今関六也
今関 六也(1904-1991)
東京に生まれる。旧制第七高等学校造士館の文科甲類、東京帝国大学農学部を経て、1931年、文部省東京科学博物館に入り、サルノコシカケ類の分類学的研究に従事、菌類標本庫を整備しその基礎を作った。1947年、農林省林業試験場に移り、森林病害の生態学的研究と防除に力を注いだ。退官後は神奈川県に自宅を構え、「神奈川キノコの会」の世話人・指導者として、神奈川県立博物館を拠点に多くの菌類愛好家を育成した。

日本を代表する菌類学者の一人。きのこの分類や生態学的研究を行い、多くの図鑑を出版してきのこの正しい知識の普及に多大な貢献をした。
『原色きのこ—茸の採集と見分け方』(今関六也, 1942, 三省堂)は、日本で初めての一般向けの菌類図鑑。本郷次雄との共著『原色日本新菌類図鑑Ⅰ・Ⅱ』(1987・1989, 保育社)は、菌類図鑑がほとんどなかった当時としては画期的なもので、その改訂版は現在でも菌類観察に欠かせない名著である。
図鑑に掲載された彩色豊かなきのこの細密画は、今関らが採集記録と研究のために各地で描いたきのこのスケッチ図が元になっている。
伊藤篤太郎
伊藤 篤太郎 (1866-1941)
名古屋に生まれる。祖父は、江戸時代後期にシーボルトに師事して本草学から近代植物学への橋渡しをし、日本の理学博士第一号となった伊藤圭介。圭介の後継者として教育され、日本人として初めてラテン語による新種としての学名をトガクシソウとキイセンニンソウに与えた。
英国で植物生理学、植物解剖学、植物分類学を学び、明治20年(1887年)の帰国後、東京帝国大学植物学教室に出入りするが、トガクシソウの新属提唱をめぐって植物学教室を出入り禁止となる(破門草事件)。
大正10年(1921年)から東北大学理科大学生物学科講師。菌類の研究を行った。佐久間文吾を生物学科の生物画担当の画家として呼び寄せ、多くの菌類の絵を制作した。昭和3年(1928年)に退職した後は、ナメコの新種記載論文をはじめ、菌類に関する論文を次々に発表した。
今関六也菌類細密画コレクションの中には、伊藤篤太郎による図40点余りが含まれている。その多くは佐久間文吾の筆によるものであるが、簡易なスケッチやメモは伊藤篤太郎自身によるものである。

参考文献:
岩津都希雄『伊藤篤太郎—初めて植物に学名を与えた日本人—<改定増補版>』八坂書房,2016.
※写真は同文献から引用。
佐久間文吾
佐久間 文吾 (1868-1940)
慶応4年、福島県に生まれる。明治15年頃より洋画家の本多錦吉郎の塾で洋画を学び、その後不同舎で小山正太郎に学ぶ。代表作は和気清麿奏神教図(1890)。
大正12年(1923年)、伊藤篤太郎に呼び寄せられ、東北帝国大学理科大学生物学科の専任の絵師として着任。昭和4年(1929年)まで勤める。その後、台北帝国大学理農学部で標本画に従事。多くの図鑑や専門書の挿図を担当する。
当館の菌類細密画コレクションに残る伊藤篤太郎の図の大部分に佐久間文吾のサインがある。

参考文献:
岩津都希雄『伊藤篤太郎—初めて植物に学名を与えた日本人—<改定増補版>』八坂書房,2014.
高階繪里加「佐久間文吾 和氣清淸麿奏神敎圖」國華 第一三八二號, 34-36p, 2010.
藤島淳三
藤島 淳三 (1903-1990)
東京に生まれる。父啓八(号清村)より日本画を学び、蒼藭を画号とした。東京帝国大学農学部、国立科学博物館、農林省林業試験場にて植物画を担当。今関六也のもとできのこの図を描く。

1965年退職後、ボタニカルアートや図鑑などの制作に従事する。1971年にボタニカルアート協会を同志と創立。その後狛江・清瀬ボタニカルアート同好会を結成するなど、ボタニカルアートの先駆者として後進の育成に努める。
今関六也は自身の図鑑の中で藤島が担当した図に触れ、「とくに藤島氏描くところのサルノコシカケ類その他の図は他の追随を許さぬ精緻なものである」と評している。

参考資料:
企画展資料「牧野富太郎を継ぐ藤島淳三—ボタニカルアートの開拓者—」練馬区立牧野記念庭園記念館,2015年10月10日〜11月15日・11月21日〜12月23日.
今関六也・本郷次雄『原色日本新菌類図鑑(Ⅰ)』保育社, 1987.