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ユニバーサル・ミュージアムをめざして―視覚障害者と博物館― ―生命の星・地球博物館開館三周年記念論集―』185-188ページ

視覚障害者と展示

佐々木朝登
立教大学講師・丹青研究所

1960年代後半頃、日本博物館協会(日博協)は全国の学芸員を仙台と大阪に集めて研修を行いました。講師は古賀忠道、新井重三両先生と若輩の私でした。私は「博物館の諸問題」という大きなテーマをもらって、博物館展示のデザイナーとしての立場から話をさせてもらいました。当時の博物館は、「陳列」が主流で、ケースの中に単に物が並べてあって、それに難解な文章で手書のラベルが添えてありまして、美術品とそのラベルの関係というものでした。並べたある物は何のためにそこに陳列してあるのかが見せられる方には判然としないものでした。そこで私は「現在の博物館は展示シナリオ不在である」と申しましたら、元気のよい学芸員たちから「生意気なことをいう」と叱られましたが、講演のあとで私の部屋に押しかけて来られた人々に例を挙げて、今のやり方では一般の人には判らないので、展示のテーマやそのシナリオを明確にした「展示」の方法論でやった方が利用者には支持されることを理解してもらいました。

そのほかに「博物館は触れる展示をめざせ」と申しました。当時の社会教育施設は博物館、美術館、資料館、科学館、公民館、図書館などがありましたが、物を集めて、保存し、整理し、展示しているのは博物館だけでありました。他の施設と博物館が厳然と異なる点は「博物館は展示があるから博物館」なのです。ですから、物を持っている強味があります。その物が持っているさまざまな情報の中で、その形や色を見るとき、見る方向が一定していると写真とあまり変わりません。展示では物を手に持って観察する代りに、物をターンテーブルの上にのせて回転させて、物の四方の情報を伝えたりしております。しかし、実物を手に持って形、色彩、重量、臭気などを子細に観察することにはかないません。先ず触れることがベストです。歴史資料、美術資料などそれ自身が触れることによって破損や劣化のおそれのあるものは触らせられないのは当然のことですが、その他の物を博物館はやろうと思えば実物に触らせてあげることができるということで、他の施設と比較して、大層有利な立場にあります。是非そうしてもらいたいという意味のことを訴えたわけであります。

南米はペルーのリマ市に天野博物館があります。故天野芳太郎館長は戦前からの多国籍企業家で、その利益をペルーの考古学研究にそそぎ、インカ時代や、その前のプレ・インカのとくにチャンカイ谷の発掘に大きな業績を残されて、チャビン、ナスカ期なども含めて土器、石器、織物、染織などの優品を公開しておられます。公開のしかたは個人博物館ということもありますが、あらかじめ観覧を予約しなければなりません。予約した時間に訪館すると、館長が玄関で迎えて下さり、一人でも、グループでも館長自身が館内を案内されるというシステムです。

土器の棚の前面にはガラス板が吊るしてあります。ガラスケースのようにガラスが固定してありませんので、天野さんはガラスを持ち上げて、中の土器を手で出して、「ここがこうなっているでしょう」と説明しながら「あなたもどうぞ」と私らに手渡されて観察させるという方法を一貫しておられます。

この方法で今まで事故はなかったということです。手に土器を持ったままで、その土器の発掘の状況を発掘した本人の天野さんの表情や肉声によって聞けるというのは、何とも幸福な気分のものです。

この博物館は入館無料です。天野さんは「ペルーの人々にとっては外国人の日本人がペルー人のご先祖の埋蔵文化財を研究のためとはいえ発掘して、それを一堂に集めて、元来の持主のペルーの人々から観覧料金をとるようなことは絶対にできない」といわれたのを聞いて、私は感動せざるを得ませんでした。

「物は最低限でも触ってみなければ判らない」と考えておられました天野さんは、すでになく、今は奥様が館長でしょうがアマノイズムは継承されていると思います。

1976年頃、日博協のM専務理事は、博物館の一角に視覚障害者用の展示スペースをもうけて、手で触って理解してもらう展示物と展示台の製作を企画し、その経費の半額を文部省に出してもらうことを計画し、その具体化のための委員会を開きました。委員長は國學院大學の樋口清之先生で、数人の委員の中に私も加えられました。縄文時代から古墳時代までの出土品をプラスチックのレプリカにして直接触ってもらう計画でした。縄文土器、弥生土器、銅鏡、銅剣、銅鐸、はにわ、須恵器、甲冑、蕨手刀、直刀など十数点がレプリカ制作候補でした。委員の中で樋口先生と私だけが「プラスチックは手で触ると金属や陶器のもつ冷たさがなく、独特の臭いがあるので反対する。レプリカを作るのなら実物と同じ材質でつくるべし」つまり、現在の技術で石器、鉄器、銅器、陶器はすべて往古の材料で製作可能でそうすべきというものでした。しかし、M氏は「文部省に提出した企画書ではプラスチックで作ることにしており、変えられない」と押し切ってしまいました。その上、私にそれらの制作の面倒をみてくれとなりました。全国で名乗りをあげたのはN市博物館とG県博物館で2組ほど造ることになりまして、國學院大學考古学資料館の資料を型取りしました。型取り剤のシリコンラバーは粒子が小さく、弾力性に富み、誠に正確に型がとれますので、実物との誤差は形の上ではほとんどないレプリカができました。健常者用ではないので表面の彩色はやめました、せめて重量だけでも実物と同じにしようと鉛の粉末をプラスチックに混入しました。視覚障害者があやまって床に落としても壊れない丈夫なレプリカでした。

それらの展示台のトップの周辺には5センチほどのストッパーをつけました。これは物が滑って落ちないためのものです。

制作中に盲学校の先生に意見を求めましたら「健常者は、物をつかむとき、いきなり片手でつかみ、あやまって物を壊すことがあるが、視覚障害者は、そんな乱暴なことはしない。先ず、物の前に立って、両手を拡げて、ゆっくりと両手を物に近づけて、そっと物に触ってその形を確認し、然るのちに、物を持ち上げる。ストッパーがないと床に物を落とすなど、あり得ない」という言葉がはねかえってきました。

視覚障害者のための展示物を健常者だけで想像力を働かせて計画することの愚を思い知らされました。この企画のスタート時点から視覚障害者やその人たちに日常接触している盲学校の教師の意見を中心に据えてやるべきでした。G博物館は、地元の新聞やテレビにユニークな本館の視覚障害者用の展示のおひろめをするので、写真うつりがよいように縄文土器は土色に一部は煤をつけろ、銅鐸は緑青で古色を出せという指示がありました。これでは塗料の厚さが何ミクロンかはあるので、それだけ触感に影響がでるのは当然のことで、健常者用に造ったようなものです。

大切なことは、視覚障害者にレプリカではなく実物に触らせるシステムを博物館が持つことです。

[目次]博物館における「伝え方」の工夫

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