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ユニバーサル・ミュージアムをめざして―視覚障害者と博物館― ―生命の星・地球博物館開館三周年記念論集―』5-6ページ

はじめに

「言うはやさしく、・・・・・」の良い実例として「開かれた○○」をあげることに異論のある人は少なかろう。「開かれた社会」「開かれた心」「開かれた大学」のいずれもが、ある程度その主旨に沿った状態までもっていけるものの、どこまで訴究できたのか完遂の噂を聞いた試しがない。

「開かれた博物館」のキャッチフレーズも同類と考えてよかろう。何に向かって、どのようにして、どこまでオープンなのか、あまりにも局面が多彩で具体化に当たって苦労が多い。「開かれた」体制づくりと「開かれた」心構えに向けて努力する、という方向性にこそ、その本質があると考えるのが妥当であるのかも知れない。

「開かれた博物館」を目指す際、これまで不十分であった事を重点的に取り上げるのは賢い方法と言えよう。“もの”や映像を見てもらうことに努力する方針にほとんど疑念を抱くことのなかった一般の博物館運営にとって、視覚に障害のある方々に対する配慮は、正直なところ、これまでほとんどマイノリティの世界に押しやられていた、と断じざるを得ない。バリアフリーという姿勢が、その第一義のとおり、障壁撤去という形で建築の世界に定着してはいるものの、一度形式的に法制化が進むとその本来の目的を見失った表面的な扱いが目につくようになってきた。典型的なものとして誘導用ブロックがある。設置する例の形式主義にも、意味を理解しようともしない無関心層にも罪はある。デザイン効果から、あの黄色は許し難いと主張する建築デザイナーもいると聞く。誘導用ブロックの上に自転車が置きっぱなしなっていても誰一人として手を出さないなど、日常的な風景になってしまった。

バリアフリーの考え方は、おそらく具体的かつ物理的な世界からはるかに広く捉えられていて、身体的障壁から文化的・抽象的障壁にまで拡張されているのが現状と見てよい。が、しかし、あくまでも対策発想的なニュアンスがつきまとっているのも現実である。世の中には、便宜上物事を区別するという思考が横行しているから、何事につけ格差・類別をすることにむしろ関心があるのが常識的といって間違いでない。

博物館でマネージメントに、ユニバーサル発想が大きな意味を持つようになったのは、日本ではごく最近のことである。目の不自由な方に“もの”に触って観てもらう、という対策型から、一般の人にも手で触ることによってより豊かな理解を、という汎用的な発想になり、ハンズ・オン方策を広く五官(感)で体感・フィールドで実物原体験に、まで含めて一般化しているヨーロッパ的発想が、ほぼ同時に日本の博物館にも流れ込んできている。

博物館やその類似・相当施設の建設・再編ラッシュと評されるが、これは諸般の博物館体質改善には絶好の機会なのであるから、それがどう機能するかウォッチしなければなるまいとする意見も聞かれる。ただ、博物館界がどこかの号令一下で同じような動きになるというのであってはなるまい。博物館は発想がグローバル、施策はユニバーサルであってもローカリズムを基本に捉えたアイデンティティがあってこそ存在理由が認められることを、初心に返って認識するべき時期を迎えたと言えよう。

本論集には、そうした各館からの実情と指向する在るべき姿を模索し思考する様々な努力が収載されている。日本全体からすれば部分に過ぎないとしても、今、動き始めた段階での一大潮流の概要を汲み取っていただけるものと信じている。

神奈川県立生命の星・地球博物館 館長 濱田隆士

[目次]博物館五感論

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