博物館における活動が沖縄県の戦後の状況に大きく影響されてきたことが分かります。

当館の教育普及活動のあゆみを見ていくと、次の四つの時期に分けることができます。(注1 前田真之「教育普及活動50年をふりかえる」「沖縄県立博物館50年史」121頁)

一期:戦災を免れた文化遺産収集の時代(1946年〜1965年)
二期:講堂活用の時代(1966年〜1973年)
三期:講堂活用から積極的な事業拡大への転換の時代(1974年〜1987年)
四期:教育普及活動の多面的な展開の時代(1988〜)

一期の時期は、戦争で散逸した資料を収集することが中心で、教育普及活動まではなかなか手が回らない時代でした。二期の時期は、公共施設が不足していた時代に博物館の新館が完成したため、講堂が県内の公共施設がわりに頻繁に利用された時代でした。そのため博物館が主体的に事業に取り組むというよりも、館外から持ち込まれた事業に対応するのが中心となりました。三期になると博物館が主催者となって文化講座に取り組むようになり、また1974年には機構図の中に教育普及係が置かれ、分掌事務として資料刊行、文化講座、友の会等の活動が位置づけられるようになりました。それから現在博物館で行っている教育普及活動の原型が出来上がったのは、四期の時代になります。1998年度の教育普及活動を見ると、

  1. 博物館文化講座
  2. 移動博物館
  3. 夏休み親子文化講座
  4. 子ども体験学習教室
  5. ポスター・リーフレットの作成
  6. ボランティア活動事業(ボランティア養成講座・ボランティア専門講座・解説勉強会・教育活動・資料整理・解説)
  7. 博物館を利用した研修
  8. 来館者への展示解説
  9. 学校との博物館学習事前打ち合わせ
  10. 児童などの見学者へのオリエンテーション
  11. 児童生徒への手紙等による学習相談
  12. ビデオサービス
  13. 広報活動
  14. 友の会への援助活動

などとなっています。

これまでを振り返って見ると、教育普及活動は四期以降ますます増える傾向にあり、さらにきめ細かな配慮が必要となってきています。この大きな原因は、来館者のニーズの多様化にあります。沖縄県立博物館では、近年見学以外で博物館を利用する子どもたちが増えていますが、そのほかにもデイ・サービスで見学に訪れるお年寄りや、企業の博物館研修で訪れる来館者が増えたり、来館者の動向にも変化があります。一方来館者を受け入れる側の博物館に於いて、博物館活動がますます多忙化するなか、活動を支える理念をもう一度振り返り、その活動を理念との関わりの中で客観化することが求められてきています。近年その研究の必要性が叫ばれているミュージアム・マネジメントは「博物館利用者を感動させる運営手法」(注2 大堀哲ほか編、「ミュージアム・マネジメント」,1996年、54頁)を学ぶことであると言われているが、来館者のニーズをつかむことも当然その前提となっています。それぞれの博物館で、このニーズに答えていくためには、それぞれの博物館にこれまでどのような人たちが来館したのか、またどのような人たちが来館しないのか、来館していない人たちはなぜ博物館に足を運ばないのか、博物館で何を見たいのか、博物館でどんな活動を希望しているのか入館者の調査研究がこれからはますます必要になってくると思われます。

とりわけ障害者への対応は“すべての人に開かれ、すべての人のニーズにこたえる博物館づくり”という理念からするならば当然のことと言えるでしょう。しかしその当然とも思える事を当然の事として、事業の中で十分に具体化することができなかったのも事実であります。

沖縄県立博物館では、障害者への取組を意識するようになったのは、四期のころからになります。

障害者との出会い

沖縄県立博物館に障害のある方が、団体として見学に訪れるようになったのは1985年以降になります。養護学校の児童は早い時期から来館しているが、聾学校の児童は1989年以降に、盲学校の子どもたちは1990年以降に来館するようになります。

1985年
鏡が丘養護学校
1986年
那覇養護学校、森川養護学校
1987年
那覇養護学校、森川養護学校、鏡が丘養護学校、島尻養護学校
1988年
那覇養護学校、大平養護学校、
1989年
鏡が丘養護学校、那覇養護学校、泡瀬養護学校、西崎養護学校、大平養護学校、沖縄聾学校
1990年
那覇養護学校、森川養護学校、沖縄盲学校
1991年
熊本盲学校、山口聾学校、沖縄盲学校
1992年
那覇養護学校、
1993年
沖縄高等養護学校、森川養護学校、
1994年
宮古養護学校、鏡が丘養護学校、沖縄聾学校
1995年
沖縄盲学校、西崎養護学校
1996年
筑波大学付属聾学校、西崎養護学校
1997年
森川養護学校、鏡が丘養護学校、熊本聾学校

このことから、博物館側が障害者のことについて意識的に取り組む以前からすでに障害者の方は博物館で見学を行っていたということが分かります。

視覚障害者への配慮

1991年に熊本盲学校や沖縄盲学校の児童の来館を契機に、視覚障害者への対応をどのように進めていくのかが課題となりました。まずできる範囲のところから進めていこうということで次のことを実行してきました。

  1. 沖縄県視覚障害者福祉協会と連携して、展示案内およびボランテイア案内用の点字リーフレットを作成した。その後、必要に応じて増刷りができるようになる。
  2. 1995年の沖縄盲学校の見学の前に、担当の先生と調整を行い特別展「甦る沖縄」の展示配置図および展示資料を送り、その中で触れて学習できる資料を明示して活動を支えた。事前に連絡があるときは、調整の上触れることができる資料を用意した。
  3. 障害者への配慮が博物館側全体に広がるよう、ボランティア研修のプログラムの中に取り入れて実施することにした。講師として視覚障害者福祉協会などの関係者から協力をいただき、技術的なことのみならず障害者のくらしのようすなど普段のくらしのようすを学べるように計画し、さらに視覚障害者との交流も行った。
  4. 1996年に東京大学で行われたパネルディスカッション「視覚障害者のためのミュージアムアクセス」にパネリストとして沖縄側から参加した下地幸雄さん(沖縄県視覚障害者福祉協会評議員)からテープ資料等をいただき、視覚障害者からみた博物館の様子を学ぶ。博物館だよりなどの音の朗読は、どこでもすぐ実行可能である。
  5. 個人としての来館者は、沖縄県視覚障害者福祉協会の下地幸夫さんと盲導犬を伴い大阪から来館された方の2人で事前に連絡があったので、触れる資料を事前に用意した。
  6. 1997年に東京で開催された全国博物館ボランティア協議会参加の折り、ボランティアを引率して視覚障害者のための美術館「トムギャラリー」を見学する。
  7. 視覚障害者のために特別展を企画し、図録を発行した名古屋市立美術館に職員を派遣し、視覚障害者向けの対応を学ぶ。
  8. 点字学習を終えたボランティアの中から、キャプションを作成するものが出てきた。作成した内容については、点字図書館の指導員に点検をしていただいた。
  9. 1998年度の予算要求で、点字作成のソフトおよびハードを購入できるようになった。

沖縄県立博物館の課題

これまで沖縄県立博物館で進めてきた小さな取組を、視覚障害者の来館に即して検討すると課題が山のようにあります。

  1. 「視覚障害者のためのミュージアムアクセス」で障害者の方たちは、全ての展示に触れることができることを要望しているわけではないと述べています。しかし博物館側としては、触れる機会を多く作り展示資料に関し十分に満足していただくことが必要であり、展示資料に触れることができない場合にもイメージ化できるよう表現にも気を配った点字のキャプションづくりが必要である。
  2. 個人がいつ来ても対応できるよう教育普及課内の共通理解と体制づくりが必要である。
  3. 常設展の点字リーフレットを作っても、肝心の展示室の資料に点字の説明がない、あるいは触れることのできない状態では、入口のみの出口なしになってしまう。触れることのできる各展示室の資料をもとに点字リーフレットを作成する必要がある。
  4. ボランティアの養成講座で学んだ点字学習を継続して生かしていくためには、ボランティア組織の中に部会を設け、核となる人を中心に活動を続けていくことが必要となっている。(例:点字部会、音の朗読サービス部会など)
  5. ボランティアによる博物館館だよりなどの音の朗読化は可能であり、またその資料を視覚障害者福祉協会の点字図書館に提供することにより、利用者を拡大できる可能性は大いにある。これからも連携を密にしていくことが必要である。
  6. 視覚障害者の方にも博物館ボランティアの仲間に加わっていただき、共に活動する中でお互いを理解し、館の活性化に結び付けることもこれから可能である。
  7. パソコンを使った点字作成の研修を沖縄県視覚障害者福祉協会と連携してすすめていくことが必要である。

課題が山のようにあるということは、改善すれば、今よりも多くの人に満足してもらえる楽しみがたくさんあるということである。そしてこれまで知らなかった多くの人と博物館の場で会うことができるということである。

[目次]視覚障害者の植物園

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